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― キャンディーズ『微笑がえし』から学ぶ、「終わり方」と「進路選択」のキャリア教育 ―司書と司書教諭の会話(よい子の歌謡曲編)

『普通の女の子に戻りたい』は、人生の失敗じゃないんですか?


夕方の時荘。

木造アパートの管理人室には、いつものように古いラジカセが置かれていた。

ちゃぶ台の上には湯のみが三つ。

楠木時は、ゆっくりとお茶をすすっていた。

その向かいで、アカオキスケが目を細めている。

ラジカセから流れているのは、明るく、少し切ない昭和歌謡だった。

そこへ、八洲ミライが顔を出した。

「こんばんはー」

「いらっしゃい、ミライちゃん」

時がにこやかに手招きする。

「お茶、飲んでいきなさい」

「ありがとうございます。あ、音楽ですか?」

「キャンディーズよ」

「キャンディーズ?」


ミライは首をかしげた。

「飴の歌ですか?」

キスケが湯のみを持ったまま、少しむせた。

「飴ではないな」

「違うんですか」

「三人組のアイドルよ」

時が笑った。

「昭和の大スター」

「へえ……キャンディーズ」

ミライはラジカセを見つめた。

「この曲、なんだか明るいのに、ちょっと寂しいですね」

「『微笑がえし』」


キスケが言った。

「キャンディーズが最後に残した、とても大事な歌だ」

「最後?」

「解散前の歌なのよ」

時が懐かしそうに目を細めた。

「キャンディーズはね、人気絶頂のときに『普通の女の子に戻りたい』って言ったの」

ミライは目を丸くした。

「普通の女の子に戻りたい?」

「そう」

「それって、アイドルを辞めたいってことですか?」

「表面だけ見れば、そうね」

時は静かに言った。

「でもね、あれはただの退職届じゃなかったのよ」

「退職届」

「ミライちゃん、急に現代の事務処理に戻したな」

キスケが笑う。

「でも、たしかに気になります。人気があるのに辞めるって、もったいなくないですか?」

「もったいない、か」

キスケは少し遠くを見るような顔をした。

「そう思う人もいただろうな」

「じゃあ、失敗なんですか?」

時は首を横に振った。

「違うと思うわ」

「どうしてですか?」

「終わり方にも、人柄が出るのよ」

ミライは、その言葉を聞いて黙った。

ラジカセから、明るいメロディが流れ続ける。

「この歌はね」

時が言った。

「泣きながらさよならする歌じゃないの」

「泣かないんですか?」

「泣いているかもしれない。でも、最後には微笑み返すの」

「微笑み返す……」

「もらったものを、ちゃんと返して終わる」

キスケが続けた。

「歌だけでなく、終わり方まで作品にした人たちなんだ」


ミライはラジカセを見つめた。

「終わり方まで、作品にする……」

その言葉が、妙に心に残った。

翌日の放課後。

学校図書館には、夕日が差し込んでいた。

返却カウンターの上には、戻ってきた本が何冊も積まれている。

楠木恵子が分類ラベルを確認していると、ミライがいつになく真剣な顔で近づいてきた。

「恵子さん」

「なに、その顔」

「昨日、時さんとキスケさんが、キャンディーズを聴いていたんです」

「ああ、また昭和歌謡会ね」

「いつものことなんですか?」

「わりと」

「しかも、曲が『微笑がえし』でした」

恵子は手を止めた。

「あら。いいところに出会ったわね」

「いいところなんですか?」

「かなり」

ミライはカウンターに両手を置いた。

「それで気になったんですけど」

「うん」

「『普通の女の子に戻りたい』って、人生の失敗なんですか?」

恵子は少しだけ目を丸くしたあと、ふっと笑った。

「いきなり重いわね」

「だって、人気があるのに辞めるんですよね?」

「そうね」

「仕事で成功していたのに、普通に戻りたいって言ったんですよね?」

「そう」

「それって、夢をあきらめることなんですか?」

恵子は返却本を一冊手に取った。

「ミライさんは、そう感じた?」

「最初は。でも、時さんが言ったんです」

「何て?」

