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藤原実資がわからない

平安時代ブームがきているのは、本屋に行った時に感じていて、流行りにのって今まで興味がなかった平安貴族のWikipedia巡りをしていた。「藤原実資」の人物欄をみた時に後悔した。みとけばよかった。「光る君へ」。

実資は道長から屏風に入れるための和歌を依頼されるものの最後まで拒否した。しかし、その後、二人の関係は悪化するでもなく、数日後に道長は実資の手を引いて直盧(じきろ)に迎えいれ衣装を披露している。

手を引いて?
屏風事件は事実だろうけど、手を引くのは、さすがに後世の創作では?

そう思ったが、こちらも事実だった。実資本人が日記で書いていた。「携余手」。「私の手を携えて」と。

手を携えるってどういうこと?手を繋いだってこと?だよね?距離感近くない?大河でやったの?

これが例えば火事の現場で「実資さん、逃げるのおっそ!手を貸してやらんと!」なら、ギリわからなくもない。

ただ、この場合は「実資さん、来て!見せたいものあるから!衣装!」。平安貴族、そんな何でもない日に手を繋いでいるの?

それか、平安時代の「手を携える」は別の意味を持っていたんだろうか。「腰に手をやって歩行の手助けをする」とか「手招きする」とか?

道長は何て言ってるんだろう、と道長の日記『御堂関白記』をみたが、「娘が女御になりました。皆と酒を飲みました。」といったようなことが手短に書かれているだけで、実資との一件は記されていなかった。

東京大学史料編纂所のデータベースで検索してみても、「携余手」と記したのは、この日の実資のみ。

「携手」では数件の文献があり、漢文が読めないなりに、さらっとみた限りでは「手を携える」という行動をとったことしかわからず、意味までは書かれていなかった。 

まあ、「手を携えて、あ、この携えての意味はですね」と、いちいち話の腰を折るわけがないので、この作業は無駄だったかもしれない。

さらには、ヒットした文献の中に「携手足、石山漸々歩」と書かれたものも見つけてしまい、(藤原師通『後二条師通記』寛治2年(1088)7月25日)

手足を携えるって何?それ使い方あってるの?と新たな混乱まで生じてしまった。

おそらく、「手を携える」は「手を繋ぐ」という意味だろうと思うのだが、そうなると、平安貴族の距離感どうなってるんだ?という話になってくる。「手を携える」と「距離感」が頭の中をグルグルしている。

実資の日記『小右記』を、ちょこちょこ読んでいくと永祚元年(989)8月13日には、「失神」という単語も出てくる。台風と思われる雨風で「万人失神」したそうなのが、この「失神」は現代の意味で捉えていいのか?「亡くなった」の隠語か?と疑問が尽きない。

実資の文章がわからない。


10/13 追記
『小右記』を見たら藤原行成は、血縁関係のない男性貴族に膝枕をしてもらっていた。
平安貴族は、現代よりよっぽど人と人との距離が近かったんだろう。



国立国会図書館デジタルコレクション
『増補史料大成別巻1』臨川書店 1989年 P157 
『御堂関白記 上巻』日本古典全集刊行会 1929年 P13 


全現代語訳 倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」(上)』講談社 2009年 P45
『現代語訳 小右記2』吉川弘文館 2016年 P80
『現代語訳 小右記3』吉川弘文館 2016年 P133








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