人は本当に自由に耐えられるのだろうか
最近、授業とは別に学習をサポートしている学生がいる。
もともとは学生の方から
「もっと勉強したいので教えてください」
と相談に来たことがきっかけだった。
正直なところ、こちらも忙しい。
授業もあるし、会議もある。
それでも、自ら学びたいと言う学生がいるなら応援したいと思い、時間を作ってきた。
最初は何人かいた。
もっと成長したい。
もっと力をつけたい。
そんな話をしていた。
しかし、しばらくすると来なくなる学生が出てくる。
連絡がなくなる。
自然と足が遠のいていく。
そんなことが続くと、ルールを作った方がいいのではないかと思うことがある。
来られない時は連絡する。
無断で休まない。
そうした決まりがあれば、お互いにやりやすくなるかもしれない。
だが、その一方で別の考えも浮かぶ。
人は管理されたくない。
自由に学びたい。
自由に選びたい。
そう考える人も多いだろう。
しかし、本当にそうなのだろうか。
私自身もそうだ。
筋トレを続けるために曜日を決める。
仕事には締切を作る。
やるべきことを予定表に書き込む。
完全に自由にすると、かえって動けなくなることがある。
学生も同じなのかもしれない。
勉強したいと思う。
成長したいと思う。
しかし自由だからこそ、
「今日はいいか」
と思ってしまう。
人は自由を求めているように見える。
しかし実際には、ある程度の制約があった方が続けやすいこともある。
だから世の中には締切がある。
約束がある。
ルールがある。
それは人を縛るためだけではないのかもしれない。
むしろ、人が前に進むための支えになっていることもあるのだろう。
もちろん、制約が多すぎれば息苦しくなる。
自由が少なすぎれば反発も生まれる。
だから難しい。
私はこれまで、自由があれば人は伸びると思っていた。
しかし最近は少し違う見方をしている。
人は自由を求めているのではなく、
自分を前に進めてくれる「ちょうどよい制約」を求めているのかもしれない。
そんなことを考えた一日だった。
