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終点ログ ― 明日、あなたの死が投稿される

あらすじ

深夜零時にだけ開く謎の掲示板「終点ログ」。そこには、翌日に死ぬ人間の名前と死に方が正確に書き込まれていた。半信半疑で眺めていた会社員の真島遼は、ある夜、恋人・佐伯未央の名前を見つけてしまう。悪質な悪戯だと笑い飛ばそうとするが、掲示板の投稿は現実となり、関係者は次々と不可解な死を遂げていく。投稿を止めようとするほど、遼の周囲では“死の予告”が増殖していく。そして遼は知る。この掲示板は未来を予言しているのではない。死そのものを、呼び寄せているのだと。

1章:「零時に開く掲示板」


真島遼がそのサイトを知ったのは、雨の降る火曜の夜だった。

残業を終えて帰宅したのは十一時四十分。都内の外れにある一Kの古いマンションは、湿気を吸って壁紙がわずかに波打っていた。靴を脱いだとき、廊下の奥から、ぱき、と乾いた音がした。木材が湿度で鳴ることは珍しくない。そう頭ではわかっていたが、遼は一瞬だけ、誰かが部屋の中を歩いたような気配を感じた。

もちろん、部屋には誰もいない。

恋人の未央は今夜、友人たちと食事に出かけている。遼はネクタイを緩め、コンビニで買った冷えたパスタを電子レンジに放り込んだ。回転皿の上でプラスチック容器がかたかたと震える音が、妙に大きく聞こえる。換気扇を回し、テレビをつける。バラエティ番組の笑い声が流れた瞬間、少しだけ部屋に人の気配が戻った気がした。

食事を終え、シャワーを浴び、ベッドに腰掛けたのは零時少し前だった。眠るにはまだ早い。何気なくSNSを眺めていると、高校時代の友人である小田島祐樹からメッセージが届いた。

「なあ、終点ログって知ってるか」

意味のわからない文面に、遼は「なにそれ」と返した。すぐに返信が来る。

「今ネットでじわっと広がってるやつ。洒落にならん。絶対に検索すんなよ」

そう言われると、かえって気になるのが人間だ。遼は小さく笑い、ブラウザを開いた。検索欄に「終点ログ」と入力する。だが、大手検索エンジンでは関係のない鉄道掲示板や都市伝説まとめしか引っかからない。祐樹は続けて、「普通には出ない。URL送る」とだけ打ち、数秒後、英数字と記号だけで構成された不可解なリンクを送ってきた。

遼は一度だけためらった。

リンクの文字列は、どこか不自然だった。ドメイン名が読めないのではない。見ているうちに、文字の並びそのものが、少しずつ変わっているように思えたのだ。たとえば最初は「l」があった場所に「1」があり、次に見たときにはそれが大文字の「I」になっている。錯覚だろう。目の疲れのせいだ。遼はそう決めつけ、リンクをタップした。

画面は真っ黒になった。

しばらくして、白い文字が一行だけ浮かび上がる。

終点ログへようこそ。

その下には、注意書きも説明もなかった。ただ、真っ黒な背景の中央に、投稿欄のような長方形がひとつ、その下に時刻だけが表示されていた。

00:00

秒が切り替わった瞬間、画面全体がふっと明るくなった。掲示板が開いたのだと気づくまでに数秒かかった。

異様に簡素なデザインだった。スレッド形式ですらなく、時刻と名前と本文が時系列で並ぶだけ。投稿者名はすべて「乗客」。アイコンも署名もない。なのに、そこに流れている文章は、匿名掲示板特有の軽薄さとは違っていた。短く、簡潔で、どれも事務的だった。

00:00 乗客
明日 東京都練馬区 会社員 男 転落 頭蓋開放

00:00 乗客
明日 神奈川県川崎市 大学生 女 感電 浴室

00:00 乗客
明日 埼玉県草加市 無職 男 縊死 首が足りない

遼は眉をひそめた。悪趣味なデスノートごっこ。そんな感想が最初に浮かんだ。だが、三つ目の投稿の末尾にある「首が足りない」という一文だけが妙に生々しく、喉の奥に冷たいものを残した。

スクロールしていくと、過去ログらしきものもあった。昨日、一昨日、さらにその前の日付。いくつかの投稿には、その下に短い追記がついている。

確認済
ニュース化待ち
回収完了

回収。何を。

その言葉を見た瞬間、背後で、かち、と小さな音がした。

遼は振り返る。キッチンとの境に吊られた古びた引き戸が、五センチほど開いていた。さっきまで閉まっていたはずだった。換気扇の風で動いたのだろうか。けれど、部屋の窓は閉めている。エアコンもつけていない。

立ち上がり、遼は引き戸に近づいた。戸の向こうは狭い台所だ。流し台の上に置いたコップがひとつ、シンクの縁ぎりぎりまで移動している。自分でそう置いた記憶はない。

胸の奥がざわついた。

「……疲れてんな」

誰に言うでもなく呟き、コップを元に戻す。ベッドへ戻り、スマホを見ると、掲示板の最下部に新しい投稿が増えていた。

00:03 乗客
見ている

遼は息を止めた。

投稿には地域も性別もない。ただ二文字だけが、白く浮かんでいる。数秒後、それは消えた。リロードもしていないのに、投稿そのものがなかったことになっている。

その代わり、別の書き込みが追加されていた。

00:04 乗客
開けるな

ぞっとした。

開けるな。何を。

直後、玄関のドアが、こん、と鳴った。

軽いノックだった。郵便受けにチラシでも差し込まれたのかと思うほど、弱い音。だが時刻は零時を過ぎている。この時間に訪ねてくる相手などいない。未央が合鍵を持っているから、帰ってきたなら普通に開けるはずだ。

こん。こん。こん。

今度は三回。

遼は立ち上がれなかった。視線だけが玄関の方へ向く。ワンルームの狭い部屋では、玄関から居室までたった数メートルしかない。なのにその距離が、暗いトンネルのように遠く感じられた。

スマホが震えた。未央からのメッセージだった。

「今帰りのタクシー乗ったよ。もうすぐ着く」

遼は一気に息を吐いた。なんだ、未央か。そう思った瞬間、玄関の向こうから、ひそひそとした声が聞こえた。

「りょう」

凍りついた。

未央の声ではない。女の声だったが、若くも老いても聞こえる曖昧な響き。ドアに耳をつけて話しているような、湿った近さがあった。

「りょう、あけて」

喉がひくりと鳴る。遼はスマホを握ったまま後ずさった。未央から再びメッセージ。

「まだ着かないよ、道混んでる」

では、今、ドアの外で自分の名を呼んだのは誰なのか。

こん、こん、こん。

ノックがまた三回。今度は少し強い。

そして掲示板の画面に、一行だけ新しい文字が現れた。

00:07 乗客
返事をすると早い

遼は悲鳴を飲み込んだ。

反射的にスマホを伏せる。部屋が急に静まり返った。換気扇の回る音も、冷蔵庫の駆動音も消えたように感じる。ただ、自分の心臓の音だけが耳の内側で暴れていた。

外からのノックも止んでいた。

恐る恐る、遼は再びスマホを見た。掲示板は閉じていた。ブラウザのタブごと消えている。履歴にも残っていない。祐樹とのメッセージ画面に戻ると、送られてきたはずのURLも削除されていた。

