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[SS] 許されたいのはあなただけ。

ネモフィラの青い花が咲き乱れている。

地面が見えない。

水色の花しか見えない。

一面、ネモフィラで覆われている。

私は、ここで。


気がつくと、私はベッドの上にいた。

見たことのない天井。
微かに消毒液の匂い。
ピ、ピ、ピ、ピ。
一定のリズムで継続する音。

上半身を動かそうとするが動かない。
痛み、全身に痛みが走る。
それでもなんとか動こうとする。
手首に痛み。

ピピピピピピ
断続的な音が、継続的な音に変わる。
エラー、アラーム、そんな音。
夢の中なのだろうか。

誰かが走ってくる音がする。
靴?いや、もう少し柔らかい音。

「菱沼さん!菱沼さん!」
知らない声、女性の声だ。

音は私に近づくと、手を持ち上げた。
「外れてる。」
手首に痛み。

針。
そうだ、点滴だ。

「菱沼さん、聞こえますか?」
「は、い。」
走る音、音は遠ざかっていく。

これは夢なのだろうか。
夢の中、なのに眠いのか。
急激な眠気に襲われて瞼を閉じた。


「菱沼小夜子さんですね。」
ベッドの脇に女性が一人、男性が一人。
聴診器を首から下げている、医者?

「そうです。」
「よかった。意識は大丈夫なようですね。」
「え?」
「何があったか覚えていますか?」
「覚えている?何をですか?」
「どうして、あなたがこうなったかです。」

こうなった?
確かに病院のベッドで点滴を打たれている。
ここは集中治療室らしい。
なぜ?なぜ私はここにいるんだろう。

「いえ、その。」
「最後に覚えていることを教えて下さい。」
「最後?」

必死に思い出そうとする。
何か、何か。
何を思い出せばいいのだろう。
思い出すことが分からない。

確か、仕事から帰って。
いつも通り、ご飯を作って。
そう、ご飯を作ってたんだ。
帰りに買ってきた鰆の西京焼き。

頭に思い浮かんだイメージをポロポロと話す。
看護婦さんは、それをメモしているようだ。
色々と角度を変え、ニュアンスを変えて聞かれるが
それが最後の記憶だった。

「そうですか、一時的な健忘かもしれませんね。」
それが医師の結論だった。

MRIなどの一連の検査が終わり
私は一般病棟に移されることになった。


次の日。
スーツを着た二人の男性が私を訪ねてきた。

「こんにちは。菱沼小夜子さんですか?」
「そうです。」
記憶にモヤがあっても、自分が自分であることは覚えている。

「この人を覚えていますか?」
一枚の写真を見せられた。

男性。
多分同い年くらい。
真顔、証明写真の引き伸ばしのようだった。

「どなたですか?」
私は写真を手に取り、少し考えた結果そう言った。

「そうですか。」
男性が目配せすると、もう一人は部屋を出ていった。

「この男性は、中村翔吾さん。」
「え?」
「覚えていませんか?」
写真を再度よく見る、全く見覚えのない顔だった。

「はい。すみませんが、全く。」
「そうですか。」
「この方が、どうかされたんですか?」
男性は私の一言一句、目の動き、体の動きを観察しているようだ。

あ。
これ、尋問?
この人は、もしかして。

「あの、刑事さんですか?」
「あ、すみません。申し遅れました。」
胸ポケットから名刺を取り出す。

「こういうの本当にあるんですね。」
「ええ、そうなんです。名乗らずに申し訳ありませんでした。」
「で、この男性がどうか?」
「それが、その。」
少し言葉を濁らせる、その目は変わらず私を観察したまま。

「行方不明でして。」
「え?」
「会社から、ご家族に連絡が行き、行方不明届が出されたんです。」
「そうなんですね。」
「ええ。で、会社にお伺いしたところ、あなたが一番親しかったとお聞きしまして。」
「そうなんですか?私が?」
「ええ。そうなんです。」

