良いビジネスモデルと、従業員の幸せは一致するのか?
世の中には、よくできたビジネスモデルがある。
収益が安定し、顧客が離れず、規模も拡大できる。
投資家にも説明がつき、経営としては優等生だ。
しかし、そこで働く人が幸せかというと、話は別になる。
これは倫理の問題でも、経営者の人格の問題でもない。
モデルの設計問題だ。
ダメなビジネスモデルは、人を不幸にする
まず当たり前のことから確認しておこう。
収益が出ないモデルは、長く続かない。
資金が尽き、組織は縮み、責任は現場に降ってくる。
この意味で
ダメなビジネスモデルは、確実に従業員を不幸にする。
これは例外がない。
では「良い」ビジネスモデルは?
問題はここからだ。
収益最大化の観点で「良い」モデルとは何か。
利益率が高い
再現性がある
リスクが構造的に外部化されている
変動要素が人件費に吸収される
非常に合理的だし、経営としては正しい。
だが、この合理性は
誰の目的関数に対して最適化されているのか
という問いを、意図的に避けている。
目的関数のズレ
多くのビジネスモデルは、こう設計されている。
目的関数:利益・成長・継続性
制約条件:法令、評判、最低限の人材確保
従業員の幸福は
目的関数ではなく、制約条件の一部だ。
壊れない程度には守る。
離職が多すぎない範囲で配慮する。
だが、最大化はしない。
これは冷酷なのではなく、設計上そうなっている。
幸せが「副作用」になる構造
この構造では、従業員の幸せはこう扱われる。
あると望ましい
だが測定しづらい
収益と衝突したら後回し
結果として、
忙しいが儲かる
消耗するが評価される
改善すると仕事が増える
という状態が、成功の証拠として積み上がる。
モデルは健全に回っている。
人は少しずつ摩耗していく。
それでもモデルは「良い」
ここが重要だ。
この状態でも、
ビジネスモデル自体は「良い」ままだ。
顧客は満足している
売上は伸びている
組織は拡大している
問題は「失敗」ではなく、
最初からそう設計されていたという点にある。
一致する場合はあるのか?
もちろんある。
ただし条件は厳しい。
成果が利用者の価値と直結している
改善の裁量が現場にある
長期のフィードバックループが存在する
人が消耗すると、モデル自体が劣化する
このとき初めて、
従業員の幸せ = ビジネスの健全性
という関係が成り立つ。
逆に言えば、
この条件を満たさない限り、両者は自然には一致しない。
個人が感じる違和感の正体
「仕事としては成立している。でも一生は微妙だ」
この感覚は、甘えでも贅沢でもない。
自分の幸福を目的関数に含めてしまった人が、
モデルの前提を見抜いただけだ。
ゲームが違うのに、
勝ち方だけを教えられてきたことに気づいた瞬間でもある。
結論
ダメなビジネスモデルは、人を不幸にする
だが、良いビジネスモデルも、人を幸せにするとは限らない
両者が一致するかどうかは、設計次第
多くの場合、最初から一致するようには作られていない
だから重要なのは、
どのモデルに、自分の人生を最適化するか
という選択だ。
努力や適応の問題ではない。
参加するゲームの問題である。
そして、この問いを立てられる時点で、
もう次のフェーズに足を踏み入れている。
