衣替えの日
5月23日がただのカレンダーの一枚だとしたら、6月1日は、春の名残を押し出し、初夏の光を迎え入れるような、特別な響きを持っている。
1875年のこの日、赤坂に東京気象台が設置された。
同じ日付の数十年後には電波法が施行され、
見えない空気に声や音楽が乗り始めた。
空の機嫌を伺い数字に置き換えること。
見えない空気に声や音楽を乗せること。
この二つが同じ日にルーツを持っているのは、偶然にしては少し出来すぎている。
日本人はこの日を「衣替え」の節目として重宝してきた。
明治政府が官吏の制服を夏服に切り替えるよう命じたのが発端だが、
それ以前から僕たちは「更衣(ころもがえ)」という、
もう少し静かで、祈りに近い習慣を持っていた。
平安の昔、人々は旧暦の4月と10月に、
服だけでなく寝具や部屋の仕切りまでを一新した。
それは単なる温度調節ではなく、季節の変わり目に溜まった目に見えない「穢れ」を払い落とす儀式でもあった。
かつての夏は、おそらく今よりもずっと慎ましく、それでいて峻烈なものだったに違いない。
今の僕たちが生きる世界では、
6月1日に冬服を脱ぐのは少しばかり遅すぎる気がする。
5月の連休が終わる頃には、太陽はすでに容赦ない光を投げかけてくるし、アスファルトからは逃げ場のない熱気が立ち上がっている。
気象庁の古い記録を紐解くまでもなく、
季節の輪郭が、昔よりも少しぼやけてきた気がする。
僕の中にも、遠い日6月の風が少しだけ湿り気を帯びる瞬間に、
糊のきいたシャツの背中に張り付く感覚があった。
現代では、部屋の隅で静かに唸る空調のおかげで、
季節の境界線を曖昧にすることに成功した。
スイッチ一つで、真夏の中に秋の涼しさを呼び出すことができる。
便利ではあるけれど、その便利さの陰で、
季節が変わる瞬間に立ち会う権利を、いつの間にか手放してしまった。
もし政府がこの「衣替えの日」を改定しようとするなら、願わくば5月の連休のすぐ後ろあたりにそっと移動させてほしいものだ。
そうすれば、新しい半袖のシャツに腕を通す高揚感と、
連休明けの憂鬱さが、ちょうどいい具合に中和されるのではないかと思う。
朝の満員電車の空気も、ほんの少しだけ軽くなる気がする。
明治の官吏たちも、平安の貴族たちも知らない、新しい季節の予感がある。 その風の中に、今年だけの季節がそっと立ち上がってくる。
ただ、今日は、少し気の早い台風が近づくという。
昨日までの暑さとは異なって、「衣替えの日」どころではないのだ。
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