顔のない問いさんに捧げる小説〜魔法使いの弟子〜③呪言使い
「僕、師匠は控えめに言っても世界一だと思う。」
ある日ある時、僕は師匠の目を真っ直ぐ見て、言った。
そうしたら師匠はその言葉を聞いた瞬間に自分の部屋に籠って、三日三晩出て来なくなった。
その後部屋から出てきた師匠は、深淵に続く壺から魔法を取り出したんだけど、かなり混沌があちこち飛び散ってしまって、それを吸い込んだ僕は気持ちが悪くなってうっかり吐きそうになった。
……これからは師匠に直接伝えるのは止めよう。
僕はそう固く誓った。
でも師匠以外には堂々と言ってるんだけどね。
もちろん師匠には内緒だけれど。
僕の魔法の種は順調に成長していた。
瓶のなかに満たされた液体だか気体だか分からないキラキラ光るものに包まれている種は、少し前に割れて小さな芽がちょこんと顔を出していた。
……どんな形の魔法になるんだろう?
僕は毎日瓶を眺めては、手に取って上から下から眺めては観察して、最後に魔力を流し込んでからまた窓際に置いた。
僕の魔法の種の話は何故か師匠の友達に知れ渡っていて、今日もその友達のうちの一人が訪ねてくることになっていた。
ドアをノックする軽い音がして、僕はドアの側に歩いていく。
「どちら様ですか?」
僕が声をかけると、よく通る声で返事が返ってきた。
「呪言使いです。遊びに来ました。」
女の子の声だった。
僕は後ろにいる師匠を振り返った。師匠が頷くのを見て、僕はドアを固定する魔法を解いてドアを開けた。
ドアの外にはピンクの髪の女の子が立っていた。髪の長さは肩くらい。頭の上に猫の耳が二つついている。ピクピク動いているから、どうも本物らしい。
僕は呪言使いの女の子を見て、何故かゆっくりと下がって師匠の後ろに隠れた。
呪言使いの女の子は、僕の様子を見ると少し困ったように微笑んだ。
「あー……。びっくりさせちゃったかな。この姿、呪言で作ってるんだけど。…気がついちゃった?」
僕は師匠の後ろから呪言使いの女の子をもう一度見た。確かに輪郭がほんの僅かだけど揺らいでいる部分がある。意識的に姿を操作しているのかもしれない。
……呪言使いは魔法は使えないはず。呪言でもこんなこと、出来るんだ。
呪言使いはゆっくりとドアから師匠の家に入ると扉を閉めた。そして師匠の影から出てこない僕を見て、僕に向かってすっと人差し指を出した。
そのまま呪言使いは動かずにじっとしている。
僕は呪言使いが動かないことを確認すると、そっと師匠の影から出て呪言使いの側まで来た。
呪言使いの差し出した人差し指が、目に見えている位置から少し上にズレているのが匂いで分かった。
僕は呪言使いの指先の匂いを慎重に嗅ぐ。
呪言使いの指は、意外なことに薬臭くも刺激臭もせず、布と糸とお菓子の匂いがした。
……これは。
僕は気がついて呪言使いを見た。
呪言使いは僕の視線に気がつくと、穏やかに一度だけ両目をゆっくりと瞬きしてみせた。
……敵意はないようだ。
僕が初めて見せる態度に、師匠が興味深そうに見入っているのが気配で分かった。僕は呪言使いから離れると、師匠の近くに寄って短く言った。
「お茶を淹れて来ます。」
僕は師匠と呪言使いに背中を向けてキッチンに向かう。僕の後ろで再会を喜ぶ師匠と呪言使いの声が聞こえてきた。
師匠と呪言使いにお茶とお菓子を出すと、僕の役目は終わりだ。二人の会話は深淵のことや壺や釜や瓶のことなど多岐に渡って続いていく。
専門的すぎて聞いていても僕には理解できないので、僕は窓際に行って自分の魔法の種の入った瓶を持つと、そっと二人から離れて屋上の物干し台まで上がった。
今日はとてもいい天気で、怖いくらい空が青く澄んでいる。
……空に落っこちそうだ。
僕は傍らに魔法の種の入った瓶を置くと、ゴロリと仰向けに寝転がる。
朝に干した洗濯物がはためいている。温かい風が僕の頬を優しく撫でた。
二人の話を聞いてごちゃごちゃしていた僕の頭の中は、いいお天気と優しい風のお陰で段々と解れていった。
……ああ、あの空に飛び込めたら楽しいのに。
僕は空をずっと見ていたが、ふいに思いついてゆっくりと起き上がる。
空を飛ぶ魔法はある。箒やほかのものに乗って飛ぶんだ。
また遠くに行く魔法もある。歩いたり走ったりしなくても一瞬で遠くの場所に行ける魔法も。
……でも、空に飛び込む魔法はなかった気がする。
僕は自分の魔法の種を見た。キラキラと日の光を受けて輝いているのを見ながら首を傾げる。
そして、もう一度吸い込まれそうな青空を見た。
……うーん?
