江﨑文武「音のとびらを開けて 連載25回 Wonderwall——Brad Mehldau Trio」 (『文學界』2025年8月号)/牧野直也「リマリックのブラッド・メルドー〈ポスト・ジャズからの視点〉Ⅰ」
☆mediopos3892(2025.7.16.)
■江﨑文武「音のとびらを開けて 連載25回
Wonderwall——Brad Mehldau Trio」
(『文學界』2025年8月号)
■牧野直也「リマリックのブラッド・メルドー
〈ポスト・ジャズからの視点〉Ⅰ」
(アルテスパブリッシング 2017/6)
江﨑文武の連載「音のとびらを開けて」(『文學界』)
第25回は「Wonderwall——Brad Mehldau Trio」
ブラッド・メルドーはぼくにとっても特別な存在で
2018年3月27日にfacebookで
《アフター・ジャズ》シリーズをはじめたきっかけとなったのが
ブラッド・メルドーのアルバム『After Bach』
(「アフター・ジャズ」というのはその「After」を援用している)
それ以前にもmediopos1228(2017年9月5日)で
牧野直也『<ポスト・ジャズからの視点>1
リマリックのブラッド・メルドー』をとりあげた
さて記事についてだが
江﨑文武は中学生のときブラッド・メルドーを始めて知る
「オスカー・ピーターソンのピアノや、
ビル・エヴァンスやキース・ジャレットによる内省的なワルツ、
ミシェル・カミロやゴンサロ・ルバルカといった中米ツールの
ミュージシャンによるラテンやボサノヴァ、といった
これまで自分が聴いてきたカテゴリーには、どこにも属さないサウンド。
それがブラッド・メルドーの音楽だった」という
「まさに都市で暮らす人々の匿名性とも通ずるような
クールさを秘めたサウンドは、これまで感じたことのない
唯一無二の表現で、すっかり虜になった。」
ブラッド・メルドーは少年時代に
クラシック・ピアノの英才教育を受けたが
同時に文学や哲学への造詣も深めていたように
「音楽が言葉の代わりに世界を語る手段であるとしたら、
メルドーは間違いなく音による詩人だった」
その精神は『Brad Mehldau Trio:Live』に収録されている
「「届かない誰かへの言葉にならない祈り」を込めたような、
不完全な手紙のような感触を持つ曲」
『Wonderwall』(原曲:Oasis/ノエル・ギャラガー)に端的に表れている
「特にベースが繰り出す低音のリフは、
原曲には存在しない〝もうひとりの語り手〟として、
孤独の輪郭を際立たせていた。
情熱的に自己を押し出すのではなく、構造の洗練や間の美しさを通して、
抑制された熱をにじませる音楽。」
「ジャズという形式に安住することなく、
クラシックの語法やロックの情景、詩のような思想を
一つの身体で引き受けながら、どの文脈にも居着かない。
その柔軟さと引き換えに、どこまでも孤独な響きをまとっている。」
「都市の中に確かに息づいている音」
「人の気配と孤独が共存する音楽」
江﨑文武にとって
それがメルドーの音楽にほかならないという
牧野直也「リマリックのブラッド・メルドー」では
メルドーはこうとらえられている
「かつて、セシル・テイラーやコルトレーンたちが、
理路を進もうとした果てに踏み越えていったジャズ本来の「語法」、
その共通言語としてのフレーズという
「構築物の枠組み」の中にとどまって、
メルドーは原初的衝動へ踏み出すことなく耐えている。
そして、半歩あるいは一歩、前へにじり出て、
その枠組みを内側から拡張している。」
枠組を否定するのではなく「内側から拡張」する
ジャズを超えたジャズがメルドーの音楽だということ
個人的な感懐ともなるが
《アフター・ジャズ》シリーズをはじめたとき
mediopos1228でメルドーのアルバム『After Bach』について
記した言葉の一部を再掲しておきたい
源へと遡るということは
その生成の現場にいるということ
そこから宇宙が生まれるということなのだ
◎Wonderwall · Brad Mehldau
Brad Mehldau Trio: Live
℗ 2008 Nonesuch Records, Inc.
Writer: Noel Gallagher