遼はそのまま一睡もできず、夜を明かした。

午前三時過ぎ、ようやく未央が到着したころには、玄関のドアノブに、べったりと黒い手形がついていた。未央は「何これ、汚い」と眉をひそめたが、それが内側ではなく、外側から掴んだような形で残っていることに気づくと、二人とも何も言えなくなった。

翌朝。

通勤電車の中で、遼はニュースアプリを開いた。地方欄の小さな記事に、昨夜見た投稿とよく似た内容が載っていた。

埼玉県草加市のアパートで四十代男性が首を吊って死亡しているのが見つかった。遺体の損傷が激しく、警察は慎重に捜査している。

首の損傷が激しい。

その一文を見た瞬間、電車の窓に映る自分の顔の後ろで、誰かがにやりと笑った気がした。

遼が振り返ったとき、そこには吊り革を握る疲れた通勤客しかいなかった。

だが彼はもう理解していた。

昨夜見たものは、ただの悪趣味な怪談サイトなどではない。

あれは、本物だ。

そして今、自分はそれに“見つかっている”。

2章「恋人の名前」


その日の仕事は、何をしたのかほとんど覚えていない。

遼は都内のIT企業で運用管理を担当していた。障害報告書の数字を整え、顧客からの問い合わせメールに定型文を返し、会議では上司の顔色を見て相槌を打つ。いつもなら無意識にこなせる単純作業が、今日は何度も手からこぼれ落ちた。ファイル名を打ち間違え、送信先を誤り、昼過ぎには上司から「顔色悪いぞ、帰るか」と言われたほどだった。

だが帰りたくなかった。

部屋に戻れば、あの玄関の前を通らなければならない。あの黒い手形を思い出す。昨夜、ドアの向こうで自分の名を呼んだ声を思い出す。

昼休み、遼は非常階段で煙草を吸う祐樹に電話をかけた。祐樹は広告代理店に勤めており、昔から都市伝説や裏サイトの類に妙に詳しかった。

「おまえ、終点ログのこと、どこで知った」

電話口でライターの音がして、祐樹が低く笑った。

『やっぱ見たか。だからやめとけって言ったのに』

「冗談じゃない。あれ、何なんだ」

『知らねえよ。最初は海外のデッドウェブ系かと思ったけど違う。SNSでたまに話題になる。見たやつの中には、身近な人間の名前が載ったって騒ぐやつもいる』

「騒ぐやつって」

『その後、だいたいアカウント消える』

遼は黙った。非常階段の鉄柵の向こうで、ビル風がうなっている。空は薄曇りで、街全体が汚れたガラス越しに見えた。

『一応、噂だけはある』と祐樹が言う。『零時ぴったりに開く。見てるだけならまだ平気。でも、書き込まれた名前を知った時点で、向こうに認識される。だから本当にヤバいのは、そこから先らしい』

「向こうって何だよ」

『知らん。投稿者。掲示板そのもの。死体集めてる何か。好きなの選べ』

軽口のはずなのに、祐樹の声には笑いがなかった。

『いいか、今夜は見んな。絶対見るなよ。未央ちゃんにも言っとけ。夜中に名前呼ばれても返事するな。ドアも開けるな。鏡を布で隠せ』

「待て、何で鏡」

『知らねえ。ただ、そうしろって書いてあった』

「どこに」

問い返した瞬間、祐樹が答えに詰まった。

数秒の沈黙。やがて小さく舌打ちが聞こえる。

『……悪い。俺、今なんて言おうとした?』

遼は背筋が冷えた。祐樹の物忘れとは違う。何かを思い出そうとして、その部分だけ脳が空白になったような口ぶりだった。

『とにかく今日は実家帰れ』祐樹は早口で言った。『ひとりでいるな。できれば未央ちゃんとも別々にいろ。名前が載ると、近い人間から引っ張られるって話もある』

電話はそこで切れた。

午後六時を回ったころ、未央から「今日は早く終わりそう。夜ご飯作るね」とメッセージが届いた。いつも通りの、絵文字のついた明るい文面。それだけで少し救われる。遼は仕事を切り上げ、急いで帰宅した。

マンションの一階に着くと、エントランスの掲示板に新しい張り紙が増えていた。

深夜の悪質な訪問販売にご注意ください。決してドアを開けないでください。

昨夜の件が通報されたのかもしれない。そう思いながらエレベーターを待っていると、ふいに背後から声がした。

「真島さん」

振り返ると、管理人の老女が立っていた。小柄で、いつも笑顔を崩さない人だ。だが今日は表情が硬い。

「昨夜、何かありましたか」

「え?」

「二階の方が、夜中に女の人の声がずっとして怖かったって。どなたか来られたんですか」

遼は一瞬迷い、「いや、たぶん違う部屋じゃ」と曖昧に返した。老女はしばらく遼の顔を見つめ、それからひどく小さな声で言った。

「夜に呼ばれても、返事しないでくださいね」

エレベーターの扉が開いた。遼が乗り込もうとすると、老女がさらに言葉を継いだ。

「名前を知られると、長いですよ」

ぞくりとした。問い返す前に、扉は閉まった。

部屋に戻ると、未央はすでに来ていた。エプロン姿でキッチンに立ち、鍋をかき混ぜている。カレーの匂いがして、それだけで遼の張りつめた神経が少しほどけた。未央は振り返り、「おかえり」と笑ったが、すぐに眉を寄せた。

「どうしたの。ほんとに顔色悪いよ」

「昨日、ちょっと変なサイト見てさ」

遼は努めて軽く話した。全部を話せば、未央まで怯えさせる。そう思い、終点ログのことは都市伝説サイトくらいにぼかし、昨夜のノックと黒い手形のことだけ伝えた。

未央は真顔で話を聞いていたが、最後には苦笑した。

「それ、誰かの悪戯じゃない? 祐樹さんって、昔からそういうの好きだったじゃん」

「俺もそう思いたい」

「今日はうち泊まる? その方が安心でしょ」

そう言われ、遼は一瞬うなずきかけた。だが祐樹の言葉が引っかかる。名前が載ると、近い人間から引っ張られる。離れていた方がいいのかもしれない。

「いや、大丈夫。今夜は俺も気にしすぎないようにする」

未央は納得していない顔だったが、それ以上は何も言わなかった。

食事を終え、二人で食器を片づけていたときだった。未央のスマホがテーブルの上で震えた。画面を見た未央が、「ん?」と首をかしげる。

「知らない番号」

「出るなよ」

「うん、出ない」

だが着信はすぐに切れ、数秒後、今度はメッセージが届いた。

未央が何気なく画面を開き、固まった。

「どうした」

返事がない。遼は未央の肩越しに画面を見た。

送信者不明。本文は一行だけ。

明日 佐伯未央 女 轢断 白線の内側

遼の頭の中で、何かが真っ白になった。

「……なにこれ」

未央の声が震える。冗談だと言うには、文面があまりに終点ログそのものだった。漢字の並び、無機質な記述、そして最後の妙に具体的な死に方。

遼はすぐに自分のスマホを開いた。ブラウザ履歴には残っていない。検索にも出ない。だが昨夜、確かに見たあの掲示板が頭から離れない。

零時まで、あと二時間。

遼は未央に「今日は絶対に一人になるな」と言い、事情をある程度まで打ち明けた。未央は半信半疑のまま、それでも顔を青ざめさせていた。悪質ないたずらだとしても、ここまで具体的な死の予告は笑えない。警察に相談しようという話になったが、匿名メッセージだけではまともに相手にされないだろうという結論に達した。

