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「雑魚寝」はもう終わりにしよう― 100年変わらない避難所と、その壁の正体(前編)

2026年7月、熊本でまた大きな地震が起きました。 まだ記憶に新しい2024年1月の能登半島地震から、わずか1年半ほどしか経っていません。

テレビや新聞では、体育館の硬い床に毛布だけを敷いて眠る人たちの姿が映し出されました。
猛烈な暑さの中で車の中に避難していた方が、熱中症で亡くなってしまうという悲しいニュースもありました。

被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

ご自身も被災されながら、避難所の運営にあたっておられる市役所・役場の職員の皆さま、 病院や消防で命を守る仕事を続けてくださっている皆さま、

厳しい状況の中でもお店を開け地域の暮らしを支えてくださっている皆さまにも、 心から敬意と労いをお伝えしたいと思います。

この記事は、現場を批判するためのものではありません。 むしろ現場の方々がこれ以上苦しまずに済むよう、なぜこの状況が続くのかを考えたくて書いています。

「なんとかしのげている」わけではない

― 車の中で命を落とすということ

車の中で避難する人が増えています。 これは、わがままで選んでいるわけではありません。

避難所には、プライバシーがない、周りの音がうるさい、 ペットと一緒にいられない、感染症のリスクがある、といった事情があります。

体調を崩しやすい人ほど「避難所にはいられない」と感じ、 自分の車に逃げ込むしかなくなるのです。

お金に余裕のある人はあらかじめキャンピングカーを備えとして買い、 そうでない人は避難所か、自分の車の中で夜を過ごそうとします。

けれども、猛暑の中で車にいるにはエアコンが欠かせません。 ガソリンやバッテリーが切れたとたん、車内の温度は一気に上がります。

眠っている間に意識を失い、命を落としてしまう危険と隣り合わせなのです。
実際に今回の熊本地震でも、車中避難をしていた方が熱中症で亡くなるという痛ましいニュースがありました。

車で避難している人は指定避難所の外にいるため、 行政による安否確認や医療の巡回からも見落とされやすいのです。

これは、日本という国が「豊かさゆえになんとかしのげている」ということでは、決してありません。

1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災の津波避難、 2016年の熊本地震、2024年の能登半島地震、そして今回。

この約80年間、体育館の雑魚寝という同じ光景は、 地震大国である日本で確実に繰り返されてきました。

国民は、この危機に気づいていなかったわけではありません。

SNSが普及した今は、偏りのある一部のテレビ報道だけでなく、誰もが現場の実情を直接目にできます。

それでも変わらない何十年もの現実に、多くの人が絶望してきたのではないでしょうか。

だからこそ、国や自治体を頼れないまま「自分の力でできる範囲のことをしよう」とした結果、 お金のある人はキャンピングカーを、そうでない人は自分の車を選び、

その車の中で命を落としてしまう、という事態が起きているのです。

避難所が本当に機能していれば、誰もそんな手段を選ぶ必要はなかったはずです。

100年変わっていない、という指摘

避難所・避難生活学会は「日本の避難所は、1923年の関東大震災以来、大きな進歩はない」と指摘しています。

国会でも「避難所は基本的に101年前の関東大震災の時のまま」という発言がありました。

能登半島地震では、避難生活が原因で亡くなる災害関連死が507人にのぼり、 地震そのものによる直接死228人の約2倍にもなっています。

避難生活の質の低さが、命そのものを奪っているのです。 能登地震のあとにも、実は同じ議論がされていました。

2024年12月、内閣府は避難所の環境改善に向けてガイドラインを改定し、 スフィア基準をもとに
「トイレは20人に1基」「居住スペースは1人あたり3.5平方メートル」といった数値まで示しています。

話し合いは、きちんと行われてきたのです。 それでも1年半後、また同じ「雑魚寝」が繰り返されました。

なぜなら、このガイドラインには法律のような強制力がなかったからです。

「守らなければならないルール」ではなく、あくまで「参考にすればよい目安」にとどまっていました。

数値を示しても、それを実現するための予算を国が用意する義務までは定められておらず、 実行するかどうかは、結局それぞれの市町村の判断と財政力に委ねられたままだったのです。

話し合いや数値目標そのものは、この10年、能登地震のあとも今回も、繰り返しきちんと行われてきました。 足りなかったのは議論ではなく、それを裏打ちする法律お金でした。

指定避難所の多くは、小中学校の体育館です。 しかし体育館はもともと教育のための施設で、断熱性が低く冷暖房も効きにくい造りです。

学校を管理する教育委員会にとっては「一日でも早く授業を再開すること」が優先されがちで、 防災のための恒久的な空間へと大きく改修することが難しい、という事情もあります。