驚くしかない、自分が?この男性と?
ドラマのように頭が痛くなることも無い。
NotFound。
見つからない、そんな記憶は存在していないようだ。

いくら脳の中を検索しても、NotFound。
一点、モヤのかかっている場所を除いて。

「すみません。思い出せないです。」
「お聞きしました、健忘という事ですね。」
「多分、そういう事なんだと思います。なので、知っているのかもしれないのですが....。すみません。」
「いえいえ、こちらこそ。まだ体も十分で無いのに大変申し訳ありません。」
私を観察するのを止めたのが分かった。
さっきまでの刺すような目線はもう無い。

「もし、何か思い出したら、こちらに連絡を頂けますか?」
「あ、はい。わかりました。」

名刺には携帯の電話番号と、警察署の電話番号が書かれている。
「どちらでも結構ですので。」
そういうと、男性は病室を出て行った。

モヤがかかっている部分を必死になんとかしようとする。
なんとか、なんとか。
無理だ、何も見えてこない。
最後の景色は二つ分の西京焼き。
それをグリルに入れて、様子を見ている所。
そこまでだった。


それから3日ほどして退院となった。
友人の香織が自分の車で迎えにきてくれた。

「小夜子、大丈夫?」
いつも通りスーツ、フレームのないメガネ。
高めのポニーテール、化粧は薄め。
キャリアウーマン、もう古い言葉だ。

「う、うん。」
体は問題ないらしい、脳も。
ただ、モヤは消えないままだった。

自分の頭の中。
心の中が一部だけ見えない。
まるで自分じゃないようで、怖い。

「家まで送るね。」
香織はそう言って車を発進させた。

車内の会話は無い。
香織は何も聞かなかったし、私も何も話さなかった。

30分ほどで、マンションの下に着いた。
香織は私の荷物を持つと、部屋まで行くと言ってくれた。

エレベーターに乗り込む。

「ねえ、覚えてないの?なんにも?」
「うん。」
「そうかあ。仲良かったのにね、中村くんとさ。」
「中村?」
「そう。どこにいるんだか。」
写真の男性を思い出す。

「あれが、中村、さん。」
「覚えてないんだ。」
「うん。」
ふと、あの男性と同じ目線を感じる。
疑い。
香織は私を見ている。

「ごめん、本当に覚えてない。」
「そうかあ。」
同じように刺すような目線は消えた。

「1週間半ぶりの自宅だね。」
「そう、だね。」

ドアを開けると、何かが腐った匂い。
今のテーブルの上には、夕飯の残りがそのまま置いてあった。
ハエがたかっている。

香織は部屋の窓を全開にしてくれた。
ゴミを袋に詰め、ハエを追い払う。
台所に置いてあるスプレーを思い出して、部屋中にまいた。

臭い。
スプレーはゴミとは別の匂い。
腐敗臭と混ざってより嫌な匂いになっている。

「小夜子、二人分?」
「そう、みたいだね。」

茶碗にお椀、お皿。
全部二組あった。

そして、どっちも途中。
食事の途中だった。

「ねえ、誰といたの?」
「分からない。」
「本当に?」
「うん。」

香織は何かを言いかけて止めた。
なんとなく言いたいことはわかる、でも本当に記憶が無い。

「ねえ、小夜子。スマホは?」
「スマホ?」
そういえば、病院でも渡されなかった。

私はここから3時間くらいの町。
その海岸線を歩いている所を保護されたらしい。
最初は幽霊だと思って、見つけてくれたおじさんは腰を抜かしたと聞いた。
全身びしょ濡れ、前髪は顔を隠していたらしい。
それは怖いだろう。
持ち物はなかったらしい。

「何も持ってなかったみたい。」
「そうか。」

部屋の中の嫌な匂いは風のおかげでだいぶ薄らいだ。
香織はUberEatsを頼んでくれた。
あまり食べる気がしないと言ったが、食べないとダメだ。
と、言われて渋々。

