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学習転移研究の文化(『日常生活の認知行動』②)

この記事は、学習の社会理論/実践共同体論に関する文献レビューの一環として、読んだ文献のポイントを簡単にまとめたものです。


【はじめに】

この記事で取り上げる範囲

前回は、『日常生活の認知』の第1章をまとめました。「認知・学習を研究するために、日常活動に立脚し、実践の弁証法的分析に取り組む」というレイヴのスタンスが示されました。

今回の記事では、「第2章:宣教師と人食い人種(実験室で)」という、不思議なタイトルの章をまとめていきます。本書が批判する「学習転移研究の文化」について、何を問題だとレイヴが考えているのかが示される章です。

では、いきましょう。



【学習転移研究の文化を研究する】

本章のテーマである「学習転移」とは、「学校教育で学んだ知識や技能が、状況を越えて転移する」という考え方であった。この考え方は、教育や心理学の研究において、ごく自然な前提として受け取られてきた。しかしレイヴは、日常の認知活動を研究するにあたって、まずこの「自然さ」そのものを疑う。

エスノグラフィックなアプローチ

レイヴのアプローチが特徴的なのは、学習転移の研究を、ひとつの「文化」として捉え直そうとする点である。彼女はそのアプローチを、「エスノグラフィックな検討」と呼んでいる。

「文化」とは何だろうか?レイヴは次のように説明している。

ここでいう「文化」とは、実験研究が埋め込まれている文化的コンテキストと、実験研究で習慣となっている信念や実践、解釈のしかたの両方を含んでいる。

[Lave 1988=1995,36]

レイヴによれば、学習転移の研究は一般的に、実験室の実験という状況で行われる。被験者にはある課題が与えられ、その回答の仕方が評価され、研究されるということだ。そのような実験研究の前提にある習慣や信念、コンテキストが、本書では「学習転移研究の文化」と呼ばれている。

レイヴが自らのアプローチを「エスノグラフィックな検討」と呼ぶのは、学習転移の実験を、検証すべき対象としてではなく、観察・記述すべき実践として扱うためである。どのような実験が行われ、どのような問いが立てられ、何が前提とされているのか。その一連の研究実践そのものを分析対象にする点に、彼女のアプローチの特徴があるといえる。

私はこれをエスノグラフィックな検討と呼んでいるが、それはここでの分析の目標が、(中略)もとにある前提、特に認知、活動と社会的世界との関係についての前提を説明するための土台を提供するためである

[Lave 1988=1995,38-9]

章のタイトルに込められた皮肉

本章では、学習転移の実験について書かれた有名な論文4本が検討される。

  1. Reed et al. [1974]
     "The Role of Analogy in Transfer Between Similar Problem States"

  2. Hayes & Simon [1977]
     "Psychological Differences Among Problem Isomorphs"

  3. Gick & Holyoak [1980]
     "Analogic Problem Solving"

  4. Gentner & Gentner [1983]
     "Flowing Waters or Teeming Crowds: Mental Models of Electricity"

これらの論文に共通する、学習転移をたしかめる実験の典型的なあり方について、レイヴは次のように説明している。

実験は実験室で行なわれ、高校生や大学生を被験者とし、一連のパズル解き形式の課題によって行なわれた。学習転移が生じたかどうかはいくつかの異なる方法で推論されているが、最もよく使われている基準は、課題遂行の能率や正確さが増すかどうか、あるいはひとつの問題の解法の一般的形式が他の問題を解く際に使われるかどうかである。これらの実験に登場する人物の配役はまことに多彩で、宣教師、人食い人種、嫉妬深い夫、あふれる群
衆、流れる水、砦と革命党員、放射線によって腫揚を減らす方略、さらにはハノイの搭問題によく出てくる杭と輪の代わりの怪獣と球などである。

[Lave 1988=1995,38]