二人は結局、今夜は遼の部屋で一緒に過ごすことにした。窓の鍵を確認し、玄関のチェーンをかけ、洗面所の鏡にはバスタオルを被せた。未央は「なんかほんとにそれっぽくなってきた」と冗談めかして言ったが、笑えていなかった。

十一時五十八分。

テーブルの上に置いたデジタル時計の秒数が進んでいく。二人とも無言だった。テレビは消してある。部屋の中は妙に静かで、外を走る車の音だけが遠くから聞こえてくる。

十一時五十九分五十秒。

遼は震える指で、祐樹から消えたはずのURLをメモアプリに打ち込んでみた。なぜか、正確に覚えていた。自分でも気味が悪いほどに。アクセスできるはずがない。そう思いながらエンターを押す。

画面は、昨夜と同じように真っ黒になった。

未央が息を呑む音がする。

終点ログへようこそ。

零時ちょうど。掲示板が開く。

一番上に表示された最新の投稿を見た瞬間、未央が喉の奥で短い悲鳴を漏らした。

00:00 乗客
明日 東京都中野区 佐伯未央 女 轢断 白線の内側

遼はスマホを取り落としそうになった。

その下に、さらに新しい投稿が追加される。

00:00 乗客
閲覧者 男 同行 遅延あり

「閲覧者って……遼のこと?」

未央がかすれた声で言う。遼は答えられなかった。

直後、部屋のインターホンが鳴った。

ピンポーン、という普通の呼び出し音。その日常的すぎる響きが、かえって異様だった。二人は同時に玄関を見た。続いて、ドアがこんこん、と叩かれる。

「佐伯さん、いますか」

女の声だった。穏やかで、どこにでもいそうな若い声。

「宅配です」

未央の顔から血の気が引いた。今日は何も注文していない。遼は無言で首を振る。すると、外の声は間をおいて、今度はもっと親しげに言った。

「未央ちゃん。開けて」

遼の隣で、未央の肩が大きく震えた。

それは、未央の母親の声だった。地方に住んでいて、こんな時間に来られるはずのない人の声。

「未央ちゃん、お母さんだよ。寒いの。開けて」

未央は唇を押さえ、涙目で遼を見た。外の声は続く。

「ねえ、駅で転んじゃってね、痛いの。早く開けて。脚が、脚がちぎれそうで」

最後の一言だけ、声色が変わった。母親の声ではなくなった。無数の人間の声が重なったような、ねばつく囁きだった。

掲示板に、新しい一行が現れる。

00:02 乗客
白線の内側へようこそ

同時に、未央のスマホが鳴った。画面を見る。発信者は「お母さん」。

だが外からも、同じ着信音が聞こえていた。

部屋の外にいる何かも、同じ相手から電話を受け取っている。

遼はその瞬間、本能で理解した。

これは脅しではない。予告ですらない。

もう始まっているのだ。

第3章「書き込みは現実になる」

インターホンは、三度鳴ったあと静かに途切れた。

だが、外に“いる”気配は消えなかった。

ドアの向こう側に、確かに誰かが立っている。視線も、呼吸も、こちらを覗き込むような圧も、すべてが扉一枚を隔てて存在している。

未央はスマホを握りしめたまま、動けずにいた。

画面には「お母さん」からの着信。だが、同じ音がドアの外からも聞こえている。

つまり――

「同時に鳴ってる……」

未央の声は、ほとんど空気に溶けていた。

遼はゆっくりと首を振る。

「出るな。絶対に」

外の“声”は、しばらく沈黙したあと、今度は低く、ねっとりとした響きで囁いた。

「ねえ」

それはもう母親の声ではなかった。

「そこにいるんでしょう」

どん、と鈍い音がドアに響いた。

一度。二度。三度。

叩いているのではない。体重を預けるように、何かがぶつかっている。

「未央ちゃん」

ぐちゃ、と音がした。

まるで柔らかいものが潰れるような、不快な音。

「線の内側にいないと」

その言葉を聞いた瞬間、未央が小さく悲鳴を上げた。

掲示板の文面と、完全に一致していた。

――白線の内側。

電車のホームで聞く、あの注意喚起。

遼は咄嗟に未央の手を掴んだ。

「聞くな。あれは誘導だ」

「でも……」

「声に意味を持たせるな。内容を考えるな」

自分でも何を言っているのかわからない。ただ、本能的に理解していた。

あれは“言葉”ではない。

聞いた人間の中で意味を膨らませ、行動を引き出すための“引き金”だ。

ドアの外で、何かがずるりと床を這った。

ドア下の隙間から、黒い影がにじむ。

指のような形をしたそれが、ゆっくりと室内へ入り込もうとしていた。

未央が息を呑む。

遼はとっさにキッチンに走り、床にあったガムテープを掴んだ。戻ると同時に、ドアの隙間を乱暴に塞ぐ。テープを何重にも貼り、影が入り込む隙間を物理的に潰した。

その瞬間、外から、ぎち、と歯ぎしりのような音がした。

「だめ」

低い声。

「それじゃ、入れない」

ぞわり、と背筋が粟立つ。

“入れない”と言った。

つまり、条件さえ満たせば、入ってこれる。

掲示板の文面が頭に蘇る。

――返事をすると早い。

――開けるな。

――白線の内側へようこそ。

遼は歯を食いしばった。

これはルールがある。

完全な無秩序ではない。何かしらの条件、手順、順序が存在している。

それを守れば“まだ”助かる。

逆に、ひとつでも踏み外せば――

「遼」

未央の震える声。

「これ……見て」

差し出されたスマホ。

終点ログの画面が開かれている。

そこに、新しい投稿が増えていた。

00:05 乗客
抵抗 確認

00:05 乗客
侵入 調整中

遼の喉が乾いた。

侵入。調整。

まるで、こちらの行動を観察しながら最適化しているような書き方。

その直後。

ガンッ!!