居間のテーブル。
香りと向き合って物を食べた。
私は誰といたんだろう。


会社にも復帰した。
でも、モヤは晴れないまま。

周りは最初は疑いの目を向けてきたが、今では普通だ。
中村さんの事も聞かれた、でも分からないものは分からない。

毎日は忙しく、朝起きて仕事。
帰ってきて、ご飯、お風呂、寝る。
そんなルーチン。

溜まっていた仕事もあったし
大きなプロジェクトに関わっていたこともあり
あっという間に時間が過ぎて行った。
全てが片付いたのは、1年も後だった。

今年の、GWは暦通り休めるらしい。
香織が泊まりがけで出かけようと言ってくれた。

「ねえ、行ってみない?」
「どこ?」
「小夜子が見つかった所。」
すっかり忘れていた。
日々の忙しさが忘れさせてくれていた。

急に、あのモヤを思い出す。

「え。」
「だいぶ時間が経っちゃったけど、行ってみようよ。」
「で、でも。」
「思い出したほうがいいと思うんだ。」
「何を?」
「分からない。でもほら、そういうのドラマであるじゃない。」

そう言って香織は笑った。


次の日、香織の車であの場所へ走っていた。
海岸、30Kmはある大きな海岸。

この海岸を一人で夜中に歩いていたらしい。
なんで?
どうして?
私はどこにいたの?

歩いてみる、あの日と同じように。
素足。
流石に体を濡らすところまではしなかった。

何も思い出せない。
なんで、ここにいたのか。
しばらく海岸を二人で並んで歩く。

「おーい。」
男性の声がする。
遠くの方で、誰が手を振っている。

「おー、元気になったんか。良かったなあ。」
あの時のおじさんのようだ。

「もしかして。」
「そうそう、俺が救急車呼んだんだよ。」
「その節はありがとうございました。」
「いんや、良かったよ。元気になったみたいで。」
「そうなんです、おかげさまで。」
この人が私の命の恩人なんだ。

50代後半、少し猫背。
人懐っこい笑い方をするおじさんだった。

「あ、そうだ。返すもんがあるんだ。」
「返すもの?」
「まだ、時間あるかい?」
香織を見ると、うなづいている。

「大丈夫です。」
「じゃあ、ちょっと待っててくれるかい?15分くらいで持ってくるから。」
そう言って歩いて行ってしまった。

「なんだろう?」
「なんだろうね。」
私たちは海岸に座って海を見ていた。

モヤは1mmも晴れない。
自分の事なのに、そう思うと情けなくなってきた。
顔を下にむえて俯くと、香織は私の手を握ってくれた。

「ごめんね、やっぱりこないほうが良かったかな。」
「ううん、香織の気持ちは嬉しかったよ。ありがとう。」
そのまま二人でしばらく海を見ていた。
潮風が気持ち良い。
ただ、波の音だけを聞いていた。

「おーい。ごめんよ。遅くなっちゃって。」
おじさんがそう言いながらこちらに歩いてくる。
おじさんの手には黒い長靴。
私たちが手をふり返すと、ちょっとだけ早歩きに変わった。

「これだよ、これ。」
長靴を渡された。

「あの?長靴?」
「違うよ、違う。中身、中身だって。」
中身?

靴の中にはピンク色のスマホが入っていた。
「これ、あんたのじゃないかなって。」
「え?」
確かに、これは私のスマホだ。
覚えてる。

今持っているのと同型のスマホ。
こっちは退院してから、紛失で買い直した。

「ねえ、これって。」
香織が電源を入れようとする。
流石に電源は入らない様だ。

「おじさん、これどこに?」
「あんたを見つけた次の日にな、ここに打ち上げられてたんだわ。」
「次の日?」
「そうだ。俺はこの浜の管理人でな、毎日掃除に来てるんだよ。」
「そうなんですね。」
「長靴なんて、って思ってさあ。中見たらスマホ入ってるから、もしかしたらって。」
「あ、ありがとうございます。」
事実は小説よりも奇なり、そんな言葉が頭をよぎった。