つまり、実験者が用意した問題を被験者が解くことで、学習転移の有無が判定されるわけだが、レイヴが注目するのは、その問題がどのような世界を想定してつくられているか、という点である。彼女の問題意識を先取りして言えば、いかに日常生活の状況からかけ離れた世界を前提に、問題がつくられているか、ということである。

本章のタイトル「宣教師と人食い人種(実験室で)」はこうした学習転移研究文化のあり方を、皮肉を込めて表現しているいわけですね。ちなみに宣教師と人食い人種(missionaries and cannibals)が登場するのはReed et al. [1974]で、その実験では「川渡り問題」として知られるパズル問題が使われている。

本章では、以上の4つの研究について、それががのような「日常実践」だったのか——つまりレイヴは、研究も日常生活の中で行われる実践であり、文化的なコンテキストから離れているわけではないことを強調している——エスノグラフィックな検討が詳細に行われていく。以下では、その検討を経て浮き彫りにされた、学習転移研究の文化の特徴を整理していこう。

【学習転移研究の文化】

①日常生活からかけ離れた「問題」

レイヴがまず注目するのは、いずれの研究(実践)においても、学習転移の有無を検討するために、被験者に「問題解決」を要求することである。Reed et al. [1974]では「川渡り問題」、Hayes & Simon [1977]では「ハノイの塔問題」、Gick & Holyoak [1980]では「放射線問題」、Gentner & Gentner [1983]では「電気回路問題」、といった問題が出題され、被験者はそれに対して回答する。

レイヴによれば、学習転移研究において使われる「問題」には、次のような特徴がある。

  1. 問題は、「舞台裏」で実験者によってあらかじめつくられたものである。

  2. 問題には、正しい・理想的な・規範的な解答や解き方が定められている。

  3. 被験者は問題を解かなければならず、解こうとしなかったり正しい解答をしない場合には、「失敗」「誤り」として扱われる。

  4. 評価されるのは常に被験者であり、問題をつくる過程やつくる立場は「検閲」されることはない。

レイヴの考えでは、このような意味で用いられる「問題」は、日常生活で直面する問題とかけ離れている。宣教師と人食い人種と日常的に出くわす被験者は、たしかにいないだろう。

また、「正しい答え」や答えにいたる「正しい考え方」といった規範的なモデルについても、レイヴは疑問を投げかける。先行研究をあげながら、実験者が期待している考え方(規範モデル)でなくとも、問題を解決できたり、問題解決にいたるまでの試行錯誤の経験を生み出したりすることを、彼女は指摘する。

②切り離されたしまう「状況」

「問題」に続いてレイヴが注目するのは、「場面」(situation)や「状況」(context)といった概念が、学習転移研究の実験者たちのあいだで曖昧に使われている点である。例えば、Gick & Holyoak [1980]の文章を指して、その多義性を指摘する。

この文章で最初に出てくる「コンテキスト」は、ひとつの知識領域からの問題の同型性、ないし「社会的」状況を漠然と指している。二番目では、意味の文化的システムが知識領域と同じものとみなされている。三番目の例は「コンテキストの壁」について述べているが、これは転移の妨げとなっている二つの授業間のへだたりのことである。

[Lave 1988=1995,61](※強調は筆者)

レイヴによれば、状況概念の曖昧な使い方が、実験室の環境と日常生活での状況とを同一視する原因になっているという。

またレイヴは、ただ状況概念の使い方が多義的であるために問題視しているだけでではない。学習転移研究の文化では、ひとつひとつの状況を、それぞれ独立したものだという考えを抱いている(暗黙のうちに前提にしてしまっている)。むしろ、状況間で移転するという考えは、状況がそれぞれ独立していると考えるからこそ成立しているともいえる。しかし、それは本当だろうか、とレイヴは疑問視する。

しかし、たとえば、献立を考えること、日常の買い物、お金の管理、ダイエット、料理、食事をとることというような場面間で起きる多くのことがさまざまな点で相互に関連しているという観察研究から、このコンテキストが独立しているという見方の抽象性に疑いが投げかけられている。

[Lave 1988=1995,62](※強調は筆者)

