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もうどこにもいない

お盆なので、友達のしめちゃんと、共通の友達の墓参りに行った。
あの子の誕生日(私の誕生日3日前)と、お盆と、あの子の命日(しめちゃんの誕生日)の直近の土日に墓参りをすると決めている。なんとも因縁めいたタイミングだ。ちょうど3〜4カ月に一回のペースになっていてバランス良く、年に3回を15年続けている。
墓参りを15年続けているということは、つまり、ただの近所に住む地元の同級生だったしめちゃんと本当の意味で友達になってから15年だ。それぞれが死んだあの子の親友だったが、あの子が生きている時は私としめちゃんが一緒に遊んだりはしていなかった。私たちはお互いに、あの子が死んだ時のあの子からの置き土産だったから、ありがたく頂戴して親友になった。
墓参りの日は、しめちゃんと親友になれたことを、しめちゃん本人と、もういないあの子に感謝している。


墓参りは必ず私が車を運転して、イオンの斜め前のうどん屋でお昼を食べる。ライターとろうそくと線香はしめちゃんが持ってくる。花は現地で2人で割り勘。私が墓地のトイレに行く間にしめちゃんが外でタバコを吸う。私が水を汲んで運び、しめちゃんがいらない紙を家から持ってきてくれてその上にカバンを置いて墓の掃除を一緒にする。
帰りはオシャレなカフェで私やしめちゃんの誕生日を祝うが、お盆は、暑い暑いと言いながら、和歌山の黒潮市場に寄って、和歌山ラーメンとハマグリを焼いて食べる。

寸分たがわず全く同じことを一連の作業のように何年も繰り返している。この15年間で変わったことは、しめちゃんが2年前からタバコをアイコスにしたことと、あの子の墓の前に先客がいつも供えてくれていたジュースのなっちゃんが数年前からは置かれなくなったことくらい。私たち2人はダラダラ出発するので墓に着くのは2時過ぎになり、大体あの子の夫が先客でお花とジュースを供えてくれていたが、もうこの何年かは墓の前に何も無いことがほとんどだ。
私としめちゃん、そしてあの子のお母さん。この3人だけがあの子の墓参りをまだ続けているのだと思う。年に一回、あの子のお母さんも入れて3人でランチをするのもまた別の恒例行事だが、その日は少し憂鬱になる。繊細な私たち2人は、生き残った私たちを見てお母さんは辛いだろうにとつい思ってしまうから。誘われるので付き合っているが、あの子のお母さんには元気でいてほしいと願う。

私もしめちゃんも現実主義者なのではっきりと分かっている。
ここにあの子はいない。
もうどこにもいない。
なのになぜか年に3回の墓参りを15年間サボらずに続けてきている。2人とも前もって約束しなくても3回のタイミング付近の土日はあけているし、前の週くらいに「土曜と日曜どっちにする?」とだけ確認し合う。私たちの人生にあの子の墓参りが組み込まれてしまっているのだ。
一昨年に私が腕を骨折して車の運転ができない事態になった時に、私たちが年老いて車に乗れなくなったら墓参りどうする?という話し合いを2人でした。電車のルートも調べておく必要があるし、歩けなくなったらどうする?という話もした。もうライフワークなのだ。
あの子は永遠に28歳のままだけど、私たちは30代を通り過ぎて43歳になってしまった。そして2人とも、もしも運が良ければ50、60、70歳と歳をとっていくはずだ。どこで止まるかは運次第。
「2人のうち長生きした方は、墓参りがもう1か所増えるから大変になるな」「1ヶ所で済むから同じ墓地にしてほしいけどな」「私はお墓を作らない」「私はガンジス川に撒いてもらうわ」「誰がガンジス川まで行くねん」と笑って話している。
あの子が亡くなってすぐの頃は、あの子に会いたくて1人で墓によく来ていた。だけどもう1人で墓に来るのはやめた。
あの子はここにいないからだ。
分かっていながら、しめちゃんと2人での墓参りは続けている。もういないということを1人で思い知るのがお互い辛いからなのか、もう何も考えないでただただ墓参りを続けている。

どこにいるのだろう。
星になったのかな。
空から見守ってくれている。
永遠に心の中で生きている。

そんな言葉を私たちは絶対に口にしない。
私たちの性格的にそんな言葉は気休めにもならず、余計に自分たちを虚しくさせるのが分かっているから口にしない。

ただ車を1時間半走らせて山の上の墓へ向かう。
全然関係のない話をしながら。
今日は三浦春馬の話をした。
楽しく話して、またねと別れて、家に帰って一人で消えたくなる気持ちも分からなくはないね。
誰にも理解できない闇を抱えて生きる辛さが分からなくもないよね。
誰にも話せないから明るく振る舞えたのかも知れないね。
闇に飲まれそうになることってあるよね。
辛かっただろうね。
なんて、今日はしめちゃんにしては珍しく、会ったこともないファンでもなかった芸能人の死にひどく心を痛めている。
三浦春馬のように突然いなくなることと、あの子のように辛い闘病をして少しずつ消えていってしまうこと。
どちらも、永遠にいなくなるのは結局一緒だ。

帰り道に、少しだけしめちゃんが話を切り出す。
「あの子が今いたらどんなだったかな」と。
あの子の話は、私もしめちゃんも2人の時以外は、よそでは絶対に口にしないようにしている。理解できない人に話すと汚されるような気がしてしまうくらい、あの子は誰の手にも届かないくらいに高貴なものになった。
最近は2人の時も、あの子の話はほとんど口にしなくなってきたが、墓参りの帰り道の車中だけは自然と話題に出る。
そして少し一緒に想像をする。
あの子はとにかくいい子だった。
私としめちゃんがいつも自分の性格の黒さが情けなくなるくらいに、あの子は眩しくて真っ直ぐで面白くて可愛くていい子だった。きっと素敵な40代の女性になっていたはず。今の私たちを見てどう思うだろう。あの子に恥ずかしくない生き方ができているのかなぁ。
それを心に浮かべて想像するが、もういなくなって15年だから分からない。
あの子のケタケタ笑う笑い声だけは忘れないように必死で毎日繰り返し頭で反芻させてきたけど、その声も薄れてきているし、今覚えている声が本当にあの子の声なのかも、もう分からない。
いないからもう分からない。
静かに話題は、テレビドラマの話や仕事の愚痴に移る。

あの子と中学2年生で出会って一緒に過ごしたのは14年間だったから、私はこれから、あの子がいなくなってからの年月の方が長くなる、と昨年居酒屋でしめちゃんに話した。
もういないことを確かめに、思い知るために墓参りを続けている気がする。
あの子のいない人生を生きていかないといけないのだと覚悟するため、もういないけど確かにあの子がいたことを刻むために墓参りをしているような気もする。
だけどそれも何も考えないようにしている。

時間が解決するという言葉は少し嘘で、15年経ってもまだ向き合うには辛いことがあるということを知ってしまった。薄れるけど解決はしない。あの子のことを思い出さない日は1日もなかった。だけど10年を過ぎたあたりから、思い出さない日が時々ある。薄れてきている。あの子の不在に慣れてきている、そんな自分に少し失望する。
時間が経てば経つほど、思い出そうとすればするほど、あの子はもういない、ということが深まっていく。
その深さにまだ耐えられそうにないから、2人で墓参りを続けている。
もういない、と思い続けることで、あの子の不在を存在させている。
「次は12月な」
そこにあの子はいないと分かりつつ、ただの墓石に向かってそう伝えて、8月の墓参りを終える。





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