おじさんにお礼を何回も言って別れる。

「ねえ、小夜子。打ち上げられたって。」
「うん、言ってたね。」
「小夜子も、もしかして?」
「そうかも、海から来たのかもしれない。」

車に乗り込むと、スマホの横のSDカードスロットの蓋を開けた。
SDカードは刺さったままだった。

「香織、SDカード刺さってる。」
「まだ読めるのかな?」
SDカードを抜き出して、自分のスマホに差し込む。
ファイル管理アプリを立ち上げると、フォルダが表示された。

「ねえ、読める。読めるよ、これ!」
「すごい、何があるの?」
「待ってね。」

そこにはPhotoとmemoと書かれたフォルダがある。
Photoをタップした。

「これって。」
そこにはあの男性の写真があった。
私と二人、中良さそうに写っている。
写真は20枚程度、どれもこれも仲が良さそうだ。

「ねえ、これ中村くんじゃない!」
「そう見たい。」
モヤは晴れそうで、晴れない。
ドラマや映画なら、ここで頭痛がしてってなるのに。
なんで。
ねえ、なんで。

memoと書かれたフォルダをタップする。
あの日、そして前日の日付がファイル名。
テキストファイルが2つ。

「これ、日記だ。」

前日のファイルをタップする。

  • 明日は記念日。
    あの人が家に来る、やっと来る。
    ずっと待っていた、この時を。
    これで幸せになれるのかな?
    どうなんだろう。
    幸せになれたら良いな。

「ねえ、これ。」
「うん。」

当日のファイルをタップする。

  • あの人が変だ。
    一緒にご飯を食べているけど、なんか落ち着かない感じ。
    どうしたんだろう。
    もう1年も付き合ってるのに、記念日が嬉しくないのかな?
    ご飯を食べたら、ドライブでも行こう。
    そんな事を言ってくれた、どこに行くんだろう?
    でも、どこでも良いや。
    あの人と一緒なら、どこでも良いんだ。

「ドライブ?」
「そう書いてある。」
私は必死に思い出そうとしてみる。
キーワードは揃いつつある。
前とは違う、今見つけたキーワードで脳に検索をかける。

[ネモフィラ]
唐突に頭に浮かんだ。
キーワードを辿る。

「ネモフィラって知ってるか?」
「花の名前だよね。」
「そうだ。ネモフィラ、好きなんだよな。俺。」
「そうなの?知らなかったよ。」

あの人が運転席にいる。
そして、私は助手席。
暗い道を走っている。
トンネル、少し先の山道。
いや、獣道で車を降りる。
そのまま、二人で歩く。
手を繋いだまま。

「香織、トンネル。トンネル!」
香織はナビを確認する、この先にトンネルがあるらしい。

運転席に香織、私は助手席。
あの日の記憶、そうなのか分からない。
でも、今はこれに頼るしかなかった。

「ねえ、その先!。山の中に入る道あるでしょ。」
確かに山の中に入る道、という言い方が正しいかは分からない。
ただ、道らしきものはある。
香織はハンドルを切って、その道を進む。

15分ほど進むと、少しひらけた場所に出た。
そこには黒い車が一台。
明らかに長期間誰も乗っていない車が置いてあった。

「あった!、これ、これだよ。」
急いで車を降りる。
中には誰もいない、鍵がかかっているのでドアも開かない。

「ねえ、小夜子。何を思い出したの!?」
「分からない、でも、この先。この先。」

私は走り出していた。
記憶のまま、あの日のまま。
それがいつなのかは分からない。
あの人と手を繋いで、歩いた道を急ぐ。

そして、さらにひらけた場所に出た。
そこは、崖だった。

波の打ちつける音は聞こえない。
でも、切り立った崖。
山道を通ってくるしかない場所にある崖。

「綺麗....。」
思わずそう呟いていた。
少し遅れて香織が横に並んで、同じ光景に目を奪われている。

「なに、これ。」
「ネモフィラ、ネモフィラだよ。これ。」
私はそう言っていた。

突き出した崖は地面が見えない。
水色で覆われている。
ネモフィラ。
一面が、ネモフィラで覆われていた。

「小夜子?」
香織が私に心配そうに声をかける。

勝手に溢れて止まらない涙。
指先で拭っても、拭っても止まらない。
なんだ、この涙。
なんで泣いてるの?

