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食べ物とオカルト パイナップル



パイナップル世界流転史

パイナップルほど、その姿と中身にギャップのある果実も珍しいかもしれません。

王冠のような葉、鎧のような硬い皮。まるで異国の珍宝のようなこの果実の故郷は、南米大陸、ブラジル南部からパラグアイにかけてのパラナ川流域とされています。

属名「アナナス」はグアラニー語で「優れた果実」を意味する言葉に由来し、近年の遺伝子研究では南米北東部のギアナ楯状地が主要な栽培化の中心地であった可能性が指摘されています。

栽培の歴史は数千年前に遡るとされ南米では3,500年前の痕跡が確認されているほか、2,500年以上前にはメソアメリカにも伝わりマヤ人によって栽培され、のちにアステカ人にも受け継がれていました。

コロンブス以前からトゥピ・グアラニー族やカリブ族はこの果実を「ナナス」と呼び、いくつもの品種を育て上げていたのです。

歴史が動いたのは1493年11月。

コロンブスが西インド諸島グアドループでこの果実に出会い、松ぼっくりに似た姿から「ピニャ」と名付けてスペインへ持ち帰りました。

ピニャコラータ
スペイン語圏では今でもピニャ呼びが一般的


英語の"pineapple"も、この「松かさに似た果実」というイメージに由来しています。

17世紀、パイナップルは本格的にヨーロッパへ持ち込まれますが、寒冷な気候での栽培は困難を極め富と権力の象徴という特別な地位を獲得しました。

あまりの希少さゆえ、18世紀のロンドンには「レンタル」市場まで存在したと言われています。

一方でこの贅沢の裏側にはプランテーション奴隷制と結びついた植民地主義という、決して華やかとは言えない歴史も存在しました。

16〜17世紀の大航海時代を通じスペインやポルトガルの人々によってパイナップルはアフリカやアジアへと広まり、1820年代以降は温室や熱帯プランテーションでの商業栽培が始まります。

タイ料理 カオパット・サパロット
見た目も楽しいパイナップルチャーハン


北米への輸入も当初は非常に高価で1個あたり現在価値で8,000ドルに達したとも言われますが、20世紀初頭にジェームズ・ドールがハワイで展開した大規模プランテーション事業が大衆化の転換点となりました。

タコス・アル・パストール(Tacos al pastor)
パイナップル入りタコス


沖縄パイン産業史

日本への最初の伝来は1830年、小笠原諸島の父島でした。

沖縄への伝来は1866年、石垣島沖で座礁したオランダ船から川平湾に苗が漂着したという偶然の産物です。

本格的な産業化は昭和に入ってからで、1930年に台湾から石垣島へ苗が持ち込まれました。


1935年には日中間の緊張の高まりを背景に台湾の栽培農家53戸が集団移住。1938年、国産初のパイン缶詰が出荷されました。

生のパイナップルは保存が利かず、当時は缶詰産業として発展します。

戦後は本土復帰前の「輸出品」として扱われ、1969年には沖縄の生産量が約10万トンに到達。

1970年にはパイン缶詰が沖縄の輸出総額の17.1%を占めるまでに成長し、サトウキビと並ぶ二大基幹産業となりました。

しかし1972年の本土復帰、1990年の輸入完全自由化により産業は打撃を受け、「加工用」から「生食用の高級フルーツ」へと方向転換。

ピーチパインやゴールドバレルなど独自品種の開発により、2000年頃には生食向け出荷量が加工向けを逆転しています。

パイナップルの花


番外章 パイナップルピザ戦争

パイナップルの歴史をここまで辿ってきましたが、最後にどうしても触れておかなければならない話があります。

それは、この果物が21世紀に入ってなお、世界中の人々を本気で対立させ続けているという事実。

「パイナップルピザ」をめぐる論争です。


事の発端は、1962年のカナダに遡ります。

ギリシャからの移民で、オンタリオ州チャタムにて「サテライト・レストラン」を営んでいたサム・パノプロス氏。

彼がある日ふと、缶詰のパイナップルをピザの上に乗せてみたのが始まりでした。

当時のピザは生地・ソース・チーズに、マッシュルームかベーコンかペパロニのいずれかを乗せる程度の、選択肢の少ない料理だったといいます。

パノプロス氏は、自身が慣れ親しんでいた中華料理(カナダ風中華)の「甘みと塩気を組み合わせる」発想からヒントを得て、パイナップルとハムをピザに乗せるという実験を思いつきました。