激しい衝撃がドアを揺らした。

今度は明確に“叩いた”。

さっきまでの試すような接触ではない。明確な敵意と力を持った一撃。

チェーンが軋む音がする。

「未央、奥行くぞ」

遼は未央の手を引き、ベッドのあるスペースへ下がった。部屋の奥。玄関から最も遠い位置。

そのときだった。

部屋の中で、音がした。

カタ、と。

遼と未央は同時に振り向いた。

洗面所の方角。

さっきタオルで覆った鏡がある場所。

「……うそでしょ」

未央の声が震える。

タオルが、床に落ちていた。

誰も触れていないのに。

鏡が、露出している。

そして――

映っていた。

遼と未央の後ろに、“もう一人”。

遼は反射的に振り返った。

誰もいない。

だが、鏡の中には確かにいる。

ドアの外にいた“それ”と同じもの。

輪郭が曖昧で、顔が定まらない。

だが、笑っていることだけははっきりわかる。

未央が悲鳴を上げた。

鏡の中の“それ”が、ゆっくりと口を開く。

そして、現実と同時に声が響いた。

「見たね」

次の瞬間、ドアのチェーンが、弾けた。

――条件が、揃った。

遼の頭の中で、その言葉がはっきりと響いた。

第4章「削除できない投稿」

ドアが、ゆっくりと開いた。

壊されたわけではない。

内側から鍵を外したように、静かに、滑るように。

ギィ、と嫌な音を立てながら、隙間が広がっていく。

暗い玄関の向こうに、“何か”が立っている。

それは人の形をしていた。

だが、人ではなかった。

顔がない。

あるはずの位置に、ただ黒い穴のような空洞がある。

そこから、さっきの声が漏れていた。

「見たね」

同じ言葉を繰り返す。

遼は動けなかった。

体が凍りついたように硬直している。

未央は遼の腕を掴み、震えている。

“それ”が、一歩、部屋の中に入った。

その瞬間、部屋の空気が変わった。

重い。粘つく。呼吸が浅くなる。

まるで水の中にいるような圧迫感。

スマホが震えた。

遼の手の中で。

終点ログが更新されている。

00:08 乗客
入室 完了

「やめろ……」

遼はかすれた声で呟いた。

“それ”は首のない顔で、こちらを向いた。

いや、向いたように“感じた”。

視線という概念がないのに、確実に“見られている”。

「未央、走れ」

遼は無理やり声を絞り出した。

だが未央は動かない。

いや、動けない。

足元を見て、遼は理解した。

未央の足首に、黒い“手”が絡みついている。

ドアの下から侵入しようとしていた、あの影。

完全には防ぎきれていなかった。

それが今、未央を床に縫い付けている。

「いや……やだ……」

未央が泣き出す。

“それ”が、ゆっくりと未央に近づく。

一歩。

また一歩。

床に影が広がる。

その影の中に、無数の“顔”が浮かび上がった。

泣いている顔。笑っている顔。潰れた顔。

全部が、未央を見ている。

「やめろ!!」

遼は叫び、近くにあった椅子を掴んで投げつけた。

椅子は“それ”に当たった。

だが、手応えがない。

すり抜けた。

そのまま壁にぶつかり、鈍い音を立てて倒れる。

“それ”は何も気にせず、未央の目の前まで来た。

そして、顔のない“顔”を、未央に近づける。

「時間です」

その声は、今までで一番はっきりしていた。

掲示板の文章と同じ、無機質な響き。

未央が必死に首を振る。

「いや……まだ……」

「時間です」

繰り返す。

そして――

未央の体が、ふっと消えた。

音もなく。

血もなく。

ただ、そこに“いなくなった”。

遼は理解できなかった。

目の前で起きたことが、脳で処理できない。

空白。

数秒遅れて、絶叫が喉から溢れた。

「未央ッ!!!!」

部屋に響く。

だが返事はない。

代わりに、スマホが震えた。

恐る恐る画面を見る。

終点ログ。

新しい投稿が、追加されている。

00:10 乗客
回収完了 佐伯未央

遼の視界が歪んだ。

呼吸ができない。

手が震える。

「……ふざけるな……」

震える声で呟く。

「返せ……」

画面に触れる。

スクロールする。

投稿の横に、小さな文字列があることに気づいた。

削除

それは他の投稿にはない。

未央の名前の投稿にだけ、表示されている。

遼の心臓が跳ねた。

「消せる……?」

震える指で、その文字をタップする。

反応はない。

もう一度、強く押す。

画面が一瞬だけ暗転した。

そして、メッセージが表示される。

削除には代替が必要です

意味がわからない。

「代替……?」

その瞬間。

背後から、声がした。

「わたしでいいよ」

遼はゆっくり振り返った。

そこに立っていたのは――

自分だった。

全く同じ顔。

同じ服。

同じ表情。

だが、笑っている。

ありえないほど、不自然に。

「ほら」

“遼”が言う。

「代わり、いるじゃん」

その言葉と同時に、掲示板が更新された。

00:11 乗客
候補 真島遼

理解した瞬間、遼の背中に冷たい汗が流れた。

これは選択だ。

未央を取り戻すか。

自分が“代わり”になるか。

そして、そのどちらでもない第三の道は――

最初から用意されていない。

第5章「投稿者の正体」

「ふざけるな……」

遼の声は、自分でも驚くほど低く、乾いていた。

目の前に立つ“自分”は、同じ顔のまま、わずかに首を傾けている。その仕草まで完全に一致しているのに、決定的に違うものがあった。

目だ。

光がない。

いや、正確には“奥行きがない”。

ただ黒く塗りつぶされたような瞳が、こちらを覗き込んでいる。

「代替が必要です、って出ただろ」

“遼”が口を開く。

声も同じだった。だが、抑揚が微妙におかしい。人間の会話のリズムを真似しているだけのような、ぎこちなさ。

「削除はできるよ」

にやり、と笑う。

「ただし、等価交換」

遼は無意識に一歩後ずさった。

床に散らばった椅子の脚に足が当たり、鈍い音がする。

「未央を返せ」

「返せるよ」

即答だった。

その軽さが、逆に現実味を帯びていた。

「ほら、選べばいいだけだから」

“遼”はスマホを指差す。

終点ログの画面には、さっきの文面がまだ表示されている。

削除には代替が必要です

その下に、新しい選択肢が追加されていた。

代替候補:真島遼

そして、そのさらに下。

見た瞬間、遼の背筋が凍った。

代替候補:閲覧者リストを展開する

「……なんだよ、これ」

遼が呟くと、“遼”は嬉しそうに笑った。

「君だけじゃないってこと」

軽く指を鳴らす。

その瞬間、画面が変わった。

リストが表示される。

無数の名前。

スクロールしても、しても、終わらない。

日本人の名前、外国人の名前、漢字、カタカナ、アルファベット。

そしてその中に、見覚えのある名前が混ざっていることに気づく。

「……祐樹」

高校時代の友人、小田島祐樹。

さっき電話したばかりの名前。

「それ、全部“見た人”」

“遼”が言う。

「終点ログにアクセスした人間のリスト」

遼の喉が鳴った。

「つまり……こいつらを代わりにできるってことか」

「そう」

あっさりと肯定される。

「君が選べばね」

遼はスマホを握りしめた。

画面の中の名前たち。

その一つひとつが、生きている人間だ。

誰かの家族で、誰かの友人で、誰かの恋人。

未央と同じ。

「……そんなこと、できるわけないだろ」

「でも未央は戻るよ?」

“遼”の声が、すぐ耳元で囁いた。

いつの間にか距離が詰まっている。

顔が、すぐ目の前にある。

「助けたいんでしょ?」

甘い声。

誘うような響き。

「だったら、誰でもいいじゃん」

その言葉に、遼の中で何かが軋んだ。

「違う……」

「何が?」

「未央は……そんなことで助かっても……」

言葉が続かない。

正しい答えがわからない。

ただ、これだけはわかる。

ここで誰かを選べば、自分は終わる。

人間として。

「選ばないってことはさ」

“遼”が、ゆっくりと言う。

「未央を見殺しにするってことだよ?」

その一言が、心臓に突き刺さる。

遼は歯を食いしばった。

未央の笑顔が浮かぶ。

さっきまで、ここにいた。

手を伸ばせば届く距離に。

それが今は――

「……本当に戻るのか」

遼は絞り出すように言った。

“遼”が一瞬、目を細めた。

「戻るよ」

「どこに」

「ここに」

即答。

「何事もなかったみたいに?」

「そう」

「記憶も?」

「うん」

「……お前のことは覚えてるのか」

その問いに、“遼”は初めて沈黙した。

数秒。

その間に、遼は確信した。

「覚えてないんだな」

“遼”の笑みが、ほんのわずかに歪んだ。

「細かいことはどうでもいいでしょ」

「よくない」

遼ははっきりと言った。

「未央は、未央だ」

コピーじゃ意味がない。

記憶を削られた時点で、それは別人だ。

「……へえ」

“遼”が、興味深そうに遼を見る。

「ちゃんと考えてるんだ」

その言い方に、ぞわりとした違和感が走る。

「……なんだよ、お前」

“遼”は答えなかった。

代わりに、ゆっくりと後ろを振り返る。

玄関の方。

そこには、最初に入ってきた“顔のない存在”が、まだ立っていた。

動かず、ただそこにある。

「これね」

“遼”が言う。

「あれ、投稿者じゃないよ」

遼の思考が一瞬止まる。

「は……?」

