医師の努力論──努力できない患者に向き合うプロ根性と自己肯定



はじめに──「努力できること」のありがたみ

恥ずかしい思い出です。なんて世間知らずだったのだろうと思います。

参考文献1:湯浅誠(2024)「18歳の君へ 公正を考える想像力」『婦人之友』2024年5月号, pp. 86–87.

湯浅 誠氏(社会活動家、東京大学特任教授)のこの言葉を見た時、ドキッとした。

湯浅氏は、一浪して東京大学に入学したとき、「勉強を頑張ったので東大に入れた。他の人も頑張ればできる」と思っていた(1)。私が地方の国公立医学部に現役合格した時も、同じ気持ちだった。血の滲む努力で合格したことを誇りにしていた。

湯浅氏はその後、ホームレスや生活困窮者と対話する中で、家に静かに勉強できる部屋が無い人や、家庭の事情で高校に行けない人がいることを知った(1)。そして、自分が環境から有利な条件を与えられていたことを悟り、冒頭の「なんて世間知らずだったのだろう」という思いに至った(1)。私がこれを見てドキッとしたのも、過去に自分が世間知らずだったことを明確に言語化されたからに他ならない。

ただし私は、医師として約15年のキャリアの中で、「自分の健康のために努力できない患者」を見限ってきたわけではない。私の根底には、医学部卒業時に母から言われた、下記の言葉があった。

あなたがここまで不自由なく来られたのは、恵まれていたからです。
恵まれた者は、その恩を世の中に返さなければなりません。

筆者の母

漫画『鬼滅の刃』でも、煉獄杏寿郎の母はこう述べている。

生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。

参考文献2:吾峠呼世晴(2017)『鬼滅の刃』第8巻, 集英社, p. 61.

医師として働く中、「自分も社会に貢献したい」という純粋な気持ちがいつも根底にあった。だから、過酷な勤務があっても、患者に理不尽なことを言われても、患者の協力や努力が得られない場面でも、ただ精一杯仕事をし続けようと思うことができた。
給与カットを契機に適応障害となり急性期病院を退職した後でも、クリニック勤務医として再起することができた。

努力できない患者への徒労感

先日、「生活習慣を改善する努力をしない患者に保険医療を適用することに、疑問を持つ」という意見を目にする機会があった。そこで「医師と患者の努力」について深掘りする中で、特に若手医師にとって有用な視点に辿りつくことができた。
本稿ではこの視点を共有し、医師のプロフェッショナリズムと、患者の努力の有無に依存しない「医師の努力の質」について考察したい。


1. 医師になるまでの努力の必然性──「努力至上主義」の温床

医学部が理系最難関学部の一つであることに異議を唱える人はいないだろう。この構造は、医師という集団に対して、下記のようなバイアスを与えうると考えられる。

・医師になるまでは、自分の知識や学力を高めるために努力できるかどうかが問われ続ける。

・医学部受験と医師国家試験を突破できた人たちという生存者バイアス:「報われるまで努力できた人たち」である。

・上記により、「自分の努力は報われる」という自己効力感を強く抱きやすい。

筆者作成

一部の天才を除くほとんどの人にとって、「自分の努力なんてどうせ報われない」という低い自己効力感では、医師になるまでの「努力の必然性」というハードルを超えるのは不可能である。医師が「自分が努力したおかげで医師になれた」と思うのは当然と言える。

これに関して、幼少期から続く受験競争が、自己価値の基準を偏差値などの外的評価に強く依存する自己認識や、他者との比較に根づいたナルシシズム的優越性を医学生に植え込む可能性は、無視できない。
小学3〜4年生(8〜10歳)から医学部入学(最短で18歳)に至るまで、塾で成績順に机を並べられ、テストや模試で塾や全国の受験生と比較され続け、良い成績を取ることで褒められ続ければ、「努力し、結果を出せるからこそ自分には価値がある」と思ってしまう人も出てくる(注:けっして全員とは言わない)。

次章では、このような「努力至上主義」が、社会に出た医師に対して「不可避の罠」として作用する過程を述べる。


2. 医師になってから直面する「努力の質の転換」という分水嶺

自らの絶え間ない努力で医師というライセンスを得た人たちを待ち受けるのは、これまでとは一転した「自分の努力が通用しない、生活習慣を改善しようとしない患者や、不治の病」である(注:生活習慣を改善しようと努力する患者も多くいる)。

医療に限ったことではなく、「人への貢献」を含む業種では、患者や顧客から100%の協力や感謝が得られることは、構造上不可能である。職業人の貢献が、結果的にも感情的にも報われない事態は、一定割合で必ず発生する。

ここで、医師の「努力の志向性」は二分される。

・努力できない患者のためにも、貢献しようと努力し続けられる医師

・努力できない患者のためには、貢献しようと努力し続けられない医師

筆者作成

少なくとも保険医療の中で日々多くの患者と向き合い続けている医師は、前者だと言える。そうでなければ、とっくに保険医療から身を引いているからだ。

「努力が報われない世界」を思い知った医師は、自分自身の努力を「必ずしも報われるわけではない」と相対化する。そして、それでもなお自分が患者に貢献できることや、仕事として金銭が得られること自体に意義を見出している。
実際に、努力できない患者や不治の病を前にして医師ができることとは、「それでもなお自分が介入できることだけを愚直にやり続けること」に他ならない。

学生時代の「努力至上主義」から、「自分の努力の相対化」という努力の「質の転換」ができるかどうか──これが、医師としての持続的な貢献可能性を規定する分水嶺になる。

努力できない患者のために努力できない医師

「自分の努力の相対化」ができない医師にとって、「努力できない患者」は、「医師としての自分の努力を無効化する人」のように映ってしまう。ここでは、医師と患者、自己と他者という境界線が、かなり曖昧になっている。

