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富士ヒル出走者に捧ぐ😘

 私の趣味は、確定申告の最終日の人間観察だ。
 足立税務署は特に面白い。
 最終日を狙って海千山千の猛者たちがやってくる。耳が遠い振り、揃っていない書類、そして、逆ギレの怒号が至るところから聞こえる。
 領収書をスーパーのレジ袋にぶち込んできた爺さん。カウンターの目の前まで来て「ところで」と質問を思い出す婆さん。職員と顔馴染みになり、まずは天気の話から入る常連。みな一様に、急いでいない。
 時間が迫っているのは税理士だけで、足立区民は彼らのそんな人情をついてくる。
 くぅ、痺れる。
 締め切りという刃を、人情という綿でくるんで受け流す。年季が違う。
 そんな人間模様を見るのが私の趣味だった。
 一年に一度の祭りだった。
 妻からは、そんな私の高尚な趣味は理解されない。
「もうさっさと、空いてるときに行ってきなさいよ」
 と、情緒もへったくれもなく、確定申告をさっさと終わらせようとしてくる。私が熱弁をふるえばふるうほど、妻は理解できないものを見る視線を向けてくる。挙げ句、娘たちに「どうしてお父さんを選んだの」と聞かれて、妻は「わからないのよねえ」と本気で首を傾げる。
 家族からも理解されない趣味だ。
 だが、コロナ禍に入って、その趣味が強制終了してしまった。
 郵送でもいい、e-Taxでもいい。そう推奨された瞬間に、私の祭りは閉幕した。猛者たちは家から一歩も出ずに申告を済ませ、最終日の足立税務署は、ただの静かな平日に戻ってしまった。
 私が愛したあの殺伐とした騙しあいのフェスティバルが姿を消していたのだ。
 手持ち無沙汰だった。
 代わりに始めたのがロードバイクだ。
 なにを思ったか、四〇を越えたおっさんが手を出したのはロードバイクだった。しかも外出禁止令のため外を走れないから、始めたのは室内でできるzwiftというやつである。
 最初は腹の肉を落とすだけの目的だった。
 健康診断の数値を、ほんの少しだけ下げたかった。それだけだ。
 だが、一日、一日とのめり込んで行ってしまった。
 画面の中で、見知らぬ外国人を抜く。抜き返される。心拍が上がる。気づけば、汗だくのおっさんが暗い部屋で見えない坂を登っている。
 学生時代に運動をしたことがない引きこもりの私が、気づくと完全な中毒者となっていた。
 FTPだのPWRだの、一年前には存在も知らなかった言葉が、口をついて出るようになった。
 オーバートレーニングも一度体験した。
 脚が回らない。心拍も上がらない。体は鉛のように重いのに、サドルから降りられない。あれほど他人の悪あがきを肴に痺れていた私が、いつのまにか観察される側へ回っていた。
 かつて私は、祭りの見物人だった。
 今は、誰も見ていない部屋で、どこにも進まない自転車を漕ぎ続けている。
 観客は、ペダルの先のパワーメーターだけだ。
 足立区民の年季には、まだまだ遠い。
 そんな私も、自分の実力を知りたくなった。
 チビでガリで、おおよそスポーツに有利でない身体だが、どうやらロードバイク、こと登りに於いては、これがかなり有利に働くらしい。軽い者ほど坂を速く登れる。神様がはじめて私の体型に役割をくれた気がした。
 これは自分の舞台だと、富士ヒルに挑んだ。

 富士ヒル——正式にはMt.富士ヒルクライム。

 六月、富士吉田から五合目までの約二五キロを登る、国内最大級のヒルクライム大会である。坂を登るためだけに、毎年一万人近くが富士の麓に集まる。字面だけ見れば、立派な集団狂気だ。
 しかも、このシステムがよくできている。
 九〇分切りで、ブロンズリング。
 七五分切りで、シルバーリング。
 六五分切りで、ゴールドリング。
 六〇分切りで、プラチナリング。
 一年の努力が、色のついた輪っかひとつに可視化される。賽銭を入れるより、よほど信仰心が芽生える仕掛けだ。
 初参加でシルバーリングを取って、私は有頂天になった。
 自分は速いと確信した。
 井の中の蛙、というやつである。
 まだ上にリングが二つも残っているのに、気分はプロのロードレーサーだ。
 そして私は、さらにこの泥沼にハマっていく。
 zwiftをするたび娘たちからは「汗臭い」とファブリーズを投げつけられる。日曜の朝早くに走り出し、昼前に帰ってくると、家には誰もいない。なんなら、玄関の鍵まで閉まっている。そして私は、鍵を持っていない。
 締め出されたおっさんが、ビンディングシューズをカチャカチャ鳴らしながら、自宅の前で家族の帰りを待つ。
 ひゃほーい、もう少し走って来れるぜ。
 と、本当にもう荒川に一往復走りに行って、ハンガーノックになりかけ、妻にSOSの電話をしたのはいい思い出だ。
「あなたと一緒に長生きしたくないので、好きなだけ自転車に乗ってください」
 とお墨付きをもらった私は、ついに軽量化というものにまで手を出していく。
 次々に飛んでいく札束と、入れ替わりに増えていく自転車とホイール。
 それに反比例して、冷めていく妻と娘の視線。
「大きくなったらパパと結婚する」
 十年前、そう言ってくれた娘の面影は、もうどこにもない。
 退路を絶たれた私は、医師からも「依存症ですね」と太鼓判を押され、その引き換えにまた少しだけ脚力を手に入れた。そうして、多くのものをぎりぎり失わないよう両手で掴んだまま、三度目の富士ヒルを迎える。

 * * *

 だが、スタートラインには、仲間たちがいる。
 富士吉田の朝は、霧に覆われている。肌を冷たい風が撫でていく。だが、あたりに張りつめているのは、殺気にも似た気配だ。誰もが無言で、白い息を吐きながら、ただ前だけを見ている。
 仲間と言っても、元来の人見知りゆえ、こちらから話しかけたりはしない。
 それでも、彼らの身体と、車より高いロードバイクを見れば、ひと目で魂の同類だとわかる。
 脂肪という脂肪を削ぎ落とし、腹が抉れている。会社ではきっと「痩せすぎだ」と心配され、健康診断では心臓の肥大と徐脈を指摘されて、それでも内心ほくそ笑んでいるはずだ。アスリート心臓。素人にはわからない、玄人だけの勲章である。
 人の細胞は、一年の食べ物で入れ替わるという。
 そして、ロードバイク乗りというのは、判で押したように同じものを食べている。速くなればなるほど、食事の最適解も似通ってくる。
 オートミールを流し込み、味のしない鶏肉を噛む。
 いつしか、家族とは違うものを食べる習慣がついていた。
 つまり——細胞のレベルで言えば、妻や娘よりも、この隣に立つ名も知らないおっさんのほうが、よほど私に近いのだ。
 これはもう、仲間というより、細胞と魂の家族である。
 そしてこの家族たちは、一時間後、ゴールで本気の男泣きをする。坂をただ登っただけの中年が、人目もはばからず号泣する。
 ああ、これだ。
 これが、私の愛した一年に一度の祭りだったのだと、不意に気づく。
 かつて私は、足立区民の人情を、客席から眺めているだけだった。
 今は違う。
 プレイヤーとして彼らと競い、風よけに使い、使われ、ひとつのゴールを目指す。
 一年に一度の、私の祭りが、いま始まる。
 いや、私たちだ。
 霧の向こうで、号砲が鳴る。
 さぁ、参ろう。

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