「TKB48」が教えてくれる、法律という壁

避難所・避難生活学会は、災害発生から48時間以内に、 トイレ(T)・キッチン(K)・ベッド(B)を避難所に整える「TKB48」という考え方を提唱しています。

熊本市は今回の地震の前から備えていました。

2026年5月、九州内外の自治体や企業とともに、自衛隊ヘリで県外の応援職員を運ぶ訓練まで含めた、 TKB48の合同訓練を全国で初めて実施していたのです。

それでも、7月の本番では「間に合わなかった」と報じられています。

TKB48の民間での普及に取り組むシェルターワンの児島功氏は、8月上旬、断水と悪臭に苦しむ八代市の避難所を訪れ、現場の窮状を目にしました。

児島氏は、TKB48は自治体からの要請がなければ実施できない仕組みになっていることを明かし、

もどかしい思いを抱えながらも、取引先企業や災害支援者とのつながりを頼りに、できる範囲で動こうとしていると語っています。

新潟大学の榛沢和彦特任教授も、政府のプッシュ型支援は物資がばらばらに届くのではなく、TKBをひとまとめにして送るべきだと指摘しています。

学会代表理事の水谷嘉浩氏は、熊本地震や能登半島地震ほどの規模になると市町村単独では対応しきれなくなるため、

被災の規模に応じて国や都道府県が主体となって避難所を整える形に変えるべきであり、
そのためにはまず法律の改正が必要だと述べています。

つまり、今の法律では、大きな災害が起きても、 避難所の環境整備は基本的に「市町村の仕事」のままです。

市町村がそこまで手が回らなくても、国が代わりに動く権限を持っていないのです。
避難所の環境は市町村の財政力によって大きく差が出ることから、「避難所ガチャ」とも呼ばれています。

訓練をして備えていた熊本市でさえ、間に合いませんでした。

なぜ「法律」を変えられないのか

これは日本国憲法が定める「地方自治」の原則(避難所運営は市町村の「自治事務」)と関わっています。

2024年、災害時に国が自治体へ強く指示できるようにする法改正が議論された際も、
多くの自治体首長や弁護士会から「現場を知らない国が頭ごなしに指示すると混乱を招く」という懸念の声が上がりました。

国が一方的に自治体の仕事を奪うことには、慎重であるべき理由も確かにあります。

ただ、市町村の手に負えないほどの規模の災害のときにまで、その原則を理由に国が動かないのだとしたら、
それは地方を尊重しているのではなく、責任から降りているだけかもしれません。

すでに国には、他の自治体が応援職員を送る「対口支援」や、 要請を待たずに物資を送る「プッシュ型支援」の仕組みもあります。

今回の熊本地震で猛暑対策として配られたスポットクーラーも、実は国が備蓄していたものではありません。 経済産業省が発災後に量販店やメーカーと連携してかき集めた市販品で、自衛隊の輸送力を借りて現地に届けられたものでした。