突端にフラフラと歩いていく。
そこに、あるはず。
何が?
何かが、何か大事なものがあるはず。

崖の突端。
そこもネモフィラで覆い尽くされている。
地面の水色、そして、海の青。
境界線。
そう、境界線の様な色。

「ねえ、小夜子。何!?」
私は突端から下を見下ろす。
今にも、吸い込まれそうな気がする。
いや、吸い込まれなければいけない気がした。
そこへ行かないと、そこへ。
この崖から、下へ。
目の前に広がる青の中へ。

「小夜子!!」
気がつくと、私は香織に抱きしめられていた。

「ダメだよ、危ないって!」
私はそのまま落ちて行こうとしていたらしい。
海へ、崖の下へ。

2,3歩後ろに下がって、二人で座った。

「分からない、思い出せない。」
「何?、ねえ、なんなの?」
「分からないの、でも、行かなきゃ。あの下へ。」
「なんで?、ねえ、なんで?」
「分からないの!、でもそうしないといけないの。私は!!!!」
泣きながら叫んでいた。
香織の胸に顔を埋めて、泣きながら香織を叩いていた。

香織はスマホを取り出して、何かをしている。
「ダメ、ここ電波繋がらないみたい。ねえ、戻ろう。」
私は離れたくなかった。
なんで?
どうして?
なんで、何も思い出せないの?
ねえ、思い出してよ。
私の脳みそ、大事な思い出があるんでしょ。
ここに、あの続きを見せてよ。

泣きながら、誰かに祈る。
でも、何も変わらない。
思い出したのは、ここまで。
香織は私を抱きしめたまま、しばらく動かなかった。

少し落ち着いたのをみて、香織に支えられて車に戻った。
山を出ると、かろうじて電波がつながった。
名刺を取り出して、あの番号に電話した。
事情を話すと、あとはこちらで。
近くにはいて欲しいとのことだったので、この近くにホテルを探した。
とはいえ、全部やってくれたのは香織だった。

私は何もできなかった。
ただ、泣いて、泣いて、泣いていた。
何が悲しいのかも分からない。
でも、とめどなく溢れてくる涙。
止まらない、止められない。
香織は私を連れてホテルにチェックインした。

私は部屋に着いてすぐ眠ってしまった。
起こされたのは夜遅く、日が変わる直前だった。


ホテルの部屋に刑事さん、香織、私の三人がいる。
「崖の下、岩の間から人間のものと思われる骨が見つかりました。」
刑事さんはそう言った。

「骨?」
香織は驚いて返す。

「はい、そうです。大きさなどから考えると、男性の骨です。」
刑事さんは私を見た。

「まだ、思い出せませんか?本当に?なにも?」
あの視線だ、刺す様な視線。
疑いの眼差し。

「すみません、すみません。」
それしか言えなかった。

「そうですか...。身元の照会ができれば良いのですが。そうそう、あの車、あれは?」
「あれもそうです、調べてください。」
私はそう言った。

「わかりました。あちらも今調査中です。今日は夜も遅いので、これで失礼します。」
刑事さんは部屋を出て行った。

「ねえ、小夜子?本当に覚えてないの?もう、全部思い出したんじゃないの?」
「なにを?」
「あれ、中村くんなんでしょ?」
「分からない。」
「ねえ、中村くんと何があったの?」
「分からない。」
「分からない、分からないって本当は全部わかってるんじゃないの?」
「分からないんだって!」
そこで会話が終わった。

