《適当雑記35》2021年12月5日(日)【自分にとっての父の日】
〚1647文字〛
こんばんわ。入谷です。
今日は快晴で気持ちの良い冬の日曜日でしたね。1999年の12月5日も日曜で、こんな風に晴れていた気がします。
今日は親父の命日でさっきお墓参りに行ってきました。
今回は自分の親父について話してみたいと思います。
親父というのは世間的に影が薄くて、うちも例外ではありませんでした。
色で例えると透明。限りない白。仕事は真面目にするものの、寡黙で家庭を顧みず、あとはパチンコ漬け。もうほんとパチンコばっかり。休日は家族旅行の約束をすっぽかして銀の玉を追い掛けるギャンブル好きな親父でした。
それでもたまに勉強を見てくれることもありました。
理数系出身の親父は得意になって小学生の息子がまだ習ってもない関数を教えてくれたけど、あれが本当に嫌で早くパチンコ行け、って思ってました。親父、ごめん。(∩´∀`)∩
大体数字が得意ならパチンコの勝率割り出してどれだけお金溶かしているか分かるんじゃないか・・とか思いますが。
もう22年も経つので親父のことを思い出すことはあまりないですが、親父に教わったことが2つあります。
1つ目は「男は食欲・性欲・睡眠欲に勝てなきゃダメだ!」というもの。
よく考えたら会話がない父子関係ですから、それくらいしか子供に言うことが無かったのでしょう。そして余命宣告された際に「俺はもう駄目だ!。お前がこれから母ちゃんを守るんだぞ!」と言われたことです。これはまぁ胸に沁みる言葉でした。
2つ目は『親父の背中を超えていく』ことです。
これは親父から言われたのではなく、自分が親を見送って思ったことです。
自分の父親は先に書いたようにギャンブルに依存していました。
元々精神的な不安や何か問題があったのだと思いますが、特に病気になってからは借金を重ねてよりのめり込んでいきました。
残された時間も少ないというのに家族との思い出作りもそっちのけで、あの煩くて臭くて落ち着かない建物に篭もり、目の前を流れ落ちる玉をひたすら視線を注いでいたのです。
当時はそれを最低だと嫌悪していたのですが、今になってみると何となく理解できるのです。親父はパチンコによって生かされていたのだと。
39でがんが分かり、仕事も戦力外となって窓際に追い遣られ、失意の中、家のローンや、病気の恐怖とか色々な心配事もあって、家長として、男として、1人の人間として人生を振り返った時、きっと思ったのでしょう。
自分の人生の意味を。
当時は不治の病的な感じでしたから、
治る見込みもなく、とてつもない虚しさや寂しさに押し潰されて孤独で辛かったのだと思います。
だから今は全くパチンコ癖を責めるつもりもありません。
そんな親父が僕に教えてくれたことは、依存的にも刹那的にも生きてはならない、ということです。
もう既に僕も色々病気ですが、いずれ来る死に対し、恐怖や虚しさと正しく向き合い、勇気を持って穏やかに臨むことが、親父の屍を越えていくことなのではないかと思っています。
僕もそこまで強い人間ではないのであくまで理想ではありますが・・。
薄情に思われるかもしれませんが、中学生当時は親父が亡くなって悲しいという気持ちは実はあまりありませんでした。
塾の模擬試験を終えて家に帰ると母親から留守電が入っていて、親父が亡くなったと聞いた時も、葬儀や出棺の時も寧ろ気丈にいて、その後も自分の病気があったり、何かと踏ん張らねばならいことが多くて、それを封印していたように思います。
だから成人して大人なって最近ですよね。
ふと思うのは。ああ、親父はもういないんだなって。
一緒に酒を飲んだり、何か相談したり、どこかへ出掛けたり、そんなことの出来る親父はいないんだよな、と。
そうしみじみ感じたのは17回忌の丁度命日の時でしたから大分ラグがあったように思いますが、今日12月5日が僕にとっての父の日と勝手にさせてもらっています。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。皆様にとって明日が一日になりますように。。