「回収係」

さらりと告げられる。

「書いてるのは、別」

遼の背中に冷たいものが走った。

「じゃあ……誰が」

“遼”は、再び遼を見た。

そして、自分の胸を指差した。

「僕」

「……は?」

「正確には、“これ”だけど」

“遼”の体が、ぐにゃりと歪んだ。

皮膚が波打つ。

顔が崩れる。

目も、口も、輪郭も、すべてが液体のように溶けていく。

中から現れたのは――

無数の“文字”。

黒い塊の中に、白い文字が浮かんでいる。

漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット。

それらが蠢きながら、一つの形を作っている。

人のようで、人ではない。

情報の塊。

「僕はね」

それが言う。

「書いてるだけ」

ぞっとするほど、平坦な声。

「事実を」

遼は理解した。

いや、理解させられた。

この掲示板は予言じゃない。

“記録”でもない。

「決定してるのか……」

遼の声が震える。

「そう」

“それ”が答える。

「書いたら、そうなる」

絶望的な構造だった。

原因と結果が逆転している。

現実が先じゃない。

書き込みが先だ。

だから外れない。

だから止められない。

「じゃあ……」

遼は、かろうじて言葉を繋ぐ。

「未央の投稿を消せば」

「消せば?」

「なかったことにできるのか」

“それ”は、わずかに揺れた。

「できるよ」

「……本当に?」

「うん」

間違いなく、嘘ではない。

だが同時に、それが“完全な救いではない”ことも直感でわかる。

「ただし」

やはり続きがあった。

「帳尻は合わせる」

画面が、再び更新される。

00:15 乗客
修正処理 準備中

「世界はね」

“それ”が言う。

「空白を許さないから」

未央が消えた分。

誰かが埋める。

それが遼なのか。

それとも――

「選べるだけ、優しいでしょ?」

その言葉に、遼は初めて、はっきりとした怒りを覚えた。

「どこがだよ」

低く吐き捨てる。

“それ”は、また笑った。

文字の塊が、不気味に揺れる。

「じゃあさ」

その声が、わずかに楽しそうに弾んだ。

「選ばない場合、見てみる?」

嫌な予感がした。

だが、止める間もなく。

画面が切り替わる。

そこに映ったのは――

未央だった。

真っ暗な場所。

白線。

ホームの端。

足元が、わずかに崩れている。

そして、背後から“誰か”に押される瞬間。

「やめろ!!」

遼は叫んだ。

だが映像は止まらない。

未央が振り返る。

その顔が、遼を見た。

助けを求める目。

次の瞬間。

映像が、ぶつりと途切れた。

そして掲示板に、静かに表示される。

実行まで:23時間44分

カウントダウンが、始まっていた。

第6章「自分の名前」

カウントダウンの数字が、静かに減っていく。

23:43:59

23:43:58

秒がひとつ落ちるたびに、現実が確定していくような錯覚があった。

遼は画面から目を離せなかった。

未央が、あと二十四時間以内に死ぬ。

それが“決定事項”として表示されている。

「止める方法は、ひとつだけ」

背後で、“それ”が囁いた。

振り返らなくてもわかる。

あの、文字の塊。

人の形をした情報。

「削除」

遼は低く呟いた。

「でも、代わりがいる」

「そう」

「誰かを選べば、未央は助かる」

「そう」

淡々とした応答。

まるで機械のように、感情がない。

だが、確実にこちらの思考を誘導している。

「……選ばなかったら?」

遼はあえて聞いた。

“それ”は、少しだけ間を置いた。

「そのまま」

短い答え。

「予定通り」

つまり、未央は死ぬ。

それだけ。

遼はスマホを強く握った。

画面の中のリスト。

無数の名前。

その中に、知っている名前が混ざっている。

祐樹。

会社の同僚。

学生時代の友人。

――家族。

スクロールする指が、止まる。

「……なんで」

遼の声がかすれる。

「なんで、俺なんだよ」

“それ”が、わずかに揺れた。

「見たから」

単純な答え。

「アクセスした」

「それだけで?」

「それだけで十分」

理不尽だった。

だが、この世界ではそれが“ルール”なのだ。

理由は関係ない。

条件を満たしたかどうかだけ。

「じゃあ……」

遼は、かすかな希望にすがる。

「誰も見なければ、起きなかったのか」

“それ”は、初めてはっきりと笑った。

「もう遅いよ」

その瞬間、画面が更新される。

00:18 乗客
閲覧拡大中

遼の心臓が嫌な音を立てた。

「……拡大?」

「うん」

“それ”は楽しそうに言う。

「今も増えてる」

「何が」

「閲覧者」

その言葉と同時に、リストの名前が増えた。

一秒ごとに、ひとつ、またひとつ。

止まらない。

「なんで……」

遼は呆然とする。

「URL、消えたはずだろ」

「消えてないよ」

即答だった。

「君の中にある」

遼の背筋が凍る。

「……は?」

「思い出せるでしょ」

言われた瞬間、頭の中に浮かぶ。

あの文字列。

意味のない英数字。

なのに、完璧に再現できる。

「それを」

“それ”が続ける。

「どこかで思い出す」

「どこかって……」

「無意識で」

ぞっとした。

夢の中。

ぼんやりした時間。

ふとした瞬間。

人は記憶を反芻する。

そのときに――

「入力する」

遼の声が震える。

「そう」

「誰が」

“それ”は、にやりと笑った。

「君が」

思考が止まる。

「は……?」

「さっきもやったでしょ」

遼は息を呑んだ。

確かに。

URLは消えていたのに、自分は入力できた。

「つまりね」

“それ”がゆっくり言う。

「広めてるのは、閲覧者」

理解してはいけない構造だった。

これは“拡散型”だ。

ウイルスと同じ。

見た人間が、次の感染源になる。

意識的にでも、無意識でも。

「……じゃあ、止まらないじゃないか」

遼の声は、ほとんど絶望だった。

「止まらないよ」

あっさりと肯定される。

「だから、終点」

その言葉の意味が、じわじわと染みてくる。

終点ログ。

終わりの記録。

いや――

終わりへ“運ぶ”システム。

「ふざけるな……」

遼は顔を歪めた。

「こんなの……」

現実じゃない。

そう否定したいのに、否定できない。

未央は消えた。

目の前で。

それがすべてだ。

「選ばないと」

“それ”が言う。

「次に進むよ」

その言葉と同時に、画面が変わった。

新しい投稿。

00:20 乗客
真島遼 男 転落 詳細未定

遼の呼吸が止まった。

「……は?」

自分の名前。

はっきりと表示されている。

「なにこれ……」

「仮予約」

“それ”が軽く言う。

「未央を消すか、君を確定するか」

遼の頭がぐらりと揺れた。

「順番があるのか……」

「あるよ」

「なんで」

「効率」

その答えに、吐き気がした。

人の命が、ただの処理順序として扱われている。

「君はね」

“それ”が続ける。

「まだ“未定”」

画面を指す。

確かに、未央の投稿と違い、遼の死因は「詳細未定」となっている。

「でも」

“それ”の声が、少しだけ低くなる。

「時間が経てば、決まる」

カウントダウンが進む。

23:39:12

「選ばないと」

「……どうなる」

遼は、かろうじて聞いた。

“それ”は、静かに答える。

「両方」

意味がわからなかった。

「は?」

「未央も、君も」

遼の背筋が凍る。

「最初からそうだよ」

“それ”は淡々と言う。

「削除しない限り、予定は消えない」

つまり――

何もしなければ、未央は死ぬ。

そして、遼も死ぬ。

「ふざけるな……!!」

遼は叫んだ。

「じゃあ選ぶ意味ないだろ!!」

「あるよ」

即答。

「どっちかは助かる」

その言葉が、鋭く突き刺さる。

「必ず、一人は残る」

それが、このシステムの“優しさ”。

そう言いたいのだろう。

「……じゃあ」

遼は、震える声で言った。

「俺が選ばなかったら」

「うん」

「誰も助からない」

「そう」

完全な詰みだった。

逃げ道はない。

選択しないという選択肢も、すでに封じられている。

「……くそ……」

遼は膝をついた。

思考がまとまらない。

未央を助けるか。

自分が死ぬか。

それとも、誰かを犠牲にするか。

どれも地獄だ。

そのとき。

ふと、違和感がよぎった。

「……待て」

遼は顔を上げた。

「削除って」

“それ”を見る。

「投稿を消すんだよな」

「そう」

「だったら」

遼の目に、わずかな光が戻る。

「書き込まれる前に消せばいいんじゃないのか」

“それ”が、初めて沈黙した。

数秒。

その沈黙が、答えだった。

「……できるのか」

遼が問う。

“それ”は、ゆっくりと笑った。

「いいところに気づいたね」

画面が、変わる。

新しい表示。

投稿者モードにアクセスしますか?

遼の心臓が、大きく跳ねた。

「ただし」

“それ”が付け加える。

「戻れないよ」

その意味は、聞かなくてもわかる気がした。

だが――

「……やる」

遼は即答した。

未央を救う。

それ以外、もう考えられなかった。

画面に、確認メッセージが出る。

あなたは投稿者になりますか?

