ほろ酔い文学 禁酒明け
健康診断の一月前から、酒を断っていた。
医者に止められたわけではない。去年の数値にも問題はなかった。
ただ最近、酔うのに必要な酒量が増えているのが気になってはいた。
一度、アルコール耐性を下げねばならない。
健康診断のために。
禁酒期間を設けるには、丁度いい理由。
風呂上がりになると、無意識に冷蔵庫へ向かう。扉を開け、何もないのを確認して閉じる。
あると飲む。絶対に飲む。確信がある。だから、置いておけなかった。
自分は何のために飲酒していたのだろうと、ふと思う。
酒で全部を忘れられる、という感覚は昔からよく分からない。
酔うのは楽しい。だが、何もかもを忘れさせてくれるほどの力は、酒にはないと思う。
アルコール依存症の原因は、酒程度の効果に縋るしかない状況の問題なのではないか。
よし。今ちょっと良いことを言った気がする。
健康診断の当日、朝の街は薄曇りだった。
禁酒そのものは、そこまで苦ではなかった。朝起きるのが楽だったり、メリットを実感していた。
だが空腹は駄目だ。不幸とは、腹を空かせている状態を指すのではないかと思う。
腹が減っては戦は出来ぬとは言うが、この状況で下した判断や取った行動が良い方に転がる気は全くしない。
なぜ健康診断ごときのために、人は飯を抜かねばならないのか。
満腹の状態もまた、人間の自然な姿ではないか。診断する側が人間に合わせるべきなのでは。
いけない。腹が減りすぎて思想が危ない方向へ行っている。
待合室のテレビでは、天気予報が乾いた声で今日の降水確率を読み上げていた。
胃カメラは苦手だ。ゲップを抑えるので精一杯になる。
採血も昔は怖かった。以前、一度だけ激痛が走ったことがある。あれは針の角度でも悪かったのだろう。
最近はあまり下手な人に当たらない。教育が改善されたのかもしれない。
一つ前がマッチョの人だった。測定した看護士に、腹囲がどうのこうの言われているようだ。
でもそれ、筋肉じゃないのか。あの看護士より、マッチョの人のが健康そうだけどもなあ。
そんなこんなで、終わる頃には妙に疲れていた。
病院を出る。午後の光が、思ったより白くまぶしかった。
終わった。健康診断という邪悪なる儀式が。忌々しい。
正直、健康診断には大した意義を感じていない。
初期の癌や脳の血管異常など、あれで見つけられない死ぬような病気は結構ある。
かといって、内容変更または廃止の為に労力を割こうとは思わない。面倒くさい。
などと考えながら、蕎麦屋に入る。
頼んだのは、小エビ入り野菜かき揚げ蕎麦。稲荷寿司も付けた。

美味い。美味い。空腹は最高のスパイス。
腹が落ち着いてから、禁酒も終わりでいいことに気づく。
酒が体に負担をかけることは理解できただろう。まだ飲むのか?
知らん。飲む。楽しいからだ。
禁酒期間中ずっと考えていた。酒は自分の人生に、本当に必要だろうかと。
強力な効果はないし、身体に良いものではない。そんなことは分かっている。
だが酒があった方が、日々がちょっとだけ楽しくなる気がする。
厚生労働省は日に純アルコール量20g程度なら、節度ある飲酒としている。
週140g換算とすれば、自分は週で…90g前後摂取してるかな。
このくらいは許してほしい。許した。
自問自答を終え、スーパーへ入る。
まずハイボール。久しぶりの飲酒だ。濃い目ではなく普通のほうにしておこう。それでも度数は7%ある。
濃い目は9%。酔うための酒といわれる、ストロング系と実は変わらない。
マスクメロンのチューハイも目に入る。良い。もう一本はそれにした。
耐性は、かなり落ちているはずだ。もしかすると、これだけで酩酊するかもしれない。
ついでに後日用の、ビールやライチのチューハイもカゴへ入れる。酒を選ぶ時間は楽しい。
帰宅。
アルコールの前に、何か食べておきたい。とりあえずベビーチーズを一つ。
缶を開ける。
パキン、という音が妙に鋭く響いた。
一口。
舌に炭酸が刺さる。喉が熱い。胃へ落ちていく感覚が、はっきり分かる。
酒が人間にとって良いものなのかは分からない。多分、ない方が健康にはいいのだろう。
だが、過去アメリカであった禁酒法の話。
その顛末からすると、完全になくすのは無理そうだ。
たまになら。
こういう時間も悪くないと思った。
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