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間違いとは

私は、3人兄弟である。そして3人ともなんでなんで星人なので、家族が揃うとうるさい。特に姉と兄はずーっとお喋りしてる。

自分の思った世の中の不思議とか、新しく得た知識をずっと、ああでもない、こうでもないと話し続けている。特に姉が一番なんでなんで星人な気がする。今や勉強が趣味になってる。なので分からないことを聞くと、なんでも教えてくれる。siriみたい。こないだは改札の機械の仕組みについてお話してくれた。NFCの更新料のバカ高さについても教えてくれた。なんかちょっと聞いたらずっと喋ってる。それ聞いてるのが好き。途中で聞く飽きることもあるけど。

喋ってる人が好きなのかなー?でも中身の詰まったお喋りが好き。でも、アホな会話も好き。

昔は夜ご飯の時間は毎回大議論パーティーだった。最終的にいつも概念的な話にまで行き着いて、口論となっていた。今は、家族LINEでずっと喋ってる。

ある動画で、フランス人の女性が、フランスの家庭はみんな夕食時にそれぞれの哲学を熱く語り合うのが一般的だという話をしていたのだけど、それを最近知って、私の家はフランス人みたいな夜ご飯スタイルだったんだということに気づいた。

歳が離れているので、私は聞いてるだけだったんだけど。あと母親も。(母親は松本伊代ちゃんのような人なのだ。なので奇想天外な面白さを持っている。)

永遠に喋ってる人が好きなのか。でも永遠に喋られるのはちょっとしんどいな。静かな時間も好きだし。

まあ、そのおかげで、お互いの意見を認め合うと喧嘩にならないってことに、最近気づいた。

自分の考えは正しくて、相手は間違っているとどうして思ってしまうんだろうか。間違いというのは明確な正解があるものには適用できるけれど、正解の無いものにも、なぜそれは間違ってるを適用させてしまうんだろうか?秩序が崩れるから?自分の正しさを証明したいから?

「私はこう考えるんだけど、あなたは?」ってなった時、「そういう考えもあるんだ!じゃあさ…」ってなって、「ああ!じゃあこうも考えられるんじゃない?」ってやってる時が私はいちばん楽しい。

「いや、それは違う」「それは嘘だ」「その意見は受け入れられない」の方は楽しくない。楽しくないけど、そっちに流されてしまうのもわかる。

自分に取って理解のできない人に出会うと、無性に腹が立つ。しかし、自分には理解できないが、ほかの人はその人に賛同する。それでさらに正しいと思っている自分の方が実は少数派なのではないかということにショックを受ける。という経験はきっと誰しも1回はしていると思う。もししていない人がいたら逆に知りたい。

何を持って幸せとなすかについてもそうだ。

幸せの尺度は測れないが、何を基準としているかで幸せの見え方は異なる。自分が見てるものでも変わる。完全に幸せ100%な人間はまだ理性の芽生えていない赤ちゃんくらいだ。

私にとっては、保育園や幼稚園に通う前のような、何も考えず母親と一緒にいられる時間が、幸せの原型だったような気がする。それ以降、親と離れる時間は長くなるばかりで、二度と24時間親と離れずに一緒にいられる時間は戻ってこない。親からの独り立ちはもうここから始まっている。

だから、不安というものを全く抱えてないでいられている人間はいないと思う。社長から会長に昇進したり、どっかの相談役に就いたりするのも、もうその人の居場所がそこにしかないからだと思う。どんなに仕事一筋でお金にも困らず、人間関係にも困らず、順風満帆に生きていってる人がいても、その人が家に帰った時に、その家でポツンとなる。退職した後、暇になった時間の使い方が分からない。夫婦一緒の時間で満足感が得られない、そもそもその空間に耐えられない。だから、また仕事に復帰するんだろうなと思った。そういう人はもはや仕事がアイデンティティになってる気がする。

自営業の人もそう。どこからが仕事でどこからがプライベートか、もう分からなくなっている。

だから、別に仕事を頑張るが正解でもないし、仕事を頑張らないが正解でもないし、お金があるが正解でもないし、お金がないが正解でもない。その人がどう感じて、何を思って生きてるかが大事なんだなと思った。

自分はこういう理想がある。こういう目的があるだからそのために仕事する。だったらその人にはそれが正解だし、逆に自分は、毎日寝てるのが幸せだから、睡眠時間奪われるのは耐えられない。とか、私は、ぼーっとしてるのが幸せだからとか、一人の時間がなにより大切だからとか、それがその人にとって何よりも変え難い幸せならそれを第一優先にできる生き方も正解。その人の正解はその人その人で違う。

なのに正解を外に持ち出すから、あれ?なんで生きてる?って彷徨いだすんではないだろうか。自分の幸せが何かが分からなくなってるから。特に、幸せを知らず大人になったのであれば尚更。

愛することで幸せをえる人もいれば愛されることで幸せをえる人もいる。私の理想は両方ともだが、どっちか片っぽが極端に強いひともいるだろう。

そうやって、自分の持つ理想を共感できるもの同士で共感し合ってる分にはいいけれども、その境界を超えて、ひとつの理想を形作って当てはめようとし出すから、狂ってくる。でも、探さないと、分かり合える人とは巡り会えないし。難しいところだと思う。

でも、誰も間違ってないとか言い出すと、今度は犯罪も正解になる。だから、他人の領分を脅かす行為はどこからが犯罪で、どこからがモラル・常識の範囲内とするのか、そのためのルールと罰をどうするかを宗教と置く。が本来の宗教の扱われ方なんじゃないかなーと思った。違うかもしれないけど、そういう側面もあると思う。宗教には色んな役割があると思うので、その一部って感じで。

だから、その人の持つ理想を否定すると争いになる。かと言って認め合うだけで済ませたいのに、それをするとじゃあ、受け入れましょうね。が出てきて、それが悪感情になる。だから難しいわけだ。認め合う。互いのいい所は受け入れる。で終わらせるのが本当に難しいところ。

理想を相手に押し付けるのは良くないことだけど、語り合って認め合う程度で済ませられないのが現状。自分も含めて。まだ個人レベルでできることでも、集団レベルになるとさらにもっと難しくなる。

ひとつの理想を取ってしても、広めたい派、利用したい派、救われたい派、様々な考え方がある。

だから、ここに書いてる時点で、私は広めたい派なのかもしれない。くらいに留めておくのがいいのかもしれない。

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