指が震える。

だが、迷いはなかった。

タップする。

その瞬間――

世界が、反転した。

第7章「終点へ向かう者」

世界が、裏返った。

音が消えた。

いや、正確には――“意味のある音”だけが消えた。

遼は、立っていた。

どこかに。

だが、それがどこなのか認識できない。

上下も、前後も、距離も、すべてが曖昧だった。

空間そのものが、均一な黒で満たされている。

その中に、白い文字だけが浮かんでいる。

無数の文字。

名前。

場所。

死因。

それらが、空中に“貼り付いて”いた。

スクロールもしていないのに、勝手に流れていく。

「……ここが」

遼の声は、妙に遠くで響いた。

「投稿者……?」

答える声はなかった。

代わりに、理解が直接流れ込んでくる。

これは場所ではない。

層だ。

現実の上に重なった、“記述の層”。

すべての出来事が、ここで“決定”される。

その結果だけが、下の現実に反映される。

遼は、自分の手を見た。

透けている。

いや、手の輪郭はある。

だが、その中身が――文字でできていた。

黒い線の代わりに、びっしりと白い文字が詰まっている。

自分の名前。

過去の出来事。

記憶。

それらが、構造体のように組み合わさっている。

「……俺も、同じかよ」

理解する。

さっき見た“あれ”。

文字の塊。

あれは特別じゃない。

ここに来た時点で、誰でもそうなる。

「投稿者は、人間じゃない」

思わず口に出る。

その瞬間、背後から声がした。

「最初はね」

振り返る。

そこにいたのは――

無数の“人影”。

だが、どれも顔がない。

代わりに、顔の位置に文字が浮かんでいる。

名前。

知らない名前。

見覚えのある名前。

そして、その中に――

「……祐樹?」

小田島祐樹の名前があった。

その“人影”が、わずかに動く。

「遼か……?」

声は、確かに祐樹だった。

だが、どこか遠い。

水の中から聞こえるような、歪んだ響き。

「お前……」

遼は言葉を失った。

「なんで……ここに」

「見たからだよ」

祐樹が、苦く笑うように言った。

「お前と同じだ」

遼の胸が締めつけられる。

「……いつから」

「さっき」

短い答え。

「電話切ったあと、なんか……思い出してさ」

遼は目を閉じた。

やはりそうだ。

これは止まらない。

誰かが見れば、次が生まれる。

「ここはな」

祐樹が続ける。

「出口がない」

遼は顔を上げた。

「……どういうことだ」

「そのまんま」

祐樹の“顔”に浮かぶ文字が、わずかに揺れる。

「投稿者になった時点で、戻れない」

その言葉は、第六章で聞いたものと一致する。

「じゃあ……」

遼の声が震える。

「未央を助けても」

「お前は帰れない」

即答だった。

遼は、何も言えなくなった。

理解していたはずだった。

だが、現実として突きつけられると、重さが違う。

「……でも」

遼は、かろうじて言う。

「未央は助かるんだろ」

祐樹は、少しだけ黙った。

その沈黙が、不安を煽る。

「……助かるよ」

やがて答える。

「ただし」

やはり続きがある。

「“そのまま”じゃない」

遼の心臓が跳ねた。

「記憶……か」

「たぶんな」

祐樹が言う。

「ここに関わった分は、全部消える」

遼は拳を握った。

未央は戻る。

だが、自分のことは覚えていない。

この出来事も、何もかも。

「……それでもいい」

遼は低く言った。

「生きてれば」

祐樹は何も言わなかった。

その代わり、周囲の文字がざわめく。

新しい投稿が、次々と生まれている。

明日 ○○ 事故死

明日 △△ 失血

明日 □□ 転落

止まらない。

終わらない。

「これを……全部、お前らが書いてるのか」

遼が呟く。

「違う」

祐樹が首を振る。

「勝手に出てくる」

「は?」

「俺たちは……選ぶだけだ」

その言葉に、遼は息を呑む。

「候補が出る」

祐樹が続ける。

「それを、確定させる」

「じゃあ……」

遼の声が震える。

「止められないのか」

祐樹は、ゆっくりと首を振った。

「止めるっていう概念がない」

絶望的な構造だった。

候補は無限に出る。

誰かが確定する。

それが現実になる。

「じゃあ……未央の投稿も」

「もう出てる」

遼は画面を見る。

確かにある。

消していない。

まだ。

「……消せるのは、今だけか」

「そうだな」

祐樹の声が低くなる。

「時間が経てば、“固定”される」

カウントダウンが脳裏に浮かぶ。

残り時間。

「……やるしかない」

遼は前を向いた。

目の前に、未央の投稿が浮かんでいる。

触れられる。

文字なのに、実体がある。

「遼」

祐樹が呼ぶ。

「一個だけ、言っとく」

「なんだ」

「消したあと」

少しだけ、間があく。

「代替は、強制的に決まる」

遼の手が止まる。

「……選べないのか」

「選べない」

祐樹ははっきり言った。

「投稿者になった時点で、“公平性”が適用される」

「なんだよそれ……」

「知らん」

短い返答。

「でも、俺が来たときもそうだった」

遼の背中に冷たい汗が流れる。

つまり――

未央を助ける。

その代わりに、誰かが死ぬ。

それは選べない。

ランダム。

完全な無差別。

「……くそ」

遼は歯を食いしばった。

だが、手は止めない。

「それでも」

低く呟く。

「やる」

未央を見殺しにはできない。

たとえ、その結果で誰かが死ぬとしても。

それを選んだのは、自分だ。

「……ああ」

祐樹が小さく言う。

「そういう顔、してると思った」

遼は、未央の投稿に手を伸ばした。

文字に触れる。

冷たい。

感触がある。

現実だ。

「未央」

名前を、最後に呼ぶ。

そして――

削除した。

その瞬間。

世界が、軋んだ。

文字が一斉に乱れる。

無数の投稿が、同時に書き換わる。

悲鳴のようなノイズが響く。

そして、ひとつの名前が浮かび上がる。

大きく。

はっきりと。

小田島祐樹

遼の思考が、止まった。

「……は?」

振り返る。

祐樹が、そこにいる。

だが、その体が――崩れ始めていた。

「おい……」

遼の声が震える。

祐樹は、静かに笑った。

「ほらな」

その声は、不思議と穏やかだった。

「選べないって言っただろ」

「待て……待てよ……!!」

遼は駆け寄ろうとする。

だが、足が動かない。

空間が、固定されている。

「なんで……お前なんだよ!!」

叫ぶ。