「終わり方にも、人柄が出るって」

恵子は静かにうなずいた。

「おばあちゃんらしいわ」

「どういう意味なんですか?」

「じゃあ、今日はキャンディーズを教材にして、進路選択と“やめ方の美学”を考えてみましょうか」

「やめ方の美学」


「そう。続けることだけが美しいわけじゃない、という話」

「辞めるのも、美しいんですか?」

「辞め方によるわ」

ミライは、すぐメモを開いた。

「まず、キャンディーズって何だったんですか?」

「昭和の三人組アイドルね。ラン、スー、ミキの三人。歌も踊りもバラエティもできた」

「三人組」

「しかも、三声ハーモニーが魅力だった」

「三声ハーモニー?」

「三人が同じメロディを歌うだけじゃなく、それぞれ違う音を重ねて、一つの響きを作るの」

「合唱みたいな?」

「そう。アイドルだけど、音楽的にもきちんと聴かせるグループだったの」

「へえ」

「テレビの時代、お茶の間の時代、みんなが同じ番組を見て、同じ歌を知っていた時代。その中心にいたのがキャンディーズだった」

「今で言うと、国民的グループですか?」

「近いわね」

「それが、普通の女の子に戻りたい」

「そう」

「強いですね」

「強いわよ」

恵子は本を一冊棚に戻した。

「でも、その言葉だけが独り歩きすると、少し誤解される」

「誤解?」

「『普通に戻る』って、負けたから戻るわけじゃないの」

「じゃあ、何ですか?」

「自分たちの人生を、自分たちで選び直すということ」


ミライはペンを止めた。

「選び直す」

「そう。進路選択って、一度決めたら終わりじゃないでしょう?」

「高校、大学、就職、転職、退職……」

「そう。人生はずっと進路選択の連続なの」

「でも、辞めるって、なんとなく悪いことみたいに言われません?」

「言われるわね」

「逃げたとか、根性がないとか」

「でも、続けることだけが正解なら、人は壊れるまで走るしかなくなる」

ミライは少し黙った。

「それは、しんどいですね」

「だから大事なのは、辞めるか続けるかだけじゃない」

「何が大事なんですか?」

「どう終えるか」

「終わり方」

「そう」

ミライは、昨日の時の言葉を思い出した。

「終わり方にも、人柄が出る」

「まさに」

恵子はうなずいた。

「そして『微笑がえし』は、その終わり方を歌にした曲なの」

「タイトルがもう、返してますもんね」

「そうね」

「何を返しているんですか?」

「それを考えるのが、今日の国語です」

「出た。急に授業」

「学校図書館ですから」

ミライは笑った。

「『微笑がえし』って、過去の曲のタイトルが歌詞の中に入っているんですよね?」

「よく覚えてるじゃない」

「キスケさんが言ってました。『自分たちの歴史を歌の中にたたんだ曲だ』って」

「キスケさん、詩的ね」

「たまに何言ってるか分かりませんけど」

「そこも含めてキスケさんね」

恵子は少し笑った。

「『微笑がえし』には、キャンディーズの過去曲を思わせる言葉が散りばめられているの」

「セルフ引用ですね」

「そう。自分たちの過去を、自分たちの最後の歌の中に引用する」

「それって、卒業アルバムみたいですね」

「いい表現」

「一曲一曲は別々の思い出だったのに、最後にまとめて一冊のアルバムになる」

「そう」

「しかも、ファンもそれに気づく」

「そこが大事」

恵子はカウンターに戻り、ミライのノートをのぞいた。

「歌って、ただ聴くだけじゃないの。聴く人の記憶が重なる」

「ファンは、自分の青春も一緒に思い出す」

「そう。だから『微笑がえし』は、キャンディーズの歌であり、ファンの思い出の整理でもある」

「整理……」

ミライは本棚を見た。

「自分たちの歴史を、自分たちで棚に戻しているみたいです」

恵子が目を細めた。

「学校司書らしい比喩ね」

「最後に返却するんです」

「何を?」

「もらった時間とか、笑顔とか、青春とか」

「いい読み方」

「合ってますか?」

「国語で大事なのは、合っているかだけじゃないわ」

「違うんですか?」

「根拠を持って、豊かに読めるか」

「答えは一つじゃない?」

