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潔癖症、という病。

実は自分という存在が、子どもにとって毒なのでは、と思う瞬間がある。

まさか自分がこうなるとは思いもしなかったけれど、わたしは潔癖症なのだ。
息子が生まれてから、突然発症した。

そのことを認識するまでにも時間がかかってしまったけれど、自分のためではなく一緒にいる息子や夫のために、いよいよなんとかしたいと奮起してこれを書いているところ。

本来わたしといえば大雑把で適当で、潔癖症とはほど遠いところにいた人間だったのに、一体どうしてだろう。

自分なりに分析をしてみるに、この潔癖症はもともとは、息子を守りたいという気持ちから発症したような気がする。

息子は、昔重度の小児ぜんそくだったという夫からの遺伝もあるのか、気管支が弱い子どもで、2歳のときにぜんそくになった。

生まれてから1番はじめに打つ肺炎球菌の予防接種でも40度の熱を出したし、もともと体が、特に気管支系が弱い気がする。

ゼイゼイ、ヒューヒューがはじまってしまうともう横になっては眠れない。苦しげに呼吸する息子を縦抱きで膝にのせて眠らせ、祈るような気持ちで夜を明かした日がどれだけあっただろうか。

走ったり、冷たい空気にふれたり、雨が降るまえだったり、ぜんそくを発症するトリガーは色々とあったけれど、なかでも厄介なのが風邪だった。

風邪をひけば、きまって長い長いぜんそくとの戦いがはじまる。
鼻水やくしゃみなどの症状はすぐにおさまっても、咳やぜんそくはいつまでもしぶとく残ってスッキリと治ることがなかった。

もともとわたしは、ぜんそくというものに恐ろしいイメージを持っていた。それは小学6年生のころ、同じ塾に通っていた高橋くんという男の子が、ある日ぜんそくが原因であっけなく死んでしまったからだった。

前日まで同じ教室で机を並べていたクラスメートが、その夜救急車で運ばれ、翌日の授業には来なかった。もう、死んでしまったという事実だけを人づてに聞いた。

そのときわたしが思ったのは、高橋くんの親だってもし彼の寿命が昨日だと知っていたならば、何年もこんな中学受験の塾になど通わせなかっただろうということだった。わたしは、高橋くんがかわいそうだった。ご両親も、きっと後悔してるだろうと思ったのだ。

夫のお父さん、お母さんも揃って言っていた。夫は手のかからない子だったけど、ぜんそくだけは本当に心配で苦労した、と。もう三十年以上前、彼らもわたしたちと同じように不安な夜を過ごしてきたんだと思う。


わたしは自分でも気づかないうちに、息子の体に近づくウイルスや菌というものに異様に敏感になってしまった。コロナがまだ何者か分からなかったころには、気管支が弱い人が重症化しやすいという情報を見て震えた。

除菌シートで幾度も息子の手を拭き、外から帰ってきたら服を必ず着替え、ときにはまだ早い時間でもお風呂に入って菌を洗い落とした。

帰宅後に手を洗わずにウロウロしたり物を食べたりするのを、まるで悲鳴をあげるようにして注意した。

自分が大変なことをしてしまっていると気付いたのは、ある日外から帰ってきた息子が「ぼく、ソファに座っても大丈夫?」と不安げに聞いてきたときのことだ。


『外は汚い』という感覚。
そして『外に出て色々なものをさわった自分は汚い』という感覚を、幼い身体と心に毒のように染みこませてしまったことにようやく気が付いた。

頭ではわかっているのだ。
人は菌やウイルスとともに生きていること。たくさん病気をして強くなること。清潔すぎる環境はむしろ悪影響なこと。
見えない菌を相手にしたってしかたないこと。


でも、ぜんそくがこわい。苦しげな息子を見るのがこわい。眠れぬ夜が来るのがこわい。

自分を、おかしい、とは思っていた。
これを息子の当たり前にしちゃいけない、とも思っていた。
だけど、目に見えない敵に怯えてこれまでこの習慣を変えることができなかった。


だけど。

もう8歳になり、息子の身体はとても強くなった。
ぜんそくの予防薬は今も飲み続けているけれど、最近ほとんど症状は出ていない。ハードなダンスを踊り続けても、寒い冬の外で走りまわっても、呼吸が苦しくなることはなくなった。
がんばってアレルギーの舌下治療もはじめて、それも順調に進んでいる。


わたしも、潔癖症を卒業するときがきたと思う。


一歩一歩、努力をして変わっていきたい。
病気も汚れも失敗もなにもかも、おおらかに笑って受け止められる母に。


最後に。
こんなふうに書いてゆくと、ぜんそくとは苦労する体質のようだけれど、わたしと息子のなかであの頃のことは、辛いだけではない思い出として心に残っているから不思議なものだ。


なかでも記憶にあるのが、夜明けを待てずに、タクシーで幾度も夜間救急に通った病院のこと。
白々とした電灯の光の下、静まりかえった処置室で吸入をしているとき、夜勤の先生はいつもやさしく息子に話しかけて、その背中をさすってくれた。看護師さんがわたしの背中にまで手を伸ばしてくれたある夜、わたしは思わずひと粒だけ涙がこぼれた。


昼には行くことのないその特別な病院が、息子は好きだった。

吸入を終えて徐々に顔色がよくなり、表情が明るくなる息子をみて、わたしもうれしかった。夜の孤独と心細さが、そこでは消えてなくなるのだった。

彼が今でも人が大好きな子どもで、大人というものを心から信頼しているのは、あのような夜を幾度も過ごしてきたからじゃないかと真剣に思っている。


背中をさすってくれる、他人の手の温かさを知っていること。そんなことに、この先もきっとわたしたちは救われてゆくのじゃないかなと、そんなことを思うのだ。

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