カナダ ビクトリア州のチャイナタウン


缶詰のブランド名にちなんで、この創作料理は「ハワイアンピザ」と名付けられます。

ハワイ発祥ではなかった

本人いわく、「ただ遊び半分で乗せてみただけ」。最初は不評で、周囲からは「頭がおかしいのか」とまで言われたそうです。

ところが徐々に評判が広がり、やがて世界中のピザ屋の定番メニューへと成長していきました。


アイスランド大統領が「禁止したい」と発言し、国際問題に発展

この組み合わせが本格的な"国際論争"にまで発展したのは、2017年のことでした。

アイスランドの大統領グドニ・ヨハンネソン氏が、高校生との質疑応答の場で、冗談交じりに「もし可能なら、ピザにパイナップルを乗せることを禁止したい」と発言したのです。

この発言は瞬く間に世界中のメディアに取り上げられ、大きな話題となりました。

アイスランド大使館(ロンドン)には、抗議(あるいは応援)の意味を込めてハワイアンピザが大量に送りつけられる事態にまで発展したといいます。

これに対しカナダのジャスティン・トルドー首相(当時)は、Twitterでこう応戦しました。

「私にはパイナップルがある。私にはピザがある。私はこの南西オンタリオ生まれの傑作を支持する。」

著名シェフのゴードン・ラムゼイ氏も、この論争に一石を投じた一人です。

彼は「パイナップルはピザの上に乗るべきではない」と、自身のTwitterできっぱりと言い切りました。

一方で、俳優のドウェイン・ジョンソン氏は「オートミールにテキーラと黒糖を入れる人間だぞ、私は。ハムと一緒ならパイナップルピザも大歓迎だ」とコメントし賛成派に回っています。

当時すでに引退していたパノプロス氏本人も、この騒動を受けてメディアの取材に応じました。

「彼(アイスランド大統領)のことは知らないが、もっと分別を持つべきだ。私が若い頃からピザを作っていたことを考えれば」と諫めています。

論争は今も続いている

各種の消費者調査を見ても、パイナップルというトッピングに対する評価は真っ二つに割れています。

2021年2月に実施されたYouGov社の調査(アメリカ成人6,168人対象)では、26%が「パイナップルが好き」と回答したました。

一方で、35%が嫌いと回答しました。(トッピングごとに好き・嫌いを尋ねる形式)

