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E.M.シオラン『崩壊概論』/大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』

☆mediopos3844(2025.5.29.)

■E.M.シオラン『崩壊概論』(ちくま学芸文庫 2025/4/)
■大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに
 最強のペシミスト・シオランの思想』 (星海社新書 2019/12/)

最強のペシミストともいわれるE.M.シオランの
フランス語で初めて著した著作『崩壊概論』が
初めて文庫化されている
(原著1949年刊/邦訳(単行本)1975年)

シオランはみずからを「反哲学者」と称し
虚無主義と不条理・文明の衰退・宗教と神の不在といったテーマを
「生きることは病気であり、死だけがその治療法だ」というように
詩的で断片的なスタイル(アフォリズム)で
独自の皮肉と暗いユーモアを交えながら論じている

文庫版の解説はシオランの思想を解説した新書
『生まれてきたことが苦しいあなたに』の著者
大谷崇が担当しているが

そのなかで大谷氏は
『崩壊概論』は
「おのれの理想を絶対的なものに祭り上げる
あらゆる信条やイデオロギーを告発する「狂信の系譜」
および「反−預言者」から始まる」としている

「シオランは、真理を声高に他者に押し付けるのではなく、
理想を殺し、熱狂を殺した後に残る「自分の中にある無」に
とどまろうとする」

その「現象から実体性を剥奪する空虚の意識」において
「仏教やインド哲学・古代懐疑主義の「知恵」の伝統と
共通するもの」があるのだが

いうまでもなく仏教とシオランのペシミズムとは
「苦しみ」が実在するかどうか
そしてそこからの仏教的な「解脱」を求めるかどうか
というところで全く異なっている

シオランがテイヤール・ド・シャルダンと話したとき
テイヤールが「苦悩は進化の単なる偶発時である」というと
シオランは激怒し立ち去ったというエピソードがあるように

シオランにとって「苦しみ」は実在するもので
「非現実的な苦悩などというものはない。
たとえ世界が存在しなくとも、苦悩は存在するだろう」という

しかもシオランは「苦しみ」だけではなく
「人生と世界に対する嫌悪」も捨てることができない

「人生に対する嫌悪は、
ペシミストをペシミストとして駆動させる唯一の原動力」なのだ

そしてシオランはペシミストとして
「人生を嫌悪し世界を呪詛する」

しかし大谷氏はシオランのペシミズムについて
こう示唆している

「彼のペシミズムは、
自らが望んでいるものと反対のものを実現してしまうという、
中途半端さを被る運命にある」

「生への憎悪であるペシミズムは、
自分が生滅させたがっているものを憎むことによって、
生を生滅どころか復活させてしまう」のである

「ペシミズムがペシミズムであり続けるかぎり、
憎しみは復活し、生もまた復活」し
結果として「ペシミズムは人を生かしてしまうことになる」

「ペシミストは人生を嫌いながらも、
この人生と表裏一体であらざるをえない。
そのなかでペシミストができることは、
この世界でうごめいて壁に頭を打ち付けつつ、
病気を育て、かつその病気を楽しむことではないだろうか」と

その意味においてペシミズムとは「生きる知恵」だともいえる
(「崩壊」が「創造」になるということでもあるだろうか)

以下はシオランや大谷氏の解説からは若干離れるが

「生きる知恵」ということにおいて
ペシミズムと対極にあるとされるオプティミズムは
感情の質や現実の受け止め方において異なっているとしても

おそらく純粋なペシミズムが存在しえないように
純粋なオプティミズムは存在しえない

「未来に対する心理的な構え」であるという意味において
両者はネガ(ティブ)とポジ(ティブ)のように
相互補完的であるともいえる

相互補完的とはいっても
それが創造的なものとなるのは
ペシミズムを通ったリスク補完型のオプティミズムだろうし
(あるいはオプティミズムに支えられたペシミズム)
逆にそれが破滅的なものとなるのは
オプティミズムを通って妄想的になったペシミズムだろう
(あるいはペシミズムに支えられていないオプティミズム)

しかし苦しくても楽しくても
人は生きなければならない
たとえ死んでも死を生きなければならず
そこから逃れることはできない

「生きる知恵」「死ぬ知恵」をもてれば
たとえそれが迷いのなかであるとしても
なんとか生き(死に)延びていくことができる

そしてそれは「楽」であるに越したことはないが
「楽」がほんとうに「楽」であるのは
「苦」が変容することで「楽」となったときではないか
そんなことを妄想したりもするのだがどうだろうか

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