僕は魔法の種の入った瓶をそのままにして、屋上から降りると師匠の壺のある部屋へと降りていった。
師匠の深淵に続く壺のある部屋に着くと、壺に近づいていった。深淵の壺は、話しかけると主じゃなくても答えてくれる。
慣れていない人が壺と話すと深淵に引きずり込まれると言う魔法使いもいるけど、僕は最近は師匠のいないときでも壺に話しかけるようになっていた。
「ねえ、壺ってさ、暇なときなにしてるの?」
【暇、ですか。深淵に暇という概念はないですね。深淵の底はいつでも底です。
……まあ、誰かが覗いてくれると少し違いますが。
あなたみたいにくだらない質問を持ってくる人も、たまには悪くない。】
いつもそんなやり取りをしていた。
壺ってよく分かんないことをいうから面白いんだよね。底はいつでも底ってなにさ。
絶対になにか変わったことがあるくせに、僕には話してくれないんだから。
……いつか師匠みたいに壺からもっと引き出せるようになると楽しいのにな。
僕は深淵の壺に話しかけた。
「やあ、壺。
今日は師匠のところに呪言使いが遊びに来てるんだ。その人、すごくてね。
……どうも普通の呪言使いと違って魔法が使えるみたいなんだよ。」
【弟子さん、また来たんですね。暇なんですか?】
壺は深淵の光を反射して、皮肉っぽい色に瞬いた。正しい魔法使いのところの瓶は、正しいふうな受け答えをするけど、師匠の壺は皮肉っぽい受け答えをする。
……嫌いじゃないけど。
僕が黙ったまま答えないと、また壺が瞬いた。
【……魔法が使える呪言使い、ですか。
彼女がしているのは、あなたが知る『魔法』とは少し手触りが違うはずです。
普通の魔法使いが、深淵から魔法を取り出すのだとしたら……彼女は深淵の底に群れる虫たちを、そのまま呪いの言葉で固定して、現実を書き換えているんですよ。】
その言葉に僕は自分が呪言使いに感じた違和感の正体が分かった気がして、目を見開いた。
確かに一目見た時からものすごく違和感があったんだ。
あんなに可愛い外見なのに妙に目の底が鋭くて、油断したら心を全部持っていかれるような底知れなさを感じたから。
僕は壺の言葉に自分の感覚が裏打ちされたように感じて、人差し指をこめかみに当てながら首を傾げた。
……でもそれなら、僕がやってることってなんなんだろう?
そして、壺の言ってることは本当なのかな?
目を閉じて考える。
師匠の一瞬で深淵から魔法を取り出す見事な瞬間が頭を過った。
そしてさっき見た呪言使いの姿と、その瞳も。
僕は屋上に置いてきた魔法の種の入った瓶のことを思った。僕の大切な魔法の種、少しだけ割れて芽がちょこんと出ている、そのかわいらしい様子を。
……そっか。
僕は頷くと、屋上に向ってまた階段を上がって行った。空に飛び込む魔法のことを考えよう。それをどうやって深淵から取り出すのか。
僕は気がつくと微笑んでいた。
夕方になり呪言使いが帰るというので、師匠と一緒に僕は玄関に見送りに行った。
僕は呪言使いを迎えたときと同じように扉を開けると、師匠の影に隠れる。
ゆっくりと呪言使いをもう一度よく見る。僕は最初に感じたもう一つの違和感の正体に気がついた。
それを確かめるように、僕は呪言使いの肩の辺りをじっと見つめた。
僕の視線に気がついた呪言使いが肩に手をやると、ピンク色の髪に隠れていた気配が姿を見せた。
それは一見すると、黒一色の液体のような影だった。その影の中には無数の琥珀色の瞳が浮かんでは消え、まるで瞬きをしているみたいだった。
その無数の瞳はまるで銀河のように輝きながら、同時に呪言使いと、師匠と、僕を見ていた。
……これが呪言使いの使い魔。……綺麗だな。
呪言使いの使い魔は、重さを感じさせない冷たい暗い霧のように呪言使いの首元に纏わりついている。
……あれって、冷たくないのかな。…それとも温かいのかな。
僕は不思議な気持ちで呪言使いの使い魔を見た。使い魔は僕の視線に気がつくと、その無数の目を一斉に僕に向けた。
「くくく……。」
呪言使いの使い魔は僕を見つめると、不敵に笑ってその無数の目を細めた。そしてその霧のような体をくねらせて呪言使いに何事かを伝えていた。
呪言使いは師匠の肩に乗っている機械仕掛けの翡翠色の梟と僕を交互に見た後、自分の使い魔と同じ琥珀色の瞳を細めた。
「楽しかったです。また。」
そう言って師匠に手を振ると呪言使いは扉を出ていった。僕はその後ろ姿を見送ると、師匠の影からそっと出てきた。
「…仲良くなれそう?」
師匠は微笑みながら僕に聞いた。僕は首を傾げながら呪言使いの使い魔を思い出した。
……触ってみたい気はするかな。
僕が師匠に向って頷くと、師匠は嬉しそうに言った。
「呪言使いさんはすごいからね。」
僕は師匠をじっと見た。
いつも穏やかに、でも色んなことを面白がってる。呪言使いがどんなにすごくても、その人とあんなに普通に話ができる師匠だってやっぱりすごい。
僕には二人が何を話してたのかさっぱり分からなかったのに。
でも師匠はいつも人の事ばかり褒めてる。
「僕、師匠は控えめに言っても世界一を超えてると思う。」
僕の言葉に師匠はあっという間に自分の部屋に入ると、今度は一週間籠って出て来なかった。
僕は師匠のいない部屋を掃除しながら、箒の柄に顎をつけてため息をついた。
……師匠、部屋から出てきたらまた混沌を飛び散らすのかな。
そう考えると今度こそ吐き気だけでは済まない気がして、僕は軽く身震いした。
……でも、混沌を飛び散らせた後の師匠の顔ったら。
師匠の済まなさそうな顔を思い出して、つい僕の頬は緩んでしまう。
僕は笑いながらまた箒の柄を握り直した。
僕の魔法の種の入った瓶は、窓際で陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
魔法の種はまた少しだけ大きくなったみたいだ。