もっともアンチョビ(61%)やナス(52%)といった食材のほうが嫌われているという結果も出ており、パイナップルは"最も嫌われる王座"には届いていないようです。

そ ん な に
ちなみに好きなトッピング1位はペパロニ(64%)でした


反対派が最もよく口にする理由は、「果物がピザに乗ること自体が、伝統への冒涜だ」というものです。

特にピザ発祥の地であるイタリアの伝統主義者たちからは、根強い批判が寄せられ続けています。

パノプロス氏は2017年、83歳でこの世を去りました。

彼の訃報を伝えるニュース記事の見出しには、決まって「論争を巻き起こしたハワイアンピザの生みの親」という言葉が添えられていたといいます。

一皿の思いつきが半世紀以上たった今もなお、世界中の人々を"チームパイナップル"と"アンチパイナップル"に分断し続けている。

これほど長く、これほど本気で語り継がれる食のトッピング論争は、中々見当たらないのでは。

日本にも酢豚にパイナップル論争はありますが、
海外のパイナップルピザ否定派の憎しみはあんなものではない


パイナップル オカルト話

これまで、パイナップルの発祥から世界史、日本への伝来、そして植物・作物としての姿を追ってきました。

最終回となる今回は、少し趣向を変えて、この果実にまつわる噂や言い伝えの「真偽」を確かめてみたいと思います。

都市伝説として語られる話には意外にも科学的根拠のあるものから、実は近年になって作られた"神話"まで、様々な種類があります。


食べると舌が溶ける

パイナップルには「ブロメライン」というタンパク質分解酵素が含まれています。

果肉を噛むとき、このブロメラインは口内の粘膜や舌表面のタンパク質を分解し始めます。

あのヒリヒリ・チクチクとした刺激の正体は、こちら側が少しずつ消化されている現象。

海外では"Pineapple is the only fruit that eats you back"(パイナップルはあなたを食べ返す唯一の果物)という言い回しがよく使われますが、これは文字通りの意味だったわけです。

もっとも口内の細胞は再生が早いため、実際に重大なダメージが残ることはありません。

缶詰など加熱処理されたパイナップルでは酵素が失活するため、この現象自体が起こりません。

「都市伝説」だったものが、後から化学だったことが判明したレアケースです。

だとしても 生のパインも 乙なもの


フィリピンに伝わる「呪いで果物に変えられた娘」

続いては南国に伝わる民話をひとつ。

フィリピンには、わがまま娘「ピニャ」が母親の呪いによって無数の目を持つ果物へと姿を変えられてしまう、という言い伝えが残っています。

用事を頼まれるたびに「見つからない」と言い訳ばかりする娘に苛立った母親が、思わず「千の目を持てばいいのに」と口にしたその日から、娘は忽然と姿を消してしまいます。

悲しみに暮れる母親が庭を掃除していると、そこには無数の目のような模様を持つ黄色い果実が実っていました。

この果実が「ピニャ」と名付けられた、というのがこの民話の筋書きです。

ちなみに英語の"pineapple"はこの伝承とは無関係で、もとは14世紀末に「松ぼっくり」を指した語が、のちに似た見た目の果実へ転用されたもの。

フィリピン語の「ピニャ」もスペイン語の"piña"(松ぼっくり)に由来しており、両者が似ているのは偶然の一致にすぎません。

これは南カリフォルニア大学の民俗学アーカイブをはじめ複数の記録に、微妙に異なるバリエーションを伴いながら残っている実在の口承伝承。

もちろん史実ではなく「親の言いつけを軽んじてはいけない」、という教訓を伝える物語です。

フィリピンにパイナップルが伝わったのはコロンブスの発見より後なので、こちらが先ということはないでしょう。

親の呪いによって子どもが異形の姿に変えられるという構造は、洋の東西を問わず神話や昔話に繰り返し現れるモチーフ。

パイナップルの無数の"目"のような模様が、こうした物語を生み出す土壌になったと思われます。

フィリピン料理 Pininyahang manok(ピニニャハン・マノック)
鶏肉とパイナップルをミルクで煮込む


シンガポールに残る「幸運を転がし入れる」風習

現在も、一部で実際に行われている風習をひとつ。

シンガポールなどで話される中国語方言・福建語(ホッキエン)では、パイナップルは「オンライ(旺来)」と発音されます。

これが「幸運が入ってくる」を意味する言葉と同じ響きを持つことから、新居に引っ越す際にパイナップルを家の中へ転がし入れ、福を呼び込むという習慣。

これは語呂合わせに基づく縁起担ぎ、いわば言霊信仰に近いもの。しかし「果物を転がして家に招き入れる」という行為は、儀式めいています。


南米の熱帯雨林で育まれた果実がヨーロッパへ渡り、貴族の社交界を彩り、やがて世界中へ、そして日本の沖縄へ。

一つの果実の旅路は人類が贅沢や希少性に価値を見出し、それを大衆化させてきた歴史を映し出しているようです。





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深水 夜名河(フカミ ヨナガ) 面白いと感じていただけたら、コストのかからないフォローとスキをくださると嬉しいです。 よろしくお願いします。