生命というものを考える ー 生きるということは未来を創造していること
私たちは地球上にあって確かに生きている。生命ある存在としてまわりにある一般の物質とは違うと感じられる。いわゆる生命でない物質とはその状態が変化するのに相当の時間がかかる。しかし生命ある存在つまり生物は一定期間で生まれて成長して消滅するという劇的な変化をする。生命あるものは動きがあり、そして変化する、この生命とは何だろうか。どうして、地球という惑星に生命という存在が現れたのだろうか。
私たちは日常では生命つまり生きていることをあまり考えない。そんなことを考えなくても生きていかれるし、生きるためにやるべきことの方に関心が集中している。しかしいったん生命の不思議に取りつかれると考え込んでしまう。生きているものと生きていないものには厳然とした違いがある。生物とは寿命という一定の期間に自律的に代謝をする複雑な組織のまとまりだ。生物は生きているという活力によって外部の物質を取り入れてその代謝のためのエネルギーを自己内で生産している。つまり、生命があるとは生きることを続けようとする力またはエネルギーがあることだ。それは目に見えない小さな生物から人間に至るまで共通である。
生物は1つの胚細胞の細胞分裂から始まり自律的に幼生をへて成熟し同種の世代を継続させている。その情報はすべて胚細胞にあるというのだろうか。しかも、単独の生物として閉じて活性化を維持するだけではなく、食物連鎖や炭素循環などに巻き込まれ全体が連携して維持されている。そこに微生物、植物、動物などの多くの種の全体が、バランスを保って地球上で継続して生きているのだ。
たとえ単細胞生物であっても、その体内には考えられないほどの多くの原子・分子が集まって、しかもそれが複雑な絡み合いとともに組織化されて、1つの生物としてまとまっている。生命を持つものは、その身体にあるすべての物質が中心化されて1つになって動いていると言える。つまり、生命体が1つの個体として中心化されたシステムになっている。では、その中心とは何だろうか、いくらその生物を細かく分析しても、その中心というのはわからないと私は思う。それは物質的なものではないと考える。
私はその中心にあるのは「生きようとする意識」であると考えている。意識というのは気づくことであり、変化に気づいて行動することにつながる。単細胞生物であってもまわりの食物に気づいて取り入れ、危険を察知すれば回避する。これは気づく能力があると言っても良いと思う。多くの物質が集まって組織化されてくると、そこに意識への方向が芽生えるのだと思う。それは物質的な動きではなく、目に見えない精神的な力のように思う。(注)
原子の世界、宇宙の星の配置、生命体について考え合わせて見ると、あらゆる自然の系列は、「中心に向かって統合されている」という見方ができる。つまり、本質的には同じように見える。物質と生命という2つの世界に分けられていると思っても、中心に向かって統合されているとすれば、そこに「複雑さ」を軸にした次元で眺め直すと、その境は明確ではなくなってくる。
分子の数量が少ない組み合わせの段階では、その物質自身では何ら中心への包み込みはないので、「意識」の効果はまだそこに見ることはできない。しかし物質の組織される密度が高くなって、ウィルスや単細胞生物のケースのように分子の数量が何百万もの組み合わせに達すると、たんぱく質や核酸からなる1つの組織体としての構造が見えてくる。この段階から、生命らしい意識としての「中心」となる特性が明確になり始める。そして、細胞にまで達した時点で、この「意識」という特性がはっきりと現れて、1つの生命体として中心化されたことになる。
そこで、生命には「生きる意識」があるとして考えよう。物質の集まりが原子・分子レベルの基本粒子の段階では、物質の意識はまだ検知できない波動のようなもので、中心に向って複雑に組織化されて始めて発動するものと考える。いったん生命が発現すると、生命体における複雑さの程度が高いほど、その意識の程度が上昇していく。生命の進化においては、組織の「複雑さ」の程度と「意識の上昇」が、並行して同時的に進行している。
ここで意識の上昇ということは、意識とは何かということにかかわらず、単純にその個体の神経システムの発達状況と置き換えられる。従って私たちが意識の成長を、脳の発達状況(つまり神経システムの発達)として比較すれば、無脊椎動物、節足動物、脊椎動物などの経過で、その発達段階が迷路のように見えても、人間にまで至る意識の上昇という経過が明らかになる。
つまり、生命の進化とは意識の上昇と同義となる。それは初期の生物から人類に至るまでの神経システムの発達であり、そこに明確により複雑になっていく痕跡がある。私たち人間は何十兆もの数多くの細胞で構成された生命体であって、まさに考えられないほど複雑な組織で構成され、様々な機能によって体内のバランスが維持されている。徐々に意識が複雑になって人類へと至り、そして人類において自己の意識を明確に自覚できるようになったということになる。
この宇宙の物質には引き合う力があり星を構成するエネルギーがあるのと同時に、生命があって生きるエネルギーがあることは事実である。物理や化学の話では引き合ったり反発したりする力を良く話題になる。同じように私たちの心の中でも、引き合ったり反発したりする力がある。愛情や愛着によって引かれる力とか興味のある対象に引かれる力がある。また反対に、嫌なことには反発する力が起きる。これらはいわゆる精神の領域にある力であり、実際にこれらの力から私たちが行動するエネルギーが生じているのも事実だ。
ここで作用している精神の力というものは、物理学で言われている力とかエネルギーとは違って数字で計算できないものである。しかし、物理学の法則から対象の動く方向や力の大きさは計算できるけれども、何故その力が宇宙に現象として生じているのかは科学でも究明されていない。そこに共通の隠された根源のようなものを私は感じる。
私が思うに、生命とは単に物質が集まるだけで発現するのではなく、もともと宇宙の基本物質には生命という特有の方向に共鳴する性質があり、その精神エネルギーによって築かれたものが生命なのではないか。宇宙のすべての物質は中心化する力(精神エネルギー)を秘めていると思う。それは生命の原初的な状況での生命をなす物質だけでなく、あらゆる自然の物質にあるものと考える。そして生命を構成する物質が集まるとその中心へと収束する力が生じ、それらの物質間での生きる意識への相互作用から様々な形態や組織が創造されて生命となったと考える。
そうすると、生命体は物質どうしが共鳴して1つの閉じた組織となっている状態から、もっと大きな組織に発展する可能性を秘めているとしても良いことになる。この宇宙では、生命をもつ物質のまとまりが、進化という現象により、より高い程度の複雑さへと向けて運ばれているからだ。人類に至るまでに生命が経験し蓄積したことは、複雑化する流れとなってその動きは今もこれからもずっと続いているはずだ。まさに生命が自ら創造しつつ未来へ向かっていることではないだろうか。
これは私たち人間にも当てはまる。確かに人類はそれまでの生物とは画期的に異なり、大脳という複雑な器官を持ち言語や思考を獲得した。しかし生命の進化の流れが人類の出現で終わりという証拠はどこにもない。ならば、これからも生命は何らの創造を続けていくと思われる。その人類を超える未来の生命存在とは何だろうか。それは大脳に芽生えた精神がいかに創造性を発達させるかということではないかと思う。誰でも人間であれば何かを創造することはできる、未来を見据えて自分にとっての未来を創造するということを考えてみてはどうだろうか。
(注)私のこの考え方はテイヤール・ド・シャルダンに影響されている。テイヤールの著作「現象としての人間」にある複雑さと意識の法則を私なりに解釈してこの文章を書いている。
