見出し画像

部屋のドアが開けられなかった僕が、起業して7年目を迎えるまで。―ADHD・ASD・強迫性障害と生きる「自己紹介」

はじめまして、カマタタカヒデと申します。 現在は法人を設立し、細々とですが会社を経営して7年目になります。

今日ここで自己紹介を書こうと思ったのは、単なる経歴紹介ではありません。 「ADHDでも、ASDでも、強迫性障害があっても、こういう人生の歩み方があるんだ」 そう知ってもらうことで、少しでも誰かの肩の荷を下ろせたらと思ったからです。

これは、かつて部屋に閉じこもっていた僕が、自分なりの「働き方」を見つけるまでの記録です。

■ ドアノブを本で塞いだ、中学時代

僕の人生の歯車が大きくズレたと感じたのは、中学2年生の頃でした。 ある日突然、学校へ行けなくなったのです。

当時は自分でも理由がわかりませんでしたが、後に「強迫性障害」と診断されました。それに加えて、発達障害(ADHDとASD)の特性も持っていました。 不安と強迫観念に襲われ、僕は自宅で「完全引きこもり」の状態になりました。

自分の部屋のドアノブに本を積み上げ、外から決して開けられないようにして、世界を拒絶していたあの日々。 親もどうしていいかわからず、僕自身も出口が見えない暗闇の中にいました。

■ 「たった1日」がくれた自信

そんな僕が変わるきっかけになったのは、中学の卒業式です。 友人の助けもあり、卒業式の前日に登校のリハーサルをして、なんとか当日の式に参加することができました。

正直、怖かったです。でも、終わってみて気づいたことがありました。 「みんな、そんなに僕のことなんて気にしていないんだ」 そして、時間が経てばこの日の出来事なんて、みんな忘れていくんだということ。

1日だけ我慢して学校へ行ったことで、僕の中には「卒業できた」という小さな、でも確かな自信が残りました。その姿を見て、親が感激して泣いていたのを今でも覚えています。

もし今、不登校で悩んでいるお子さんがいたら、僕は「卒業式だけ出てみる」ことをおすすめしたいです。 最後だけ参加すれば、なんとなく「終わりよければすべてよし」という区切りがつきます。その「区切り」が、次のステップへの小さなお守りになるかもしれません。

■ 「普通のレール」に戻ろうとして、また転ぶ

中学卒業後、僕は毎日通学する必要のない通信制高校の高認科(高卒程度認定試験を目指すコース)へ進みました。 「これならいける」と思い、入学した年に高卒程度認定試験に合格。そこまでは順調でした(もう18年も前の話ですが…)。

その後、浪人を経て大学へ進学。「これでやっと、みんなと同じレールに戻れた」と安心しました。 けれど、そこで待っていたのは「大学に行けなくなる&中退」というコンボでした。

やっぱり、発達障害の特性が足を引っ張ってしまうのです。 人間関係がうまく築けない。「普通」にしようとすればするほど、うまくいかない。 「ああ、やっぱり自分には、長期間学校に通うような『普通のルート』は無理なんだ」と痛感しました。

■ 運命を変えた「動画編集」との出会い

大学を辞め、「自分にできることは何だろう」と模索していた時、ふと動画編集を学ぶスクールに入学しました。 これが、僕の運命の出会いでした。

Premier ProやAfter Effectsを触り始めた瞬間、「これだ!」と思いました。 とにかく面白いんです。 3ヶ月のカリキュラムが、一瞬で過ぎ去るほど没頭しました。

そこで気づいたのは、発達障害の特性は、環境さえ選べば「武器」になるということです。 過集中やこだわりといった特性は、デザインや動画編集のようなクリエイティブな作業において、驚くほど有利に働きました。 「欠点」だと思っていたものが、「才能」に変わった瞬間でした。

■ 悩みながら、楽しみながら。起業7年目

その後、動画編集のアルバイトを始め、そこで出会った社長に憧れを抱きました。「自分もこうなりたい」と思い、勢いで起業。 あれから7年が経ちました。

正直、経営は難しいです。悩みは尽きません。 でも、それ以上に「楽しい」です。

自分のペースで、自分の好きなことを仕事にできている。 その幸せを噛み締めながら、なんとかやっています。

凸凹だらけの人生ですが、自分の特性を受け入れ、活かせる場所を見つけられたことに感謝して。 これからも、悩みながら、楽しみながら生きていこうと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

カマタ タカヒデ 応援していただけたら嬉しいです!いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!