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大人になると悲しくなるもの

「俺たちって後輩や年下の子から"○○さんってそんな曲も知ってるんですね!”って言われたいがために最近の曲きいてるところあるよな」

高校の同級生とカラオケに行ったとき、こんなこと言われたのがはじまりだった。そのとき僕はVaundyを歌ってたと思う。

大人ってもっとカッコイイのだと子供のころ思っていた。そんな大人になった今、なにを思うか。

大人になってから失うものが多すぎた。その度に悲しくなる。具体的に1つ1つ挙げてみよう。

食事の場が居酒屋か小洒落たレストランになる

食事といっても美味しいものを食べるだけでなく、その場にいる人との交流を楽しむものである。それは多いにわかる。

僕はお酒も飲むし、お酒の場も好きだ。しかし、誰かと会う約束をすると必ずお酒がつきまとう居酒屋か小洒落たレストランになる。経済的に余裕の出てきた大人たちは、身の丈にあった食事の場を設けようとする。

気の知れた友人なのだからそんな気の張った食事の場でなくてもいいのに。それなら僕は全然、昼間のカフェでもいいし、チェーン店のファミレスでも構わない。居酒屋でお酒の力を借りて本音をしゃべり合うよりも、昼間のカフェでじっくり話し合う間柄の人のほうが凄く信頼のおける関係だと思う。お酒の力を借りてしゃべり合った翌日には昨日ことを忘れて、まるで昨日ことがなかったかのように他人行儀に接するのだから。

出会いが違っていれば絶対に友達になっていたかもしれない職場の人

職場で凄く仲良くしている人がいる。会話の波長も合うし、価値観が合い、穏やかな性格の凄くいい人がいる。しかし、この「同じ職場」という堅くて破れない厚い壁が隔たれている。

出会い方がもし違っていたら絶対に友達になっていたかもしれない。しかし、出会いが職場である以上、「職場で仲良くしている」だけの仲になってしまい、どうしても「職場の人」というのが拭えない。人との出会いは宝探しなのかもしれない。「出会い方が違っていれば絶対に友達になってたなこの人」という存在の人がいる度に悲しくなってしまう。

友人の結婚報告

大変喜ばしいことで、大事な友人なので精一杯の祝福の言葉を述べるのと同時に、「あぁ、もう以前みたいな関係に戻れないなぁ」と思い込んでしまう。友人との時間より家庭の方が第一になってしまうから。こうして半年に1回会う関係から1年に1回とかのペースに落ちて、いよいよ疎遠になってしまうパターンになってしまう。

人を評価するとき「お金を持ってる人」か「仕事ができる人」かでしか見ない

とくに仕事しているときに感じる。

職場の人たちは「仕事ができるかどうか」でしか人を判断しない。多いにその通りなのだが、それだけでしか人としての評価がなされないのかと思うと悲しい。

利益を出して会社を発展させるために仕事をする。そしてそれができる人が評価される。それは至極当然のことだが、職場の人としゃべっていたりすると、節々とそういうところを感じてしまって嫌になってしまう。

別の日、たまたま会った親族から「お金の持ってない男はモテないよ」と言われた。たしかに。愛を育むにもお金は必要だ。お金なくては結婚というものは……はわかる。それでも「お金で人を判断する」というのを全面に出されると辛い。

大人になるって昔は憧れていたけれど

大人ってカッコイイな、って子どもの頃は漠然と思っていたけれど、大変なことが多い。

年齢重ねるにつれて思うのは「仕方なく大人のフリをしている」という感じがするところだ。若い時に感じられなかったことが、この頃、頻繁に訪れてくる。

あたりまえの青春に恋してたあの頃とは違う。僕たちはあまりにも大人になってしまったのだ。

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