祐樹は、ゆっくりと首を振った。

「理由なんてない」

体が、文字に分解されていく。

「ここは、そういうとこだ」

「ふざけるな!!」

遼の声が響く。

「俺が……選んだのに……!!」

祐樹は、最後に言った。

「だからだよ」

遼の動きが止まる。

「お前が選んだから」

静かな声。

「俺が当たった」

その言葉と同時に。

祐樹は、完全に崩れた。

文字となって、消えた。

遼は、その場に立ち尽くした。

何もできなかった。

選んだのは、自分だ。

未央を助けた。

その代わりに、祐樹が死んだ。

その事実だけが、重く残る。

そして。

画面が、静かに更新される。

回収完了 小田島祐樹

遼は、目を閉じた。

終わっていない。

まだ。

現実がどうなったのか、確認しなければならない。

「……戻る」

遼は呟いた。

その瞬間、視界が暗転する。

落ちる。

深く、どこまでも。

そして――

気づいたとき。

遼は、自分の部屋に立っていた。

第8章「エピローグ ― 次の投稿者」

部屋は、静まり返っていた。

あまりにも、何事もなかったかのように。

倒れた椅子もない。ドアの破損もない。床に貼ったはずのガムテープすら、跡形もなく消えている。

まるで昨夜の出来事そのものが、最初から存在しなかったかのように。

遼は、ゆっくりと息を吸った。

空気が、普通だ。

あの粘つくような重さも、喉に絡みつくような圧もない。

ただの、いつもの部屋。

「……未央」

声に出す。

返事は――

「なに?」

背後から、あった。

遼は弾かれたように振り返る。

そこに、未央が立っていた。

エプロン姿で、首をかしげている。

「どうしたの?そんな顔して」

遼は言葉を失った。

生きている。

確かに、そこにいる。

血も、傷も、何もない。

「……未央」

もう一度、名前を呼ぶ。

未央は少し笑った。

「さっきから呼びすぎ。どうしたのほんとに」

その声は、いつも通りだった。

違和感はない。

だが――

「……昨日のこと、覚えてるか」

遼は慎重に聞いた。

未央はきょとんとした。

「昨日?普通にご飯作って、一緒に食べて……それから帰ったじゃん」

「帰った……?」

「うん。泊まってないよ?」

遼の背中に、冷たいものが走る。

記憶が違う。

いや――

“修正されている”。

「なんで?」

未央が少し不安そうに言う。

「何かあったの?」

遼は、言葉を飲み込んだ。

言っても、意味がない。

この世界では、もう“なかったこと”になっている。

「……いや」

小さく首を振る。

「なんでもない」

未央はしばらく遼の顔を見ていたが、やがて肩をすくめた。

「変なの。疲れてるんじゃない?」

そう言って、キッチンへ戻る。

日常が、続いている。

何も壊れていない。

何も失われていない。

――遼以外は。

ポケットの中で、スマホが震えた。

遼の体が強張る。

ゆっくりと取り出す。

画面を見る。

通知が一件。

差出人不明。

内容は、一行だけ。

終点ログへようこそ。

遼の喉が、ひくりと動く。

震える指で、画面を開く。

あの黒い画面。

白い文字。

変わらない。

だが、一つだけ違うものがあった。

画面の下部。

以前はなかった入力欄。

その横に表示された文字。

投稿者:真島遼

遼の呼吸が止まる。

「……そういうことかよ」

誰に言うでもなく、呟く。

戻れない。

あのときの言葉は、正しかった。

体は戻った。

日常も戻った。

だが、“役割”は残った。

投稿者。

それが、今の自分。

画面に、新しい候補が浮かび上がる。

明日 東京都杉並区 高校生 男 飛び降り

指が、わずかに動く。

確定するか。

放置するか。

それとも――

削除するか。

その瞬間。

背後で、未央の声がした。

「ねえ遼」

振り返る。

未央が、笑っている。

何も知らない顔で。

「今日さ、帰りに駅前寄らない?」

心臓が、強く打つ。

駅。

白線。

頭の中に、あの映像がよみがえる。

「……ああ」

遼は答えた。

声が、少しだけ掠れる。

「行こうか」

未央は嬉しそうに笑った。

その笑顔を見て、遼はスマホを強く握りしめる。

画面には、まだ候補が表示されている。

無数の“未来”。

そのすべてが、自分の指先にある。

救うことも。

殺すことも。

選ばないことも。

だが――

どれを選んでも、終わりは来る。

それが、この場所のルールだから。

遼は、ゆっくりと画面に視線を落とした。

そして。

入力欄に、指を置く。

何かを書こうとして――

そのとき。

画面の端に、小さく表示されているものに気づいた。

現在の閲覧者:1

遼の手が、止まる。

「……1?」

自分しか見ていないはずだ。

なのに。

その数字が、ゆっくりと変わる。

現在の閲覧者:2

遼の背筋に、冷たいものが走る。

「……誰だよ」

呟く。

その瞬間。

スマホの画面に、新しい文字が浮かび上がる。

00:00 乗客
見ている

遼は、ゆっくりと顔を上げた。

視線の先。

部屋の隅。

誰もいないはずの場所。

そこに――

“何か”がいた。

輪郭が曖昧な影。

顔は見えない。

だが、確実にこちらを見ている。

そして、遼は理解した。

これは終わりじゃない。

始まりだ。

次の投稿者は、自分。

そして――

次の“閲覧者”は。

今、これを読んでいる誰かだ。

追章「ログは閉じない」

遼は、しばらく動けなかった。

スマホの画面には、あのまま表示が残っている。

現在の閲覧者:2

そして――

部屋の隅にある“それ”。

視界の端に捉えたまま、遼は決して正面から見ようとしなかった。

見てはいけない。

本能がそう告げている。

だが、視界から外そうとしても、なぜか消えない。

焦点をずらしても、瞬きをしても、“いる”。

まるで、視覚ではなく“認識”に直接張り付いているようだった。

「遼?」

未央の声。

すぐ後ろ。

いつも通りの距離。

そのはずなのに、遼は振り返れなかった。

もし。

もし、そこにいる未央が――

「どうしたの?さっきから変だよ」

肩に手が触れる。

温かい。

生きている。

そのはずなのに。

遼はゆっくりと、振り返った。

未央がいる。

見慣れた顔。

何もおかしくない。

だが。

ほんの一瞬だけ。

“ずれて見えた”。

表情と、感情が一致していない。

笑っているのに、目が笑っていない――というレベルではない。

もっと根本的に、“人間の表情を真似している何か”の違和感。