「そう。答えを一つにしないことも、国語の大事な読み方よ」

ミライはうなずいた。

「でも、不思議です」

「何が?」

「別れの歌なのに、明るいんです」

「そこがキャンディーズらしいところね」

「普通、もっと泣かせに来ません?」

「来る場合もあるわね」

「バラードで、照明が暗くなって、みんな泣いて」

「それも一つの別れ方」

「でも『微笑がえし』は、明るくて、軽くて、でも泣ける」

「悲しみを、悲しみのまま出しすぎないの」

「どういうことですか?」

「別れを、季節や日常や笑顔で包むのよ」


ミライはペンを走らせた。

「悲しいと言わずに、悲しさを出す」

「そう」

「それ、国語っぽいです」

「国語です」

「昨日、時さんも泣きそうな顔なのに笑ってました」

「おばあちゃんにとっては、自分の時代への微笑がえしなのかもしれないわね」

「自分の時代へ?」

「キャンディーズを聴いていた頃の自分。テレビの前にいた自分。友だちと歌った自分。そういう昔の自分に、今の自分が微笑み返している」

ミライは静かになった。

「歌って、時間を戻すんですね」

「戻すというより、つなぐのかもしれない」

「つなぐ」

「過去の自分と、今の自分を」

ミライは、ふと顔を上げた。

「それって、進路選択にも似てませんか?」

「どう似てる?」

「進路って、未来を選ぶことだと思ってました」

「うん」

「でも、過去の自分をどう受け止めるかでもありますよね」

恵子はうれしそうにうなずいた。

「かなりいいところに来たわ」

「えっ、褒められた」

「たまにはね」

「記録しておきます」

「しなくていい」

二人は笑った。

「進路選択って、未来だけを見て決めるものじゃないの」

恵子は続けた。

「自分が何を大事にしてきたか、何に傷ついたか、何を楽しいと思ったか。そういう過去の自分を読み返して、次のページを決める」

「人生も本みたいですね」

「そう。ナラティブという考え方があるわ」

「ナラティブ?」

「人生を物語として捉える考え方。人は出来事をただ経験するだけじゃなく、それに意味をつけて、自分の物語として編み直していくの」

「編み直す」

「キャンディーズは、『微笑がえし』で自分たちの物語を編み直した」


「ただ終わったんじゃなくて」

「自分たちの歴史を整理して、ファンに返して、次へ進んだ」

「それが“普通の女の子に戻りたい”」

「そう読めるわね」

ミライは少し考え込んだ。

「でも、生徒に話すとしたら、どう言えばいいですか?」

「例えば?」

「部活を辞めたい子とか、進路を変えたい子とか、大学をやめるか悩んでいる子とか」

「まず、辞めたいと思ったこと自体を責めないこと」

「はい」

「そのうえで、問いを立てる」

「問い?」

「何から逃げたいのか。何を守りたいのか。何を次に選びたいのか」

ミライはメモした。

「逃げたい、守りたい、選びたい」

「辞めることが全部悪いわけじゃない。でも、何も考えずに投げ出すのと、自分で考えて終えるのは違う」

「やめ方の美学ですね」

「そう」

「きれいに辞めるって、どういうことですか?」

「感謝を返すこと。自分の時間を否定しないこと。次の人や次の自分に場所を渡すこと」

「キャンディーズだ」

「そう」

「最後に微笑み返す」


カラオケに行こう


「そういうこと」

ミライは窓の外を見た。

夕日が校庭を赤く染めている。

「もし高校生にディスカッションさせるなら、何を問いにします?」

「いい質問ね」

恵子は少し考えた。

「例えば、『あなたが卒業の日に、学校へ何を返したいですか』」

「ありがとう?」

「うん」

「笑顔?」

「うん」

「手紙?」

「それもいい」

「未来?」

「いいわね」

「じゃあ、『あなたにとって、きれいなやめ方とは何ですか』は?」

「かなりいい」

「続ける勇気と、やめる勇気は、どちらが難しいですか?」

「それも議論になるわ」

「答えが割れそうですね」

「割れていいの」

「いいんですか?」

「キャリア教育は、正解を当てる授業じゃないから」

「進路って、正解がある気がしてました」

