SNS副業がうまくいかないのは、“本当の望み”を知らないから
Threadsでnoteに関する投稿を見ていくうちに、
note副業をやり始める人の法則を見つけた。
本業が“充実”しているにもかかわらず、SNSでの副業に手を伸ばす人たち―。
そこに、SNS副業の現状を垣間見た気がした。
このタイプの人たちって、何が不満なんだろ?
端的に言うね。
このタイプの人たちの不満は
「ちゃんと頑張ってきたのに、報われてない感覚」。
もう少し噛み砕くと、
・真面目にやってきた
・空気を読んできた
・人の期待に応えてきた
・大きな失敗もしてない
なのに
評価も、お金も、安心感も足りない。
だから内側にずっと
「私(俺)は間違ってないはず」
「こんなにやってるのに」
って気持ちが溜まってる。
副業やSNSは
それを一気に回収できそうに見える装置なんだよね。
数字
共感
「すごいですね!」
「勇気もらいました」
これ全部、
本当は日常で欲しかった承認。
この人たちの不満の正体は
能力不足でも
努力不足でもなくて、
“安心して満たされた経験がないまま、ちゃんとした人を続けてきたこと”。
このタイプ、悪い人じゃない。
ただ、欲しいものをずっと取り違えてるだけ。
自分を肯定して欲しいのか。会社や組織の中ではそれが叶わないと。
うん、そう。
かなりそれが核心。
組織の中って
・成果は「役割」のもの
・評価は「都合のいい範囲」まで
・人格そのものは見ない
って構造だから、
「私は私としてちゃんとやってきた」
を肯定してもらえる場所じゃないんだよね。
しかもその人たちほど
・真面目
・空気読む
・期待に応える
から、
「褒められない側」に回りやすい。
で、外に出る。
SNSや副業に。
そこは
・共感が即返ってくる
・数字で可視化される
・存在そのものが反応になる
から、
一瞬「救われた感じ」がする。
でも本当は
売りたいわけでも、稼ぎたいわけでもなくて
「ここにいていい」って感覚が欲しいだけ。
つまり、替えがきく、歯車、使い捨て、からの脱却を図ってるのね。
うん、まさにそれ。
「替えがきく存在じゃないって証明したい」んだと思う。
組織の中で
・誰でもできる仕事
・評価は曖昧
・いなくなっても回る
って経験を重ねるほど、
「自分って何だったんだろ」って感覚が残る。
だから副業やSNSで
・自分の言葉
・自分の体験
・自分の物語
を“商品”にしようとする。
それ自体は自然だし、間違ってもない。
ただ多くの場合、
脱却したいのは“歯車”なのに、
選んでる手段が“承認の歯車”になっちゃってる。
数字、共感、フォロワー、応援コメント。
場所が会社からSNSに変わっただけで、
依存構造は同じまま。
あなたが見てる人は、
自立したいというより
「使い捨てじゃなかったと誰かに言ってほしい」
その途中段階にいる感じがする。
“ただ多くの場合、
脱却したいのは“歯車”なのに、
選んでる手段が“承認の歯車”になっちゃってる。
数字、共感、フォロワー、応援コメント。
場所が会社からSNSに変わっただけで、
依存構造は同じまま。”
うーん。私が今までSNS副業に感じてきた違和感や空洞感が、この文に全部集約されてるな。
多分これ、多くの人がうっすら感じてることなんだと思う。
「歯車として扱われるのが嫌だ」
「使い捨てみたいな感覚から抜けたい」
そう思って外に出たのに、
気づいたら今度は
数字・反応・共感・いいね
に振り回されてる。
会社では
評価・役割・成果
SNSでは
フォロワー・再生数・応援コメント。
場所が変わっただけで、
“自分の価値を外に決めてもらう構造”は同じなんだよね。
だからどこかで空洞感が消えない。
頑張ってるのに、満たされない。
認められてるはずなのに、安心しない。
それは失敗でも甘えでもなくて、
「私は歯車じゃないって証明したい」
その欲求が、まだ外向きのままだから。
違和感を覚え続けてきた人ほど、
本当はもう気づいてる。
承認の歯車に乗っても、
本当の自由にはならないって。
その違和感が消えなかったこと自体が、
たぶん一番大事な感覚なんだと思う。
SNS副業で本当の自由になるためには?
一般向けに言うなら、答えはかなり地味。
「SNSで自由になる」じゃなくて
「SNSに人生を預けない」こと。
多くの人は
・数字が伸びたら安心
・反応が減ったら不安
・売れたら自分OK
・売れないと自分NG
って、自由を求めて始めたのに
評価装置に首輪をつけ直してる。
本当の自由に近づいてる人は逆で、
SNSを
・気分の安定剤にしない
・自己肯定の代替にしない
・生活の全部を賭けない
ただの道具として使ってる。
だから
煽らないし
鼓舞しすぎないし
数字を語りすぎない。
「今日は反応悪かったけど、まあいいか」
「売れなくても、別に自分は減ってない」
これが本当に持てた瞬間から、
やっと自由が始まる。
SNS副業で得られるのは
自由そのものじゃなくて、
自由でいられる余白。
その余白を
承認で埋めない人だけが、
静かに残っていく。
まとめると…
Threadsでnote副業を眺めていると、ある共通点が見えてくる。
それは「真面目に頑張ってきたのに、なぜか報われない」という感覚を抱えた人が多いこと。その不足を埋めてくれそうに見えるのが、SNSや副業だ。
数字や共感、応援の言葉は一時的に「ここにいていい」という感覚を与えてくれる。けれど、会社の歯車から抜け出したつもりが、今度は承認の歯車に乗ってしまう。
場所が変わっただけで、自分の価値を外に決めてもらう構造は同じだから、空洞感は消えない。
SNS副業で本当の自由に近づくには、「自由になろう」とSNSに人生を預けないこと。
数字や反応を自己肯定の代わりにせず、ただの道具として使う。その距離感を持てたとき、静かな余白としての自由が残る。
【結論】
note副業を考察し始めて思ったのは
多くの人が求めているのは、
鳴りやまない購入通知でも、収益でもなく、
“ありのままの自分が肯定される”
という安心感だということ。
記事が売れてほしい
多くの人に買ってもらいたい
というのは、表面的な顕在意識レベルの願望であって
本当の望みはそこじゃない。
本当の望みとは、
《 どんな自分であっても愛される 》
という、揺るぎない確信。
そしてそれは、SNSの反応や読者から得られるものではなく、
自分自身でしか与えられない。
自分を否定しているのは自分。
自分を愛せるのも自分。
すべては、自分次第。
今の情報商材市場がここまで過熱したのは、
その“自分迷子”に、稼ぐ系の情報がうまくマッチングした結果だと感じた。
