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気が付いたら路地裏にいた頃から・・・

いつも出たり入ったりする路地裏に想いを馳せてみたお話。


唐突ながら「路地裏」のイメージで思いふけっていたらいい曲を思い出したので載せておく。

デビットフォスター氏のThe Ballet。イージーリスニング系なのになぜか頭に残り、映画情感を思い起こさせてくれる曲。人の数だけある路地裏のどんなドラマにも、最後にこれを流して妄想のテロップを送り出し、最後に #なんのはなしですか で完結してしまえばもう、その路地裏トリップは見事に完結してしまいそうな、確実に、きれいだけどよくわからない曲。これもまた、音楽。

ということでお時間とお耳が許される方は、👇をループ再生しながら読んでほしい。

路地裏。

路地をさらに奥へ入り込んだ表通りから離れた裏手の場所 のこと。

現実にもこれらはどこかに存在していて、誰しも子供の頃に「何かがあるかもしれない奥まった場所」に興味を惹かれつつ、先が見えない薄暗いそこに至る過程に少し怯えながらも、仲間とともにそこに足を踏み入れる。

踏み入れた先には今まででは知り得なかったことばかりがあって、見つけたそれに一喜一憂し、仲間とワイワイ騒ぎはしゃぐ。あるときは確認したいことができて、ひとりで路地裏へ訪れることも。そのときは自分の中に忘れられた何かを見つけに来たのかもしれない。

そんな現実の路地裏の経験は、ほとんどの人にとって記憶のどこかに刻まれている。

路地裏へ入るときの合言葉みたいなのもあったかもしれない。note界でも路地裏は存在していて、そこに入る合言葉が #なんのはなしですか 。この言葉を言いだしたコニシ木の子氏。

彼が紡ぎ出す独特の文体は、読む人の目を引き付け、頭を混乱させ、こんなことがあっていいのか?と子供の頃に体験したであろう忘れ去られた心の一面を思い出させてくれる。私もふとした形でこれを知り、その本質を知った時は心躍り湧きたった。

いろんな形でよい。誰もが自由に訪れることができる路地裏でつぶやく #なんのはなしですか

ギャラリーはいてもいなくてもよい。たくさんの人でもたったひとりでも、その言葉をつぶやけば立派なエンタテイメントになる。この発想は、エンタテイメントとは選ばれし人だけが作り出せるものだという世間の誤解を見事に打ち砕いてくれる。そう、この言葉に目を向けて彼の文章を読みさえすればいい。

そしてエンタメとなった #なんのはなしですか は路地裏への合言葉としても使われ、今やnoteの世界ではかなり有名になった。この言葉を唱えるものは路地裏の住人と呼ばれ、路地裏には先ほど書いた通りひとぞれぞれの自由があり、何をしてもしなくても、何を表現してもしなくてもよい。

あるのは、なにかわからないけど楽しもうということ。

いろんな才を備えた人たちが、その才を役に立つことではなく、まったく役に立たない「なにかわからないけど楽しいと思えること」に全振りするさまは、傍から見ているとほんとにいいなぁと思う。そして私もそうありたいと切に願うんだ。

そんな矢先に私が思っていることを言語化してくれた人がいた。春永睦月さん。

彼女のこの文体もまた、 #なんのはなしですか  を象徴するひとつのパタン。彼女の文章も大好きだ。

最初はどうなるかわからないくらいの規模感だったものが、今や商標登録までなされ、 #なんのはなしですか  はエンタメ化に走り出した。おそらく、いや確実に誰の役にも立たない。でも、役に立つ立たないというのは誰かが決めた尺度にしか過ぎない。

渦中にいる人たちが本当に楽しんでいれば、役に立つ立たないの表現はもはや色褪せて消え失せてしまう。路地裏を出て後ろを振り返ったときだけに「あぁ、また役にたたないことをしてしまった」という気になるのかもしれない。

でもそれは、石川五右衛門が「また、つまらぬものを切ってしまった」というのと同じだ。石川五右衛門はそう言いながら何回もつまらないものを切っている。そういうものだ。 #なんのはなしですか もきっと。

今日も誰かが路地裏で #なんのはなしですか を叫んでいる。なんか楽しそうだ。

さぁ今日もまた、日常の喧噪にあるやっつけごとを片づけたら、路地裏にいって遊んでみようかな。

「よ~せ~て~~~」って。誰か返事をくれるかな。。。。


#なんのはなしですか #路地裏 #なんのはなしですか映画制作委員会 #エンタテイメント #15日ライラン #66日ライラン



PS:…この話ならなんぼでも書けるわぁ(笑)

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