君たちのはお稽古じゃない
のんびりと、ゆっくりと時は過ぎてゆく
私はこの時間が好きである
お師匠さんはお話し好き
よくおしゃべりをする
おしゃべりに夢中になりすぎて手が疎かになる
おやさまの心学びのこと、周りの人たちのこと、人間の生き方のこと
お師匠さんは人に囲まれて生きている
相変わらずマグロのように動き回る
私は「自由人」と神さまの言葉を伝えるお社さんから先日言われたばかりである
子供たちは自立して、母も旅立っていったから
もう何もすることがないと思い込んで生きていた
繋がる場所は母と通ったおやさまの元だけである
毎月八の日になると三回、湯河原の御休息所へお話しを聞きに行く
そんな時、母の新盆に「お茶を飲みにいらっしゃい」とお社さんから誘われた
その時はまだ「すずさん」と呼んでいたお師匠さんはそのお茶会で正客を何回もさせられる
裏千家のお師匠さんのすずさんがいれば大丈夫、なんとかなる
だか私の甘い期待はすぐに打ち砕かれた
私のお茶席の正客はすずさんでは無かったから
懐紙も扇子も持たない(いや持っていない)手ぶらで参加するど素人の私
やさしい方から懐紙を頂き、右も左も分からぬままに少し堅い虎屋の焼き菓子を頬張り、お茶を飲むだけ
お茶もお菓子もどこへ入ったのか分からない
母の供養にお茶を飲む、私の知らない世界を見せられた
絵画を見たり、音楽観賞をしたり、仏像を観たりすることは好きだった
母と共に良く出掛けた
父がいた頃には母は父と二人で出掛けていろいろな観賞をしていた
伯母と母とは昔のお嬢さんだったからお茶を習っていたことは伯母から聞いている
ただ母の口からは直接お茶を習っていたことを聞いたことはない
神様の教えを伝えるお社さんは若い頃から表千家でお茶を習っている
それもおやさまからの導きである
お社さんもすずさんもお茶の世界に造詣が深い
私の知らない世界がまだまだいっぱいあることを知る
全く分からないのは困るからと
「お客さんだけは教えてあげる」
お友達はお弟子さんにしないと決めているすずさんから「なんちゃって茶道」という(すずさん語録)、お茶の触りを教えて貰えることになるのは、初めてのお茶会から八ヶ月たった頃だった
盂蘭盆のお茶会の翌年の春にお社さんのお茶室の柿落としのお茶会に出席することなり、慌てふためいて、すずさんのお茶のお稽古に通うようになる
なんちゃってのまま終わるのかと思っていたが、これも神様がつけられた道であった
母の遺品の中から赤い帛紗が出てきたのである
すぐさま写メを撮り、すずさんにラインで送ると
すずさんは母の帛紗見て、何かを感じたようだった
彼女は感性の鋭い人
母の帛紗を持ってお稽古に行くと
母も一緒に来ているという
えっ、どういうこと…
魂だけの母は私のことが心配でお稽古について来ているらしい
しばらく母は一緒にお稽古に来ていたが、「もう大丈夫」と思ったのか、途中で先に帰って行くようになり、そのうちに私だけがお稽古に来るようになったとすずさんから教えられる
母の古い帛紗を使い、お稽古をする
母がいなくなってからはいつまでも泣いている
いつもいつも泣いている
こんなに時間がかかるのか
いつも母に迎えに来てと頼んでいた
なんにもいらない
早く彼方の世界に還りたい
今でも時々そう思う
母の帛紗が見つかってからすずさんは私をお弟子にしてくれると言い始めた
すずさんは数年前からお茶のお弟子さんはご主人と娘さんに任せている
時々、すずさんでなければとという個性的なお弟子さんにだけは、お稽古をしているようである
何年かぶりで、しっかりと弟子を育てると決意した
それが私
なんてこと…
時間はないといいながら二十年かけて一人前にするという
二十年経ったら二人共、相当なお婆さん
笑いながら話しをする
そして私は晴れて、すずさんに弟子にさせてもらう
私の不器用さは半端ない、しかも左利きときている
茶筅だって上手く使えない
泡を沢山立てられない(裏千家はお茶の泡をいっぱい立てて飲む)
特別に特別にお稽古のお休みの日に呼ばれて特訓をしてもらう(あまりにも不器用者の自由人は他人様の前には出せないし、時間があるからいつでもすずさんに合わせられる)