二人とも何も言葉を交わさなかった。


翌日も捜査は続いているらしい。
私たちは自分の生活に戻ることになった。
ただ、どこにいるか所在はハッキリしておいて下さい。
それだけを言われて。

帰りの車の中。
「ごめんね。小夜子。」
「こっちこそ、ごめん。」
「私ね、中村くんがあの日すごく浮かれてたの見たんだ。なんか、良いこと考えたって。」
「.....。」
「なんか、ネモフィラがどうのって言っててね。」
「ネモフィラ....。」
「中村くん、奥さんとうまく行ってなかったんだって。でも、離婚もできないって。」
「.....。」
「私、相談受けてたんだよね、多分。で、さ。言ったんだ。」
「....、何を?」
「男なら、好きな人を最優先しないとダメでしょって。」
「.....。」
「私のせいかな、そう思った。なんか変なことに巻き込まれてるのかなとか。」
「.....。」
「でね、中村くんのデスクにね。小夜子の写真があったんだ、一枚だけ。」
「.....。」
「だから、もしかしてって。思ったんだよね。」
「もしかしてって....?」
「わかんない、ていうか、言いたくない。」
「そう....。」
「でも、二人とももう会えないのかなとか思ったんだよね。あの時。」
「.....。」
「何があったんだろうね。あの日、中村くんと、小夜子にさ。」
「.......。」
「ごめん、決めつけ、よくないよね。ごめん。」
「......。」
「でも、小夜子だけでも無事でよかった。ほんと。」
香織はそう言って、言葉を終えた。

香織は車で送ってくれた、でも中には入らないで帰ると言った。
私は一人の家に戻ってきた。

ネモフィラ。
webで検索してみる。
花言葉、「可憐」「成功」「あなたを許す」「清々しい心」。
ギリシャ神話?

昔、深く愛し合っていた男女がいた。
男が彼女と結ばれるなら、死んでも良いと神に誓ったところ
実際結ばれたが、男は死んでしまった。
一人残されたネモフィラという名前の女性
男を追って冥府の門へ行き、夫に合わせて欲しいと泣き崩れる
が、その願いは叶わなかった。
それでも男を待ち続ける女性。
それを見た神は、女性を一輪の青い花に変えた。

「ネモフィラ、その花言葉を知ったんだよ。俺。」
「でさ、願いをかけたんだ。お前と一緒になりたいって。」
「だから、お前と一緒になれたら、もうやりたいこともないし、死んでも良いかなって。」
「そう思ったんだよ、なあ。お前は俺と一緒になりたいんだろ?」
男性の声が、頭の中で再生される。

私はうなづく。
「じゃあ、一緒に死のう。神話みたいに離れ離れになるのは嫌だ。」
「だから、ここから、一緒に死のう。」

私はうなづいた。
あの人の手を握って。

「何してるの?」
「ネモフィラの種さ。」
「種?」
「そう、花言葉がさ。」
「花言葉?』
「あなたを許す。許されたいんだろうな、俺。こんな時でもさ。」
私はどんな表情をしたのか分からない。

でも、次の瞬間。
耳を風が貫く。
重力に従って、スピードを上げる二人の体。

「ごめん!!」
そう言ってあの人は私を思い切り突き飛ばした。

離れていく、あの人が。
スピードを上げて下に落ちていく。
一人と、一人
あの人を見る、笑っていた。
そして、手を振っていた。
口ではずっと、何かを

「ごめん。」
なんで謝るの。
ねえ、なんで。
なんで、一人なの?
ねえ、なんで。
なんで。

首に感じたことのない衝撃を感じる。
そこで意識が無くなった。

気がつくと、スマホの画面が涙で濡れている。
思い出したくなかった。
でも、思い出した。

そうだ。
そうだ、そうだ。

ネモフィラの花を思い出す。
あのタネが、広がって。
崖を一面に覆っていた。

でも。
無理。
許せない。
なんで、一緒に連れて行ってくれなかったの?
なんで、なんで、一人なの。
ねえ、なんで。

許せない。
許せないよ、ねえ。
フローリングの床に突っ伏して
ただ泣き続けた。


こちらのお題で書きました。
だいぶ長くなってしまいました。


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