待機説法
先日、小学校に訪問して、自分の仕事を紹介する機会がありまして。
15分で自分の仕事やその魅力を伝えるのはホント難しい。
社労士という仕事してますが、子どもにも分かるように説明しようとすると、内容も話し方も工夫が必要
友だちみたいに話してみたりして。工夫しました。
何より、自分が本当に仕事の内容や魅力を理解していないと伝えられないことを痛感しました。
ふだん深く考えていないことが、こういった場面で浮き彫りになりますね笑
さてお釈迦様の話に移ります。
彼がすごいのは、「覚った」だけではなく、導く力・教える力が圧倒的だったところです。
蛇や牛車、月、サイなど、当時の身近なものにたとえて、みんなに分かりやすい言葉で教えを説かれたのもソレ
っていうかインドにサイがおるんか!?!?!?
また、相手の理解度や状況に合わせて話すことを待機説法っていいまして。
ここでいう機(き)とは、聞き手の程度や能力、理解度のこと。
だから「相手に合わせて説く」というニュアンス。
これをさらに、私が大好きな浄土仏教の世界に照らして考えてみますね。
浄土系の3つの大事なお経のひとつ、観無量寿経
このお経は、王妃の韋提希が、息子に夫である王を殺され、自身も閉じ込められる辛い物語。
「なぜ私がこんな目に…」と悲しみとともに悩む韋提希。
実は韋提希ちゃんも、むちゃむちゃ悪いことしているんですけどね笑
そんな事すっかり忘れて悲嘆にくれる
そこにお釈迦様が現れ、説かれるのが阿弥陀仏の救済のおはなし。
大切なのは、こんなにも苦しみ抜いて救いを求める韋提希の状況をしっかり見て、お釈迦様がそのタイミングで救いの話をされた、という点だと思いました。
つまり待機説法は「説く内容」だけでなく、救いを求める「心のタイミング」も大きく関係しているんじゃないかな?って。
私たちも人生に苦しいと感じる時がある。
その時こそ救いの教えが響くのだと思います。
阿弥陀仏の話が誰にでも常にピッタリくるとは言いきれません。
説法やアドバイスも、医者が症状に合わせて薬を処方するように相手やタイミングを見極めて選ぶものなのかな、と。
そんなことを思いながら、、、念仏
南無阿弥陀仏