おやさまの教えの話し、人間関係、人の中にいると起こる問題を不思議だけど、すずさんは私に聞いてくる
私はおやさまの教えだけは長いこと聴いてきた、だから自分の内に入っている教えに沿って考えながら、すずさんに答えるようにしている
すずさんは私の言うことを素直に聞いてくれる
「かなちゃんはおやさまの教えが身体に入っている」と言って尋ねてくれる
しばらくして、尋常ではない私の不器用さにお師匠さんになったすずさんは私自身がその不器用さに嫌気がさして、お茶のお稽古を辞めるのではないかと心配されるようになる
長いことお茶を教えていると何人かそんな人を見てきていたから
お師匠さんの心配をよそに私は辞めようなんて、気持ちはさらさらなかった
それはお師匠さんのそばにいるだけで楽しかったから
自分の不器用さよりもお師匠さんといることがうれしかった
まるで親元にいる子供に戻ったように安堵している自分になれたから
ちょうどその頃にお客さんのお稽古をしたいとむっちゃんがやって来る
むっちゃんは篠笛をやっているマチコ先生のお弟子さんである
すずさんとは篠笛の姉妹弟子、湯河原のおやさまの教えに触れたのは最近だが、昔から不思議な世界の住人だ
見えないものを求めて生きている
やっぱりか…
私のまわりにはそんな人たちが集まって来るようだ
「かなちゃんのお稽古に入れさせて」とむっちゃんからお願いをされる
私はむっちゃんに気に入られたようだった
個性的すぎるむっちゃんに最初は圧倒されながらも、愛の強い優しい人だとだんだんに分かってくる
むっちゃんも私と同じ頑なで、ずっとお客さんだけできればいいと言い張っていた
ところがお師匠さんちの初釜やお社さんの初釜に参加しているうちに
「自分もお客さんだけではなくてお点前の練習をしようかな」と言い出した
どうやら年明け以降、私のお点前が少しずつ、少しずつ進歩しているとそばで見て感じていたようである
でもむっちゃんは昔々若かりし頃に一年間、みっちりとお茶を習っていた
だから身体が覚えている、お客さんの所作も綺麗にできている
ところがむっちゃんはお猿さんだった
私も相当抜けているが、私より十五も年上なのに可愛らしい、愛嬌のある人
この私が自然にお世話を焼いている
いつのまにやら愛らしい妹弟子のお猿が増えて、むっちゃんと私はお猿コンビとお師匠さんから命名される
気がつけば、お師匠さんも入れて三人のお猿のグループラインができていた
「三人で月に一度、湯河原のおやさまのご休憩所でいつもお世話になっている方にお茶のお接待をしましょう」とお師匠さんから提案された
「私がお茶をたてるから、二人はお客さんにお菓子とお茶をお出ししてね」
お弟子の答えは「はい」しかない
三月、一番最初のお接待ではお師匠さんがお茶をたてて、お弟子のお接待について回ると余計に面倒くさくなり
「私ひとりの方が楽だった」とお師匠さんの本音が漏れる
いくら直前に練習をしたとしても、本番になると頭の中は真っ白になるから
これも場数を踏むしかないのだろう
三人で漫才のように楽しげにお接待をしていると「私もお茶を習いたい」と言われる方が出てくる、しかもお猿コンビとともに…って
こっちは必死にお接待をしているはずなのに
みんなを笑顔にさせている
いつの間にか笑っている
「かなちゃんはよく笑うんだね」と言われるようになる
私はお茶のお稽古で心のリハビリをしているのかもしれない
頑なでコチコチだった心はいつの間にか緩んでいく
それに伴いお点前も少しずつ軽くなる
つい先日、お稽古のお休みの日にご主人のタツ先生がお師匠さんに言われた言葉は
「君たちのはお稽古じゃない」
妙に言い当てられて私は笑っていた
タツ先生のお稽古はいつもしっかりとメリハリの効いた威厳のあるものだから
今日も三人でのお稽古はおしゃべりと笑いの花が咲く
いつものように
※おやさま、お社さんのことは芹沢光治良氏の「神の微笑」「神の慈愛」「神の計画」に詳しく記されています
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