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学芸大学より愛を込めて

注釈: これはノスタルジー一辺倒のペシミストによるラブリーレターです。


また、引越をする。

学芸大学に住んで3年6ヵ月を過ぎ、
元来スナフキンの質である私は、そろそろ別の街に移ることをぼんやり考えていた。

また元来無職であった私は、
見えてきた口座の底を眺めながら、そろそろ就職を、とも考えた。

そして現在に至る。気付いたら働き口が決まり、荷造りをしていた。

去ると決まった日から殊更に、会いたい人に会い、見たい展示を見、今まで行こうと思いつつ行けていなかったところに出来る限り足を延ばした。
大好きなお店で歌も歌えた。
有限なエネルギーとコストを私に割いてくれた方々、どうもありがとうございました。大好きです。


さて学芸大学駅周辺には大学は無いが、
駅を挟んで東西に伸びる商店街を中心としたあらゆる商いの場が拡がっている。

先住の地、茗荷谷では一人での散歩に止まっていたが、学芸大学では巨大資本より個人商店を利用したいと常日頃考え、なるべくそうしていた。
文房具屋さん、本屋さん、八百屋さん、家具屋さん。喫茶店。
毎日の消費行動や選択もまた、社会への意思表示のひとつだと思うから。

そして少しずつ歩き回るうちに、
そこに住む様々な隣人たちの人となりと生活、コミュニティが無限に並行あるいは関わりあっているその一端を感じ取れるようになった。
どうやら自分もまたその一部であることも。

駅の西口を右に少し歩いたところに、コーヒーカロという小さいカフェがある。若く見える髪の長い無口なお兄さんが一人でやっていて、居心地が良かった。

駅の改札を右、つまり東口を出てすぐ左の八百屋の2階に、ジブリに出てきそうな装いで白髪のご夫婦がやっている喫茶店がある。
かふぇ りどぅ あんぐいゆ。
ここも居心地が良く、気に入って暫く通っていたらある日お二人が他の常連と話をされていた。「ここは店側もお客さんも魚座の人が多いんですよね」一瞬店内が静まり返った気がして、ちょっと慄いた。なぜなら私も魚座だからである。
気に入って選んだはずが、じつは吸い寄せられていたのかもしれない。不思議な気持ちになった。

東口を出て鷹番2丁目のほうに歩くと、一見普通のマンションの一室に木林文庫がある。
オーナーご夫妻は主にはエクリという出版社をやっており、その傍ら木林文庫と冠し'木林'に纏わる私設の図書室として訪れる人に文庫を開放されている。
広告を見て面白そうだと訪問し、帰りがけの玄関で空のCDケースに差し込まれた何やらおしゃれな装丁の印刷紙を見つけた。
聞くとそれは'きんりん'と題したフリーペーパーで、名の通り近隣の繋がりのあるお店やその店主を取り上げ、A3用紙1枚にまとめているのだそうだ。冊子は20を超えていた。
交流のある人々について書き、そして発行も毎回500部程度と本当にささやかな活動のようだったけれど、私はとても素敵だと思った。

その後、そのフリーペーパーに載っていた碑文谷のお茶屋さんに行った。
そこは予約制で、試飲を予約すると3杯までお茶を試せる。ミルクティーのようにまろやかな煎茶やマスカットの香り高い烏龍茶、手間暇かけてつくるオリジナルチャイなど、世界中のお茶を集める店主さんによる繊細なブレンド(違ったらごめんなさい)は趣があって面白かった。
帰る前の小話できんりんを見て来たというと、木林文庫さんとの関わりを教えてくれたけれどきっかけは本当に些細なことだったそう。
前述のコーヒーカロや大好きなあんぐいゆ、高架下の古本屋の流浪堂もみんな木林文庫のお二人やそれぞれで関わりがあり、きんりんに載っているらしかった。
少し閉じた、でもゆるやかで信頼のある繋がりだと思う。それを1枚のフリーペーパーにするのもなんだかユーモアを感じる。


