NHKドラマ『片想い』ー好きでいることがすべての始まり
過去に、映画『片思い世界』とSUPER BEAVERの『片想い』について熱く書き留めたわたくし。
またしても、かたおもいについて書いちゃいます。今回は、2日に渡ってNHKで放送された特集ドラマ『片想い』について。
少し前に読売新聞にこのドラマの紹介がされていたようで、母がそれを写真に撮って送ってきてくれた。〝「好き」という気持ちが原動力になった時のはつらつとした表情をみずみずしく描き出す〟から始まり、〝爽やかさに包まれた作品〟で締め括られていたその文章に、おお、おお。なんか良さそう、と期待が膨らむ。そしてキャストは芦田愛菜×岡山天音。さすが母。私の好みを分かっている。すぐさま「観たい!」と返信した。その時からなんとなく良いドラマな予感がしたんだ。
結果、とても私好みで心温まるドラマでした。
明け方、東京のベランダで黄昏るケンケンこと健二。澄んだ水の中に落ちていく豆腐。この時点で、あ、好きかも。って思うのなんなんだろう。なんとも形容しがたい質感のようなものがピタッと自分の好みにハマることがある。これこそがドラマや映画、映像作品の魅力だよなあ、なんて思う。
幼馴染のケンケンが大好きすぎる優衣。いいねぇ。私もリアルでも好きになるとオタクっぽくなるタチなので、分かる。そして、『冬のなんかさ、春のなんかね』であまりにも報われない片思いボーイの岡山天音を見届けた翌日に片思いされる側の岡山天音を味わえたのはなんとも贅沢。かっこいいじゃないか、ケンケン。
仕事を辞めて、突然健二の元へ会いに行った優衣に理由も聞かず、銭湯+お好み焼きに連れて行ってくれるケンケン、やばくないですか。恋とか男とかじゃなくて、もう人間として。
そして、優衣が仕事を辞めた理由。
ブラック企業ではなくて、むしろいい人たちで、同時に複数のことを出来ない自分が100%悪い。
ああ〜〜刺さる。
人や環境が悪いのも苦しいけれど、自分に向いていないことをすることでいい人たちに迷惑をかけてしまうのもまた苦しいんだよな。
だけど、それを優衣になにしてくれてんだって言わなくて済むから「よかった」って言うケンケンがなんとも温かいんだ。
後編では健二も仕事を辞めて、その経緯が描かれる。夢見てしまったことと現実の厳しさ。好きだったはずのことが自分を苦しめる原因になってしまうそのつらさ。だけど、互いにそんな話が出来る二人の関係性を素敵だと思う。川辺でのシーン、よかったな。
ただの恋愛ドラマではなく、そんな一種の生きづらさみたいなものが描かれているのが好きだなと改めて思う。
前編でいちばん好きだったのは、銭湯帰りの二人が商店街を駆け抜けるシーン。ちょっと泣きそうになるぐらい良いシーンだったよ。
また、免許を取ることが出来なかった優衣をケンケンはこんな風に言う。
「向いてないんだよな、色んなことたくさん考えて色々注意してっていうのがさ。一つ一つ集中して丁寧にやるのが向いてるんだよ。豆腐屋とか」
自分に適している環境で息を吸って、吐くこと。これがなんとも難しい。
優衣は豆腐屋と縁があったけれど、自分に合っていない環境から抜け出せなかったり、上手く巡り会えなかったり、窒息しそうになっている人はきっとごまんといるのだろう。
優衣もケンケンも帰って来れる場所があってよかったなあ。
そして、豆腐屋の機械が故障してからの千寿子おばあちゃんの語りに熱く胸を打たれたのだった。
またしても、思う。
この『片想い』も恋愛の片想いにとどまらないメッセージ性を持った片想いだったんだ、と。
やめること諦めることは全然恥ずかしいことなんかでない。我慢してやり続けることだけが正しいわけじゃない。好きで好きでたまらない、理由なんてない、それがいちばん信用できる。
何かを好きでいることが全ての始まりだ。もちろん好きだからって思いがかなうわけでない。片想いかもしれない。いいんだ、片想いで。
片想いせねば何も始まらない。ずっと片想いでいいんだ。想うことが大事なんだ。
岩手訛りで続くこの台詞たちが、胸を突く。
好き、という気持ちは間違いなく人生の原動力で、だけど、叶わなかったり、苦しむことだってある。
それでも、好きでいること、想い続けることは、きっと尊い。
優衣の切り込みで、またがんも特売になっちゃったラストに思わず頬がゆるむ。
自分もかなり疲れている時期だったのもあって、このドラマにすごく心が癒された2日間だった。
お豆腐のように柔らかく、優しく、そっと包み込んでくれるようなあたたかな物語。
ああ、お豆腐とがんもが食べたいなあ。
観た後に同じものを食べたいなって思わせてくれる作品は、素敵だ。