「偏差値、安定、収入、資格。もちろん大事な情報はある。でも、それだけで人生は決まらない」

「自分がどう生きたいか」

「そう」

「でも、それが一番難しいです」

「だから図書館があるのよ」

ミライは顔を上げた。

「図書館?」

「図書館には、たくさんの人生がある」

「小説、伝記、エッセイ、進路本」

「歌も、映画も、新聞も、雑誌もある」

「つまり」

ミライは指を立てた。

「図書館は、人生のサンプル置き場」

「言い方」

「人生見本市」

「ちょっと商店街感が出たわね」

「人生の試着室」

「それはいいかも」

恵子は笑った。

「本を読むって、他人の人生を少し試着することでもあるから」

「キャンディーズの『微笑がえし』も、終わり方の試着なんですね」

「そう。こんな終わり方もある、と知ること」

「泣いて終わるだけじゃない」

「怒って終わるだけでもない」

「逃げて終わるだけでもない」

「笑って返して終わる」

ミライは小さく息を吐いた。

「大人ですね」

「大人ね」

「私、終わり方が下手かもしれません」

「誰でもそうよ」

「そうなんですか?」

「終わり方は、学校ではあまり習わないから」

「たしかに。始め方は習います。入学式、始業式、自己紹介」

「でも、終わり方は意外と難しい。卒業、退職、別れ、引退、転職。どれも人生にはあるのにね」

「じゃあ、『微笑がえし』は、終わり方の教材になる」

「なるわ」

「昭和歌謡、すごい」

「昭和歌謡に限らず、歌は時代の気持ちを保存しているの」

「保存」

「図書館で言えば、記録ね」

「じゃあ時さんとキスケさんは、管理人室で昭和の記録を再生していたんですね」

「そして、自分たちの記憶も一緒に再生していた」

ミライは昨日の光景を思い出した。

古いラジカセ。

ちゃぶ台。

湯のみ。

時のやさしい笑顔。

キスケの少し遠くを見るような横顔。

明るいのに、どこか切ないメロディ。

「なんか、分かってきました」

「何が?」

「『普通の女の子に戻りたい』って、夢を捨てる言葉じゃないんですね」

「うん」

「夢をやり切ったあと、自分の人生を取り戻す言葉」

「そう読めるわね」

「じゃあ、『微笑がえし』は?」

「ミライさんはどう読む?」

ミライは少し考えた。

「もらった夢を、笑顔で返す歌」

恵子は静かにうなずいた。

「いい読み方」

「でも、ちょっと泣けますね」

「泣けるわよ」

「明るいのに」

「明るいから泣けることもあるの」

ミライはノートに大きく書いた。

明るい別れ。

笑って返す終わり方。

人生の次のページ。

「恵子さん」

「なに?」

「今日の結論、言っていいですか?」

「どうぞ」

ミライは指を一本立てた。

「キャンディーズは」

「うん」

「歌って終わったんじゃない」

「うん」

「自分で人生の次のページをめくった」

「そういうこと」

「『普通の女の子に戻りたい』は」

「うん」

「夢をあきらめる言葉じゃなくて」

「うん」

「自分で未来を選ぶ宣言だったんだ」

恵子は微笑んだ。

「だから学校図書館では、本の読み方だけじゃなく、自分の人生の物語をどう終え、どう始めるかも学べるのよ」

ミライは、昨日の時荘を思い出した。

古いラジカセ。

ちゃぶ台。

楠木時の笑顔。

アカオキスケの少し遠くを見るような横顔。

そして、流れていた『微笑がえし』。

「時さんとキスケさんが、あの曲を大事そうに聴いていた理由、少し分かりました」

「何を返していたと思う?」

「たぶん」

ミライは少し考えた。

「自分たちの昭和に、微笑み返していたんだと思います」

恵子は静かにうなずいた。

夕日が本棚をやさしく照らす。

返却された本の背表紙が、金色に光っていた。

ミライはその一冊を手に取る。

「本も、歌も、人生も」

「うん」

「ちゃんと返すと、次に進めるんですね」

恵子は、棚の前で少しだけ笑った。

「そうね」

二人は返却された一冊の本を棚へ戻しながら、静かに次の放課後へ歩き出した。



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