スキやフォローは「恩」なのか?
私は本アカウントを始めたころ、普通にフォローをしていた。
しかし、2年ほど経ったころ、有料記事を売り出すタイミングで0にした。
noteを交流ではなく、記事を売る場に整えたかったからだ。
もとから、スキやフォローを苦痛に感じていた。
フォローさんの記事にスキをつけないことの気まずさがあったり、
相互フォローの相手からスキをつけられないことで、モヤモヤすることがあった。
今思うと、余計なところでストレスを感じていたと思う。
もちろん、交流が好きな人はすればいいが、
スキをつける・つけない、フォローする・外す、という作業に振り回される必要はないと感じる。
このフォローを0にする過程を綴った記事は、予想外の反響があった。
中には、その記事がきっかけで、当時出していたバックエンドの相談サービスまで申し込んでくれた人もいた。
聞くと、ある界隈から抜けようとしてトラブルに遭ったとのこと。
こういったことは、バカにはできない。
バーチャル上の空間とはいえ、その奥には人がいる。
最近、スキやフォローを無差別に行うAI主導のアカウントが増えているが、
コメント欄を除いてみると、律義に
『スキ・フォローをありがとうございます』と書いている人もチラホラいる。
当然、AIで作ったアカウントのため返信はない。
こういった類のAIアカウントは、Amazonアフィリエイトのリンクを踏ませる等の集客装置でしかない。
ここに、スキやフォローを「恩」ととらえている人たちとのズレが見てとれる。
本来、スキやフォローはそれ自体で完結しているもので、“お返し”をする必要はない。
特に、noteを始めたばかりだと、
自分のアカウントにわざわざ訪れてくれた
わざわざスキやフォローをしてくれた
と感じやすいが、たまたま流れてきたから、ただなんとなく、といった場合も多い。
なんなら、先ほど挙げた例のように、“中の人”がいないアカウントも無数に存在している。
noteで疲弊しないコツは、スキやフォローに意味を持たせないこと。
収益化を狙うならなおさら、フォロー=見込み客だと思わないこと。
恩を感じたならば、それを、記事を楽しく書く原動力にしていけばいい。
もちろん、スキやフォロー返しをすることがいけないわけではないが、それはあくまでも自発的な行為である。
スキやフォローという単純な行為に、必要以上の意味を持たせないこと。
自分の価値を預けないことが、noteを長く続ける上で大切な考えなのだと感じる。
