インドの「死を待つ人の家」で出会った彼女のこと
1枚の写真から思い出されること。

初めて1人でインドに行った時。
まだ20代で色んなことがあって、
仕事を辞めてインドへ逃亡というか流れ着いた。
よくある話だ。
旅の目的はマザーテレサの作った「死を待つ人の家」というホスピスでボランティアをすることだった。
飛び込みでボランティアを数ヶ月ほどしただろうか。
ちょうど5月の暑い時期だった。
そこに入所していた1人のインド人の女性のことが、
とても記憶に残っている。
顔に酸をかけられひどいケロイドが残っている女性。
今もインドの一部で残っている風習で、
結婚時に妻側の家族が、夫側の家族に持参金を渡す「ダウリー」というのがあり、
ダウリーが少ないということでその女性は夫から酸を顔にかけられたと聞いた。まだ10代の頃に。
酸を顔にかける行為は「アシッドアタック」と呼ばれ、女性の尊厳を踏みにじる犯罪だという話は聞いたことがあったが、
その被害者の女性と会ったのは初めてだった。
「死を待つ人の家」は、普通のホスピスと違って必ずしも余命宣告されている病人のためではなく、貧しく身寄りのない栄養失調の人などもたくさんいた。
彼女は、体は元気で明るくて笑顔が可愛くて、
ボランティアによく話しかけてくれる子で(まだ20代前半だった)、私もよくお喋りをしたり、ベンガル語を教えてもらったりした。
折り紙が好きで「明日は違うのを折りたい!」といつも言われていたため、鶴しか折れなかった私は、
ボランティアの帰りに、当時、インターネットカフェの最先端みたいな店に寄り、信じられないくらい遅い回線を使って、大きなデスクトップのパソコンで、日本語フォントがなくててんてこ舞いになりながら、時々ブレーカーが落ちてパソコンが使えなくなったり扇風機が止まって汗だくになりながら、
ローマ字で「Origami」を検索するのがとても大変だったのを覚えている。
彼女は時々、天気によって火傷が痛むらしく、
痛い痛いと泣きわめいて傷の処置をするボランティアに怒って当たり散らす日もあり、
また時々塞ぎ込んで誰とも話さない日もあった。
何度も何度も皮膚移植の手術をしているらしく、
もうやりたくない、と泣いている日もあった。
とても悲しそうだった。
愛着障害のようにベタベタとスキンシップを求める日もあった。
仲良くなったボランティアが短期間で去っていく時にも、「私のことを忘れないで、忘れないで」といつも泣いていた。
外の道端で寝ている人、
子供と一緒に物乞いをする母親、
泥棒、
詐欺師。
貧しさはコルカタの町に溢れていたが、
あの「死を待つ人の家」で
大勢の人と一緒にいる彼女の孤独感は強烈だった。
愛されていないという体験、絶望、孤独感が、
こんなにも悲しい目をさせるのだということを
これほどまでに教えてくれる人はいなかった。
ボランティアのリーダー格の人に
「どうしてあげたらいいのだろう」
と聞いたことがある。
「あくまで私たちはボランティア。ずっと一緒にいてあげることはできないんだから。彼女が自分で強くなっていくしかないのよ。」
とその人が言った。
当時、コルカタの教会で借りて読んだマザーテレサの本の一節。
The most terrible poverty is loneliness, and the feeling of being unloved.
(最もひどい貧困とは、孤独であり、愛されていないという思い)
貧困から人を救うのは、
命を救うよりも難しい気がした。
私はその後もこれまでと同じように毎日通い、
洗濯をして、色んな人のお世話をして、
彼女と一緒に新しい何かを折り紙で折ることを続けて、時々泣く彼女の横に黙って座り続け、
私も他のボランティアと同じく、時が来て去った。
7年後に「死を待つ人の家」に再び行った時、
もう彼女はそこにいなかった。
インターネットカフェなんてものはすっかりなくなっていて、そこら中でSIMカードを売っていた。
今はスマホ一つでどこでも何でも調べられるから便利な世の中になり、折り紙の折り方を調べるのは余裕だった。
世の中は前より少し豊かになっていた。
彼女は誰かといるのだろうか。
彼女は誰かに愛されているだろうか。
彼女は貧困から抜け出せたのだろうか。
※写真は、インド、コルカタの「死を待つ人の家」に入ってすぐのところに飾られていたマザーテレサの手の写真
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