本1冊よりnote1記事。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:本よりnoteの時代。キンドルもそうかも。いやね、キンドルを商業出版には及ばないと思っていた僕の浅さを武智先生が諌めてくれたんだけどね。
本よりnote
今まで何冊か本を出してきましたが、noteという媒体が出てきて、相対的に本の価値が下がっているんじゃないか、という気がしているのですが、気のせいでしょうか。
巷では出版コンサルタントというビジネスが、近年隆盛のようです。
主にビジネス本ですが、どうやったら本を出せるかについて、微にいり細にいりコーチをしてくれるビジネスです。
僕も一度、そういうサービスを利用したことがあります。
本は学術書ばかりですが、8冊ほど書いていますが、一般書を書いてウケたいなどという、俗物的な欲望があったのです。
マーケティングの本がその気になれば出るかなあ、というところまで言ったのですが、5年ほど前から、僕の「本を出したい」という気持ちは何故か急速にしぼんでいったのです。
5年ほど前とは、noteを始めるようになった頃です。
そうなんです、noteで継続的に書いていたほうが、本を出すよりいいんじゃね、と思い始めたのです。
本の致命的欠点
それは著者がアイディアを得て、それを本にして出すまでに最低3ヶ月、下手をすると数年かかることです。
すぐに市場に出す必要のない学術書などは、企画書を出して、脱稿するまで1年はかけてましたよ。
どうしても出版社や編集者の都合もあり、そんなペースで進むことが多かったですね。
スピードを要求される、ノウハウ本だって、企画書が通るまで相当な時間がかかり、結局著者の言いたいことが世に出るまでに半年くらいはかかるのです。
僕はいつも学生に自虐的にこう言います。
「本が出た時点で、もう世の中変わってしまっている。教科書の記述はもうすでに事実ですらなく、よって俺の分析も古い」。
同時代性という教育価値
最近とみに「経営学とは変化を研究する学問」だと思うんです。
だから、その題材はリアルタイムの事象じゃなきゃいけないと思うんですよね。
2年前に書いた本では、その任を果たせないのは明らかです。
もちろん、そこに時代を超えた普遍性があれば、教育的価値もあるでしょう。
でも、新しいテクノロジーがビジネスを根本から変えてしまう現象が、1980年辺りから顕著になり、またそのこと自体が、時代の変化の必然だったりするのです。
今のことを今考えないと、経営学は価値がないのではなかろうか、そんな思いが募っています。
なくなったジャーナリストで、作家の立花隆の「同時代を撃つ」というシリーズ本がありますが、当時読者だった僕は、そこに彼の強いメッセージを感じたのです。

それは、
「今というテーマを現在進行系で捉え、考え、議論しないと意味がない」
というものです。
現在進行している事実を元に、考え、思索をめぐらし、議論して行動することこそが本当の学問ではないか、「同時代」という言葉はそれ以来、僕の価値観としても自らの中に根付いたのでした。
noteが目覚めさせた現在という価値
もちろん、本より早いメディアもあります、新聞や雑誌です。
しかし、本よりは情報は早いけれど、新聞や雑誌はスポンサーに媚びへつらわなくてはならない、という宿命がありますよね。
自由に忖度なく物事を論じられない、大本営発表をそのまま報じているだけです。
それよりは、僕らがリアルタイムの事実を元に考察し、分析したほうが面白く、本質に迫れるのではないでしょうか。
それを可能にしたのが、noteという媒体なのです。
事実を元に縦横に考えを巡らす、そしてそれをリアルタイムで返ってくる、読者のフィードバックが囃し立て、それがまた筆者にインスピレーションを与える。
時代を先取りしている武智先生のキンドルという方向性
武智倫太郎先生が「僕のnoteは読者の意見や反応という括りで、また新しい論が立つ」ということをおっしゃっていますが、まさに彼のnoteは、noteの新しい価値を体現しているといえるでしょう。
武智先生の活動で、今注目なのは、彼がキンドルを発進させたことです。
博覧強記の天才である武智先生のこと、いくらでも商業出版の本はだせるでしょう。
しかし、それをやらずに(武智倫太郎名では)、note一本で今まで来た。
しかし、彼のnoteの解説を時代が必要として、本じゃないカタチで世に出す必要が出てきたのです。
キンドル出版です。
武智先生は実におかしなことを言っておられる。
「いや、noteのほうがキンドルより情報量が多く、あくまで主役はnote」なんておっしゃっているのです。
これは、彼にキンドル出版で金儲けしようだなんて気持ちがこれっぽっちもないことを示しています。
本よりも速く、同時代にメッセージを送らなければならない、その切迫感と使命感が彼をnoteに、そしてキンドルに駆り立てたのです。
僕も、武智先生のレベルには到底及ばずとも、もはや商業出版の呪縛からは自由になった感じはあるのです。
野呂 一郎
清和大学教授