遼は息を呑んだ。

瞬きをした瞬間、その違和感は消えた。

「ほんとに大丈夫?」

未央が覗き込む。

今度は、完全にいつも通りだ。

遼は無理やり笑った。

「……ああ」

声がわずかに震える。

「ちょっと寝不足なだけ」

未央は「ならいいけど」と言って、手を離した。

その背中を見送りながら、遼は確信する。

――完全には戻っていない。

世界が。

未央が。

あるいは、自分自身が。

スマホが、また震えた。

反射的に画面を見る。

終点ログ。

新しい投稿が追加されている。

00:02 乗客
認識 完了

遼の指が、凍りつく。

「……認識?」

声に出した瞬間。

部屋の隅の“それ”が、わずかに動いた。

初めて、はっきりと。

一歩。

こちらに、近づいた。

遼の呼吸が乱れる。

逃げなければ。

そう思うのに、足が動かない。

まるで、ここに固定されているように。

画面が、さらに更新される。

00:03 乗客
干渉 開始

次の瞬間。

未央が、ぴたりと動きを止めた。

キッチンで包丁を持ったまま、固まっている。

「……未央?」

返事がない。

ゆっくりと、首だけが動く。

ぎこちない動き。

関節の動き方が、人間と違う。

カク、カク、と音がしそうなほど不自然に。

そして――

遼の方を向いた。

笑っている。

さっきと同じ顔。

だが、今度ははっきりとわかる。

中身が、違う。

「ねえ」

未央の口が動く。

だが、出てきた声は――

あの声だった。

ドアの向こうで聞いた、あの女の声。

複数の声が重なったような、不快な響き。

「見えてるよね?」

遼の心臓が、激しく跳ねる。

部屋の隅の“それ”が、さらに一歩近づく。

「もう、逃げられないよ」

未央の口が、にやりと歪む。

その瞬間。

スマホの画面が、大きく書き換わった。

投稿者:真島遼

その下に、新しい入力欄。

そして――

強制的に、文字が打ち込まれていく。

遼は触れていない。

なのに、勝手に。

明日 真島遼 男

「やめろ……」

遼は震える声で言う。

指が動かない。

止められない。

文字が、続く。

異常認識 侵食

「やめろ……!!」

画面を叩く。

だが止まらない。

未央が、一歩近づく。

部屋の隅の“それ”も、同時に動く。

挟まれる。

逃げ場がない。

「投稿者はね」

未央が言う。

「最後に、書かれる側になるの」

その言葉と同時に。

入力が、完了した。

確定

画面が暗転する。

そして、最後に表示される。

回収予定 真島遼

遼は、何もできなかった。

ただ立ち尽くす。

目の前の未央が、ゆっくりと手を伸ばす。

その手が、触れる寸前――

世界が、ぶつりと切れた。



気づいたとき。

遼は、スマホを見ていた。

いつもの部屋。

いつもの夜。

何も起きていない。

画面には、ただの検索ページ。

「終点ログ」という文字が、入力されている。

「……なんだ、これ」

遼は首をかしげる。

無意識に、検索ボタンを押す。

そのとき。

画面の下に、小さく表示された。

現在の閲覧者:2

遼は、それに気づかない。

だが。

画面の向こうで。

もう一人が、確かに見ている。

――ログは、閉じない。

補遺「閲覧履歴」


その夜。

遼は、ベッドに入っても眠れなかった。

理由はわからない。

ただ、胸の奥に、説明できない違和感が残っている。

何かを見落としている。

何かを忘れている。

そんな感覚。

スマホを手に取る。

無意識だった。

指が勝手に動く。

ブラウザを開く。

履歴を確認する。

特に変わったものはない。

ニュースサイト。

動画サイト。

仕事関係のページ。

――そして。

一番下に、見慣れない履歴があった。

文字化けのようなURL。

意味のない英数字の羅列。

「……なんだこれ」

遼は眉をひそめる。

記憶にない。

だが、不思議と――

“見覚えがある”。

指が止まる。

押してはいけない。

なぜか、そう思う。

だが同時に。

押さなければならない、という衝動もあった。

確認しないといけない。

これが何なのか。

知らないままにしてはいけない。

その思考は、あまりにも自然に頭に入り込んでいた。

違和感がない。

だからこそ、異常だった。

「……一回だけ」

誰に言い訳するでもなく、呟く。

タップする。

画面が、黒くなる。

一瞬の、静寂。

そして――

終点ログへようこそ。

遼の呼吸が止まる。

同時に。

画面の右上に、小さな表示。

現在の閲覧者:1

遼は、固まった。

「……1?」

昼間、見た気がする。

いや、見ていない。

そんな記憶はない。

なのに、確かに“知っている”。

頭の奥で、何かが軋む。

思い出してはいけないものが、動こうとしている。

掲示板が、開く。

投稿が、並ぶ。

見覚えのある形式。

無機質な文章。

死の羅列。

そして――

一番上の投稿。

遼は、それを見てしまった。

明日 東京都中野区 会社員 男 転落 頭蓋開放

遼の喉が鳴る。

見覚えがある。

どこかで見た。

だが、思い出せない。

思い出そうとすると、頭が痛む。

「……なんだよ、これ」

小さく呟く。

そのとき。

画面の下部に、新しい入力欄が現れる。

カーソルが点滅している。

まるで、待っているかのように。

遼の指が、わずかに動く。

止めようとする。

だが、止まらない。

キーボードが表示される。

文字が、打ち込まれていく。

自分の意思ではない。

なのに、完全に自分の操作だと理解できる。

明日

「やめろ……」

声が震える。

止まらない。

東京都――

その瞬間。

画面の端に、数字が表示された。

現在の閲覧者:2

遼の手が止まる。

「……2?」

ゆっくりと、顔を上げる。

部屋の中。

誰もいない。

そのはずなのに。

“視線”がある。

確実に。

どこかから、見られている。

スマホの画面に、最後の一行が浮かぶ。

00:00 乗客
見ている

遼は、その意味を理解しない。

できない。

ただ、指は再び動き出す。

文字を、打ち込む。

止まらない。

そして――

ログは、またひとつ増える。



その画面の向こうで。

今、これを読んでいるあなたの端末にも。

ごくわずかな遅延で。

同じ履歴が、残り始めている。


#創作大賞2026 #ホラー小説部門

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