努力できることが至高で自分の価値の根拠であるという「努力至上主義」を自らに当てはめるのは、個人の自由である。しかし、それを他者である患者にも投影して、「努力できない患者のためには、自分が努力する意味がない」と突き放してしまうのは、医師のプロフェッショナリズムとして、妥当なのだろうか。

冒頭の、湯浅氏の言葉を思い出していただきたい。

湯浅氏が「なんて世間知らずだったのだろう」と内省したように、「患者が自分の健康のために努力できること自体が、環境から有利な条件を与えられている」と考えることはできないだろうか。このような考え方は、SDH(Social Determinants of Health:健康の社会的決定要因)を勘案し、患者が努力できない背景も含めて評価・介入に組み入れるというプロフェッショナリズムに他ならない。

社会保障の必要性

保険医療は社会保障である。もしSDHを考慮せず、生活習慣病の患者を努力できないからという理由で切り捨てるなら、社会保障として全く機能しなくなってしまう。「努力できるかどうか」も、教育・就業・生活環境・社会環境などのSDHによって大きく変わる、健康維持のための規定因子にすぎないからである。

膨大な努力の末に医学部を卒業した医師に問われるのは、社会保障という大きなシステムの中で、自分自身の努力の成果を絶対的なものとみなさない視座だ。この視座を得ることは、そんなに簡単なことではないのかもしれない。

次章では、医師の「努力の相対化」を困難にする要因を掘り下げたい。


3. 努力できない患者のために努力できない医師の社会的・心理的背景

ここで、「努力できない患者のために努力できない医師」をただ断罪するだけでは、筆者も「『努力できない患者のために努力できない医師』のために努力できない医師」になってしまう。本稿では、彼らの心理的・社会的背景にまで踏み込んで考察し、解決策を提案したい。

なお、本章で述べることはあくまで反証可能な筆者の仮説であり、実証的なエビデンスが確立されていないことにご留意いただきたい。

「努力できない患者のために努力できない医師」の社会的・心理的背景に関する仮説:
・自己と患者との心理的境界が曖昧になり、「患者も努力するべき」「患者は医師の努力が報われるよう行動するべき」という支配的な自己投影を抱いている。

・この自己投影や患者への共感欠如の背景には、医師の「エリート街道」において、「社会的弱者と接して自己の境遇を相対化する」という体験が不足している可能性がある。

・「努力できなければ価値がない」という条件付きの自己肯定感が強い。これは、特に幼少期からの偏差値至上主義によって助長されうる。

・このように条件付きの自己肯定感が強いと、「努力が報われない」ことが自己価値への脅威として作用する。この脅威に対する防衛規制として、患者への支配的な自己投影や、「努力が報われないシステム」そのものへの拒絶が起きる。

筆者作成

このように、「努力できない患者のために努力できない医師」にとっても、医師自身の養育環境や経歴、社会的環境要因が強く作用していると考えられる。

解決策

患者が努力できようができまいが、医師としての客観的な介入に対して主観的に意義を見出す「評価の内燃機関」を確立するしかない。

具体的なステップ:
・自己の価値観や環境を相対化するために、課外活動、アルバイト、趣味などを通して、多様な社会的背景を持つ人たちと接する。

・自己と他者の「努力できる能力」を相対化して分離する(自己と他者の境界の確保)。

・自分の努力が報われるかどうかよりも、「医師としての客観的な貢献」をもとに自分の仕事を自ら評価する(「評価の内燃機関」の確立)。

・このような内的価値観によって充足される利他性は、外的評価に強く依存する状態では萌芽しにくい。このため、外的評価に依存しない「無条件の自己肯定感」を育むことが重要である。

筆者作成

「無条件の自己肯定感」を育むための方法:
・内省により、自分の環境に対する「感謝の自覚」を持つ。

・内省により、他者比較ではない「自己の成長過程」を振り返り、認識する。

・外的評価と切り離された「興味活動への熱中」により、自己価値を自分で評価する習慣を身につける。

筆者作成

特に、他者比較ではない「自己の成長過程」の認識については、心理学的にも自己肯定感の土台となることが知られている(3)。


おわりに──他者のための努力に必要なもの

医師にとって、自分のために努力できる資質も、生活習慣改善のために努力できない患者のために努力できる資質も、「努力できる」という恵まれた環境要因が基盤にあることは確かである。誰かのために頑張ることは、自分の心が満たされていなければとても難しいことだからだ。

「努力できない患者のために努力できるか」という視点を深掘りするにつれ、最終的には、医師自身の自己肯定感という、生きる上での根源的な心理学的要素について言及することになった。

本稿で述べたことが常に正しいとは限らないが、医師として患者に貢献し続けるためのマインドセットを持つ上で、少しでも読者の参考になれば幸いである。

筆者紹介:
内科系の専門医、指導医、医学博士。
急性期病院で頻回の無給オンコールや薄給激務の当直、給与カットにより適応障害となり退職・退局。フリーランス医師を経て、内科クリニックの勤務医となった。

関連記事

▶︎ 「患者を幸せにしたい」という大義の罠──感情的takerにならないための方法論

▶︎ 医学部受験の落とし穴(1):承認欲求への高依存が医師のキャリアにおよぼすリスク


参考文献

1.
湯浅誠(2024)「18歳の君へ 公正を考える想像力」『婦人之友』2024年5月号, pp. 86–87.

2.
吾峠呼世晴(2017)『鬼滅の刃』第8巻, 集英社, p. 61.

3.
Brummelman, E., & Sedikides, C. (2020).
Raising children with high self-esteem—but not narcissism.
Child Development Perspectives, 14(2), 83–89.
https://doi.org/10.1111/cdep.12362

いいなと思ったら応援しよう!