53.共感できるかできないかの前に、私が受容の姿勢を大切にしたい理由
「共感」についての考え方がずっと私の中でモヤモヤしていました。
それが、ようやく晴れて、人の話しを聴くときには受容を心がけようと、あらためて考えた話しです。
共感についての違和感
過去に、共感力にかなりの自信を持つ人と関わり、違和感を覚えたことがありました。
でも、反論をするだけの根拠も自信も、私にはありませんでした。
様々な人が誰かの話しに反応して言葉を発した時、私に対してであっても他の人に対してであっても、共感できていないのでは?と感じることが少なくなかったのです。
私のこころを楽にしてくれようとして発したのであろう言葉でも、私は
「ああ、この気持ちはわかってもらえないのだな」
と、思うことが度々ありました。
共感についてより理解できました
私が感じたり考えたりしたことも、まんざら間違いではないのでは?と、少しずつ思えるようになっていた最近、目について読ませてもらった、心桜さんのこの記事で、モヤモヤは晴れました。
私自身も、他人のことを理解することなどできていなかったはずです。
心桜さんの説明によると、共感とはこうです。
共感とは、相手の立場に立ち、感情や考えを理解する力です。
しかし、単に「分かる気がする」では不十分。
共感には、脳の高度な働きが関わっています。
さらに
私たちは、他人の行動を見て「過去の経験」や「自分の感情」から意味を付けてしまう。
この無意識のフィルターが、本当の共感を妨げているのです。
相手のことをわかったつもりでも結局は、無意識のうちに自分の中に出来上がっているフィルターを通して話しを聞き、意味づけしてしまっているんですね。
そして、次の説明でさらに私のモヤモヤは晴れました。
他人を理解するとき、「行動」だけを見ると誤解が生じます。
本当に重要なのは、「その行動が生まれた背景」です。
私に対してよかれと思ってアドバイスしてくれた人の話しの内容が、あまりにも相談内容の背景を無視したものだったので、私のこころに全く響くことなく、むなしさだけが残ったことがかつてありました。
そして、きっと私もちょっとした会話の中で目の前の人に対して、同じことをやっていただろうなと考えました。
だったらこれを意識していこう
とかく視野が狭くなりがちな私は、あれこれ注意することが多岐にわたると、思うようにいかないことがよくあります。
ましてや、共感しようと思えば思うほど、「共感しなければならない」という思考にとらわれてしまいます。
師から学んで自分のこころを少しずつ解放したときのように、やることのポイントを絞っていくのが、私にはやりやすそうです。
だったらどうしようか?
自分のフィルターを通さないということは、良し悪しの判断もしないということですよね。
相手の背景を理解するためには、自分の考えを伝えることより、しっかり相手の話しに耳を傾けることに集中したいです。
ここまで考えて、ふと思いました。
これは心理学でいう受容が大切なのではないかな?
自分の意見は伝えず、良し悪しの判断もせず、アドバイスもせず、話しを聴くのですから。
もちろん、話しを聴くときのこちらの表情や視線、声のトーンというものも大切なのでしょうが、
まずは
判断もアドバイスも脇に置いて、その人のありのままの話しを聴く意識を保ちたいと、思いました。
読み取りたいのはここ
心桜さんも師も、共通して伝えてくれていたのは
言葉の奥にあるものに目を向けなさい
ということでした。
背景に目を向けなければ相手を理解できません。
それに、本当に伝えたいことは言葉通りとは限らず、その奥に隠れていることが多いです。
しゃべっている本人にさえ本心に気付けていないことも、少なくありません。
自分のこころと向き合い続けるのみ
私にはわかっている!といった傲慢さはどけて、謙虚な気持ちで受容を意識して人の話しに耳を傾けます。
同時に、自分自身の中にあるフィルターが常に影響していることも認めて、それを忘れずにいます。
こころが強くとらわれてしまっている何かから、自身を少しずつ解放していくことが、本当の共感への近道になるのではないでしょうか。
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