「迷惑をかけないように」してたら、気づけば、さみしさが隣にいた
「最近、人と関わるとき、ずっと気をつかってばかりかも」
誰かの予定を乱さないように。突然にならないように。距離をとって、配慮して、なるべく静かに生きるようにしてきた。気づけば、自分から誰かへ向かう道が、思っていたより遠くなっていた。
でも本当は、もっと自然に、気軽に、「来てくれてうれしいよ」って言い合える関係がほしかった。予定通りじゃないつながりにこそ、あたたかさがあるのかもしれない。
このエッセイでは、「迷惑をかけないように」という気づかいの先で、わたしが忘れかけていた“人と関わるやわらかさ”を、たった3分のやりとりから思い出していく過程を綴っています。
迷惑をかけないようにと、距離を測り続けていた
「今行ったら、迷惑かな」そんなふうに誰かとの距離を測るとき、わたしの心にはいつも、少しの戸惑いがあります。
声をかけたいけど、タイミングが合わないかもしれない。用があるけど、突然の連絡は失礼かもしれない。
その気づかいは、悪いことではないと知りつつも、私はいつの間にか「迷惑をかけないように」と慎重になりすぎて、気づけば、人とのあいだに小さな線を引くようになっていました。
「いい関係」がわからなくなっていた朝のこと
「いい関係が広がったらいいな」と思っていたはずなのに、その“いい関係”がどんな感触だったかを思い出せずにいつもの日常を過ごしていました。
人との距離感って、むずかしい。
そう感じることは、きっと、誰にでもあるのかもしれません。わたしも、そのむずかしさに気づき、本当に必要な関わり合い方に向き合ったある朝のことを、今も忘れられずにいます。
思いきって押したインターホンと、3分のあたたかさ
その日は町内会の用事で、近所の大きなお宅へ届け物を持っていく役がまわってきていました。
「ポストに入れておいてね」と言われていたけれど、立派なお屋敷の門の近くには、目的のポストが見当たらない。
どこまで入っていいのか、どこにあるのか…。
午前中に突然訪ねるなんて、失礼だよね。インターホンなんて押したらだめだよね。
そんな不安がじわじわと押し寄せてきて、わたしは門の前でしばらく立ちつくしてしまったのです。
でも、インターホンを呼んで思い切ってインターホンを押すと、ご主人が出てきてくださって、開口一番、「わざわざありがとうね」と、あたたかい声で迎えてくれました。
拍子抜けするくらい自然で、やわらかくて、その場に流れる空気までもが、すこしあたたかくなった気がしました。
「迷惑かけてすみません」なんて言おうとした私は、迷惑だなんてこれっぽっちも思っていないだろう大きな懐を持ったご主人にとっては、その方が失礼なんじゃないかと、言葉が口の中でほどけていったのを覚えています。
たった3分のやりとりでしたが、その感触は、何時間たっても、心にじんわり残っていました。
線を引いていたのは、他者ではなく自分自身だった
あのご主人のように、突然の訪問をさらりと受け入れるって、簡単なことじゃないと思います。
朝の支度中だったかもしれないし、忙しかったかもしれない。でも、そういう“もっともらしい理由”を見せることなく、ただただ、「届けてくれてありがとう」という空気をまとっていた。
それに比べて、これまでのわたしは、予定があるから、集中してるからと自分のペースを守ることに必死になりすぎて、無意識のうちに、誰かを遠ざけていたかもしれない。
思い返せば、「迷惑をかけないように」という配慮が、いつのまにか「誰のことも頼らない」という姿勢にすり替わっていたのかもしれません。そしてそのぶん、「誰かの助けになりたい」という気持ちまで、すこしずつ小さくしていたのだと思います。
わたしが線を引いていたのは、相手にではなく、優しい関係性で人と関わりたいと願うわたし自身だったのかもしれません。
関係をつくるのは、予定の中ではなく、ふとした瞬間かもしれない
鎌倉のこの街では、山の稜線がいつも暮らしのすぐそばにあって、朝、庭に出ると土の匂いや鳥の声が季節の気配を知らせてくれる。
こうして自然の中で静かに暮らしていると、「誰かを頼ること」や「予定の外側に身を置くこと」が、実はとても人間らしい感覚だったのだと思い出すことがあります。
「誰かを頼る」「助けてもらう」「ふと訪ねる」それは、現代のわたしたちが少しずつ苦手になってきた関わり方かもしれません。予定を立てて、時間を守って、お互いの生活を尊重する。
もちろんそれも大事です。けれどその意識が強くなりすぎると、“ふいに人と関わること”が、まるで迷惑行為のように感じられてしまうことがあります。
でも、暮らしの中には、“予定の外側”にあるあたたかさがたしかにある。
たとえば、誰かがふらっと訪ねてきたときに、「どうぞどうぞ」と笑顔で迎えられるような、そんな空気。その背景には、「いつでもお互いさま」という、目に見えない信頼感があるんだと思います。
それはきっと、予定や効率では測れないもの。暮らしのリズムのなかに、少しの余白があるからこそ育まれるものです。
関係を閉ざさないやわらかさを持っていたい
関係性とは、本来そういうものだったのかもしれません。助け合いとは、予告なく不意に訪れた時に現れるもの。そんなシンプルな感覚を、あの朝の3分がそっと思い出させてくれました。
もしかしたら、読んでくださっているあなたにも、「今、連絡したら迷惑かな」とか「これ頼んでいいのかな」と思いとどまった経験があるかもしれません。その気づかいが、関係を壊すことはないけれど、そればかりが積み重なると、いつの間にか、自分から誰かへつながっていく道が、とても遠く感じてしまうことがあるのではないでしょうか。
“あたたかく関わる”ということは、もっと不器用で、もっと自然で、もっと曖昧なものなのかもしれません。声をかけてみる。助けを求めてみる。誰かのふいの訪問を、笑顔で迎える。そのどれもが、“線を引かない関係”のはじまりかもしれません。
おたがいさまでいられる場所に、少しずつ足を踏み入れていく
予定通りじゃない関係には、ゆたかな関係性がある。
そう思えたことが、わたしの中の“人との関わり”を静かに書きかえてくれました。
これからは、ふいに誰かが訪ねてきてくれることを、もう少しだけ、おおらかに喜べるような人でありたいと思います。
さいごに
この記事では、「迷惑をかけないように」と自分を小さくしていた日々から、関係をやわらかく結び直していく感覚を綴りました。誰かのふいの訪問を、そっと受け入れられるような暮らしには、予定の外側にあるあたたかさがあります。
つい気をつかいすぎてしまうあなたへ。関係はひとつの形じゃなくていいんです。頼ったり、頼ららえたり、時には遠慮をしたりしながら、これからは「おたがいさま」と笑い合える関係を、少しずつ育てていけたらいいなと思いませんか?
「問いとともに生きること」をテーマに、日常の中のちいさな違和感や感情の揺れを書いています。
(このエッセイは、感性・哲学・編集の視点で日々を綴るマガジン #問いとともに シリーズのひとつです)
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