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イヤイヤ期の「ちばう」に隠れていたサイン――形から入った実践がくれたもの

イヤイヤ期、毎日疲れますよね。私もそうでした。子どもが1歳11か月から2歳頃、心理学をベースにした親向け講座を受けていました。きっかけは、「親のようには育てたくない」という強い思い。私は親の言うまま、人形のように生きてきた。人間関係もうまくいかず、子どもには同じ道を歩ませたくない――その願いが出発点でした。
学びを続けるうちに、「人のせいにして生きてきた」ことに気づき、「自分の人生の舵は自分が握っている」と思えるようになったのですが、当時はまだ習熟度が低く、悩みながらの実践でした。
この記事では、その頃の記録を振り返りながら、形から入った実践がくれたものをまとめます。


実践の背景――自由な記録と私の選択

講座には「テキストの提案を参考に、2か月間試してみる」という宿題がありました。毎日書けたらいいけれど、強制ではなく自由。私はせっかく受講するならと思って、できるだけ毎日記録しました。
記録は評価ではなく、日々のやりとりをそのまま書き留める練習。その日の言葉や行動を残すことで、後から見えるものがありました。


「ちばう」が示していたもの

当時、子どもの口癖は「ちばう(=違う)」。私はそれを「否定」と受け止めていました。でも、記録を読み返すと、ほとんどの場合こういう意味でした。

  • 「今じゃない」(タイミングが合わない)

  • 「話したいことはそれじゃない」(主題がズレている)

スプーンを投げる、おむつ替えを拒否する、犬を叩く、絵本のキャラクターにスイカを食べさせる――その行動ばかりが気になっていたけれど、裏にはこんな気持ちがあったのかもしれません。
「お母さんともっと話したい」
「一緒に遊びたい」
「私を見て」
「メロンパンナちゃんにもスイカを分けてあげたよ」
「おむつじゃなくて、今はイチゴを一緒に食べようよ」


開いた質問と悶々とした放置

講座では「開いた質問を使ってみよう」という提案もありました。私は「どうしたいの?」と聞いていました。でも、心の奥ではこう思っていました。
「どうしたらやめさせられるの?」
だから、答えを待ちながらも、悶々とした気持ちで放置することが多かった。声をかける余裕もなく、子どもの可愛らしい意図には気づけませんでした。まだそこまで見られる習熟度ではなかったのです。


形から入った実践がくれたもの

それでも、やらないよりはよかった。なぜなら、もしもいつも通りに行動していたら――
絵本の子にスイカを食べさせていたら、「何してるの汚いでしょ」とすぐ怒っていたと思います。その結果、子どもは悪いことで親の気を引こうとするかもしれないし、反抗する気力もなくなるかもしれない。
心が伴わなくても、親が待ってくれていると子どもが感じられること。それが、意思をもって行動する力につながる。だから、形から入った実践でも意味がありました。


今の視点からのヒント

  • 「違う」は否定ではなく、関係を開きたい子どもからのサイン

  • 開いた質問は、目的も開いているときにだけ機能する

  • 評価よりプロセス。急がず、短く、待つ。

  • 危険なことや他人に迷惑をかけることは、親が責任を持ってすぐ止める。それ以外は「あと3回で終わり」「この部屋だけで」など、合意できる枠を置いて自由を残す。


まとめと今

イヤイヤ期の「ちばう」は、親子のコミュニケーションを深めるきっかけでした。形から入った実践でも、記録があれば後から学びに変わる。心が伴わなくても、待つことが子どもの力になる――それが、あの2か月間で得た一番の気づきです。
そして今、子どもはすっかり大きくなりました。それでも「一緒に何かをしたい」と思ってくれています。火曜日の夜、22時の『華大さんと千鳥くん』は、私の方から誘って一緒に見る時間。あの頃の「待つ」練習が、今の「楽しむ」時間につながっている――そう思うと、形から入った実践にも意味があったと感じます。


→詳しくは『ちばう小話』へ

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白根まる(親子の“つまづき”伴走者) 月齢・事例ごとに、親子の“つまずき”をおしゃべりしてるうちに自身で解決できる広場をつくっています。 必要なときには専門家にもつながれる、そんな“安心の土台”を育てる場です。 チップは、この場を静かに支える力になります。