届いた物や量は増えても、それを支えているのは平時からの備えではなく、発災してからの「かき集め」だったのです。

そして、届いた支援物資を置く場所が足りず受け入れを一時停止したり、 段ボールベッドを組み立てる人手が発災直後は足りなかったりと、

「物」や「人」は動いても、それを現場でさばく体制までは整っていない実情も浮かび上がりました。

ただし、これは今回初めて分かったことではありません。

能登半島地震でも、発災3日目の時点で、輪島市では1万人の避難者に対し物資が2000食しか届いていないと、当時の市長が窮状を訴えていました。

同じことが、震災のたびに繰り返されてきたのです。

実は国自身も、この「届かない」現実を織り込んでいます。

内閣府や自治体は「最低3日分、できれば1週間分の水と食料を各家庭で備蓄してほしい」と、繰り返し呼びかけています。

これは裏を返せば、国も「発災後しばらくは、支援が行き渡らない」ことを前提にしている、ということです。

現場でさばく体制が整わないことを分かっているからこそ、
「まずは自分の力で、数日は生き延びてください」

と、国民の側に自助を求めているのです。

これは「国民に冷たい国」なのか

国は「避難所は市町村の仕事だから」と言い、市町村は「予算も人手も足りない」と言う。

その板挟みの中で、実際に雑魚寝を強いられ、命を落としているのは、国でも市町村でもなく、一人ひとりの国民です。

これは「地方 対 国」の対立というより、 「国全体の仕組み(構造) 対 国民」の問題だと捉え直したほうが、実態に近いのではないでしょうか。

中央省庁も、都道府県も、市町村も、それぞれ「自分の責任の範囲」を線引きし、その隙間に被災した人たちが落ちてしまう。

「地方自治」という言葉が、誰も最終的な責任を取らずに済むための「言い訳」として機能してしまっているように見えます。

児島氏のように、危機を感じて動こうとする民間の力はすでにあります。

それでも「自治体からの要請がなければ実施できない」という一点で、その力は閉ざされてしまいます。

国民の側は危機だと分かっていて、実際に動こうともしているのに、 その働きかけが黙殺され続けている、という状態です。

東日本大震災のあと「専門省庁が必要だ」という声が上がってから、 防災庁の設置法案が決まるまで15年かかりました。

2026年3月、政府は災害対応の司令塔となる「防災庁」の設置法案を閣議決定し、 この秋の発足を目指すと発表しました。

つまり、熊本地震が起きた2026年7月の時点では、 この新しい組織はまだ発足前で、本格的に機能していなかったことになります。

ただし、この「防災庁」ができたとしても、 これまでお話ししてきた構造的な壁がそのまま残っています。

災害対策基本法では、避難や応急対応はあくまで「市町村や都道府県が中心となって行う」のが原則です。

防災庁ができても、国が自治体を飛び越えて現場を直接指揮することはできません。

他省庁への権限も「勧告権」にとどまり、 強い命令権を持っているわけではないのです。

80年、いえ100年以上かけてようやく「専門の司令塔をつくろう」というところまでは動き出しました。
しかし、根っこにある「地方自治」との壁は、まだ解けていません。

これは「今回の改革が無意味だ」ということではありません。 「本当の意味で仕組みを変えるには、まだこの先の議論が必要だ」ということです。

国の予算に占める防災関係予算の割合は、1962年度の8.1%から2022年度には2.2%まで下がり続けています。

これは天災ではなく、積み重なった政治と制度の選択の結果です。

おわりに ― 次回へつづく

ここまで見てきたのは、避難所という「その場」の話でした。

ですが、支援のあり方そのものにも、同じ構造が透けて見えます。

今回の熊本地震について見てみましょう。

  • 住宅が全壊した世帯 「被災者生活再建支援金」として最大300万円が支給(返済不要の給付金)。ただし、実際に家を建て直す費用には遠く及びません。

  • 当座の生活資金 1世帯あたり原則10万円までを無利子で「貸し付ける」制度(厚生労働省)。

  • 中小企業向け支援 災害復旧資金の多くも「融資(借金)」という形。

仕事も家も失った人に対しても、渡されるのは無償の現金ではなく、いずれ返す「貸付」という形が中心です。

これが、防災関係予算の割合が2.2%まで下がっているという事実と、どこまで直接結びつくのかは慎重に見る必要があります。

生活再建支援金と緊急小口の貸付は、別々の予算の仕組みで動いているからです。

それでも全体として見えてくるのは、「まとまったお金を無償で渡す」より「当座をしのぐお金は貸す」 という形が、日本の災害支援の基本になっているという傾向です。

スポットクーラーが国の備蓄ではなく、発災後にかき集めた市販品だったことと同じく、
支援の中身もまた、その都度ぎりぎりの形で組み立てられているように見えます。

こうした仕組みは、遠い誰かが勝手に変えてくれるものではありません。

ただし、議員への働きかけだけでこの80年変わらなかった現実も、正直にお伝えします。

  • なぜ日本は、イタリアのように恒久的な備えを最初から予算化する道を選べないのか?

  • 所得の低い国のほうが、なぜ法整備で先行しているのか?

「意見を届ける」だけでは変わりにくい理由とあわせて、後編で国際比較を通じて考えていきます。


※事実に基づき調べながら書いたエッセイですが、調査不足による抜けや不備はすべて筆者の責任です。温かい目でお読みいただけますと幸いです。

参考にした情報源

・避難所・避難生活学会 学術集会・発表抄録
・熊本ニュースKAB ONLINE「床に雑魚寝、汲み取り式トイレ…避難所の環境変わらず『TKB48』実現できない理由」(2026年8月)
・日テレNEWS NNN「災害時『TKB』を48時間で――熊本地震の教訓」(2026年6月)
・内閣府「自治体向けの避難所に関する取組指針
・ガイドラインの改定について」(令和6年12月)
・東京新聞デジタル「どうなってる?国の『防災予算』」
・日本弁護士連合会「地方自治法改正案に反対する会長声明」(2024年3月) ・熊本県ホームページ「熊本地震に係る被災者生活再建支援金について」
・共同通信(Yahoo!ニュース)「被災世帯に10万円貸し付け 生活資金、無利子で」(2026年8月)


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