レイヴの考えでは、ひとつひとつの実践とその状況は、相互に関連しあっている(=弁証法的特徴。そのため、そもそも状況間が独立しているという前提から見直さなければならない。

③脱コンテキスト化された「知識領域」

状況間の独立性という考え方と関連して、学習転移研究の文化の特徴としてもうひとつ取り上げるのが、「知識」についての考えだ。

学習転移研究の文化も含む機能主義理論では、知識はコンテキストの外で獲得されると考えられる。例えば、学校はそのような脱コンテキスト化された特権的な学習の場であり、だからこそ、その場で獲得した知識が他のどんなコンテキストにも「適用」できると考えられる(なお、実験室もそのような特権的な場=脱コンテキスト状況だとみなされる)。

そのため、学習転移研究の文化では、知識は(特定の)時間と空間に位置づけられることはない。レイヴによれば、「知識領域」という概念に、このような知識観が反映されているという。

この信念は「知識領域」という一般概念に反映されている。この用語は、使っている知識を時間と空間のなかに位置づけているように一見見えるが、実際はそうではない。ここでも、おそらく曖昧さが利点となって、この概念
に認知の議論のなかでの安定した場所を与えている。この概念は疑似空間、すなわち知識は問題解決のコンテキストであるという錯覚を提供しているのである。しかし、問題を「知識領域」に「位置づける」結果、認知研究における問題解決の研究は、問題解決が起きる状況の分析から切り離されてきた。

[Lave 1988=1995,64](※強調は筆者)

知識領域という考え方が、実験室や学校は脱コンテキスト化された特権的な状況(それらもある社会的状況であるにもかかわらず!)であるという「錯覚」を抱かせてしまっている、というのがレイヴの見立てだ。その錯覚のもとで、そのような知識領域で定義された実験室的・学校的「問題」を、別の独立した「状況」に適用(=問題解決)できるかどうかが、転移の有無として評価される。

しかし、日常生活の実践は、そのような知識領域によって定められた問題を解決するように行われるわけではないはずだ。レイヴが例に出すような買い物、家計のやり繰り、ダイエット、料理などがそうであるように、それは実践する本人の「問題」である。したがって、その問題と向き合うかどうかは、どのように解決するのかを分析するには、その状況にいる実践者の「動機」を検討しなければならないというのが、レイヴの考えだ。

しかし日常の活動では、ある人が問題解決を行なうか行なわないかは多くの場合他人からコントロールされることではないし、またその人が一般的に問題解決したがる方かしたがらない方かによって決定されるものでもない。日常活動における問題解決を分析するためには、要するに、動機づけの理論が必要である。というのは、問題があるのかないのか、また問題を構成するものが何なのかを明確にすることは、一般に問題を解く人の選択だからである。そしてわれわれが明らかにしなければならないのは、問題解決活動が次に起きることをどのようにして引き起こし、またそれに意味を与えるのか、という問題である。

[Lave 1988=1995,65](※強調は筆者)

【ここまでのまとめ】

本章では、レイヴが批判する機能主義理論および学習転移研究について、それを「文化」として観察・記述された(エスノグラフィックな検討)。その文化で自明視されている信念や慣習を浮き彫りにすることが目的であった。

ここまで整理してきたように、「学習転移研究の文化」の特徴は、次の3つの「神話」にまとめられる。

学習転移研究の文化にある3つの神話

  • 〈問題解決の神話〉実験者が正しい答え定めた問題を設定し、そのとおりに問題解決することが知識や学習転移の現れである。

  • 〈状況間の独立性の神話〉ひとつひとつの状況はそれぞれ独立している。(ゆえに、知識をある状況から別の状況へと転移できるし、できなければならない。)

  • 〈知識領域の神話〉実験室や学校など制度化・体系化された知識は、脱コンテキスト化された場である。

では、日常生活における実践・認知活動がどのようなものなのか。その実態に踏み込んでいくのが、次章の内容になる。

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