気付くのが少し遅かったなと残念だった。
私がうだうだと暮らしていたすぐ横で、そのささやかだが素敵な繋がりの世界が拡がっていたのだ。
街に根付き、人と関わり、その人たちの交わりをまた知ることは、きっともっと自分の見える世界や生活を拡げてくれていただろう。
とはいえ、
そういう隣人との関わり方を知ってフレッシュな視点を得られたし、
それに私なりにも張った根があるのだ。


西口商店街を少し歩いたら右に曲がって駒沢通り沿いに、黄色いファサードで丸い外灯に黒猫がプリントされたかわいいお店がある。

名をMARUKUという。
名のある小説家とパタンナー(違ったらごめんなさい)のご夫婦が5年前に始めた、ノンアルコールもローアルコールもアルコールもなんでもある飲食処である。
のぶ子さんが作ってくれるごはんもいつも美味しいです。

飲み屋とも、居酒屋ともバーともカフェともごはん屋さんとも形容しがたく、私はいつも説明に困るのだが、
それはマルクが私にとって他のなにものでもない、サードプレイスでありセーフティネットのような場所だからだ。

レコードが聴けるお店で検索をして、家から歩いて5分の場所にある黄色いお店のことが気になって暫く、2024年の春に初めて足を踏み入れた日から約2年。
マルクで沢山の人と出会い、いろんな話をして、レコードを聴き、かなり(かなり)多くの時間を過ごした。
お店のスタンプカードが5枚貯まって、自分の名を付けたフェスをさせてもらう程には。

夜、疲れきって仕事から(文字通り)とぼとぼ家路に着く前に何とか気分を変えたくて足を向けると、マルクはいつも暗い海に浮かぶ救助船のように温かく光っていた。

職場みたいに仕事っぷりを詰られて泣くことも、
家みたいに空っぽの冷蔵庫や服でいっぱいになった洗濯機を情けなく思うこともない、
今まで関わりのなかった他人(あえてこう書く)の話を聞けて自分の考えや出来事を話せること、尊重し合えることの安心感が、その他人だった人たちの癖や嗜好(思考)(志向)を知って人を覚えていく面白さが、
そして勿論おいしくてあたたかい食事が、
どれだけ私を正気に保ち、心のままならなさを許された気分にしてくれただろう。
そして歳の重ね方の解は一つではなく、沢山あると教えてもらえた。

同年代の人たちと知り合えたのも嬉しかった。
多くの人が近くに住んでいて、お店に行けば誰かがいて、連絡すれば終電を気にせずあそべて、
本当にいっぱい遊んだからかな、街を離れることは一種の死のように感じる。
それでもこの街や皆はそのまま人生を続け、私の座った席に新しい隣人が座り、時は流れていくのだろう。寂しいけれど私も同じなのだろうな。
お世話になりました。

大人になってから出会った好きな場所や人やものごとが自分の根を育て、だから私は揺らぎながら揺るがずに自前の足で歩いていけるでしょう。
どこまでも歩いていかなければならない。
その根源はこの街にある。

街に暮らし、根を張ること。
大学生の頃、設計課題で私は植物の幸せについて「どこまでも自由に根を張れること」と定義した。
いま、私という人間の幸せについてもそうだと言いたい。
3年6ヵ月、大変愉しかったです。


追伸: 
東京に来てから5年と少し、本当に色々な場所に出かけた。
集合体恐怖症の人がぞっとするほどGoogleMapにピンを差し、狂ったように消費し続けた(もちろん好きで行きたいところに行ったのだが)
東横線は言わずもがな、
銀座も神保町も神楽坂も、下北沢も高円寺も、赤坂も白金も、清澄も蔵前も、
四ツ谷も代々木も馬場も幡ヶ谷も谷根千も。
その他もたくさん。
たくさん遊びました。
うんざりするほど人が多い、でもその分面白くて変な人も沢山暮らしている、をかし街東京。
愛です。


私という人間はどうしようもなく、
これからも旅をして、あらゆる場所に根を延ばし、なるべく愉快に、ゆるゆる、頑固に年輪を増やしていくことでしょう。
違う惑星の愛すべき変な人たちへ、
またいつかすれ違えますように
学芸大学より愛を込めて。

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