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もっといい加減になれたらいいのにね



6月が6月らしくあるように
ゆれる紫陽花、雨ふりの袖

(ののっつ)


昨年、2025年はたしか、たしかだけど、6月からもう暑さが始まっていて「はやい!」と思い、そして10月までその暑さは続いて「5ヶ月もエアコンをつけている」と虚無な気持ちになった。そんな覚えがある。

でも今年はなんだか6月がとても6月らしい。
梅雨らしい雨が降って、朝夕は薄い上着を羽織らないとちょっと寒い。
我が家ではまだエアコンを稼働せずに過ごせているし、反面、職場はガンガンにエアコンがついていて冬用の大判ストールをぐるぐると身体に巻いている。キーボードを叩く手のひらや指先が冷たくなる。

「ねぇ、寒くない?」

と担当している職員の女の子(若い)に声をかけると、「そうですね、ちょっと寒いですね」と、にっこり半袖。
いやいや半袖じゃんか。
こちとらちょっとどころじゃなく寒いよ、と、少し指先を触ってもらうと、「ひっ!」と声をあげられた。ゾンビか。

ストールをぐるぐるに巻いているものだから、支援員の先輩おばさまにも「なに、ののっつさん寒いの?」と聞かれる。寒いです、手が死……と差し出し、「ひっ!」と同じ反応を受ける。なんでだ。おそらくエアコンの風の当たる席に座ってしまっているからだろう。

7月からは席替えがある。そっちの島は温かいと分かっているんだー。はやく7月になりますように。このままじゃゾンビ扱いが終わらない。

でも、この梅雨に関してはいいね。いいじゃん。と思っている。
昔の梅雨ってこんなだった気がするよ。
しとしと、少しさむい。

楽しみのナイターが連日中止になっているのは悲しい。仕事から帰って、ナイターを見ながら夜ごはんを準備するのがわたしのせめてもの楽しみなのに。ナイター中止に「くそっ」と声が出てしまう。いかんいかん。昭和のおじさんじゃあるまいしな。

・・・

最近の休日のデフォルトのわたくし。

マサル・ウノ

宇野勝ヘディング事件をTシャツにしたものがある、と知った瞬間に即買いをしたものである。家の中でのみ着用していたのだが、夫に、「別に地元なら外で着てもいいんじゃない?若い人は宇野勝のこと知らないし、知ってる人が見たとしても「懐かしいな!」と思うだけでしょう」と言われた。

本当に?

もうぜんぜん平気で着ている。
さすがに日本橋とか銀座にこれで行く勇気はないが、地元なら大丈夫。


気分がくさくさした金曜日の昼休み、ようしこういう日は外だ、外に出ん、と他省庁の中にあるオシャレなパン屋さんに出かけた。
ギラギラとパンを吟味していたら「あれ、ののっつさん!」と声をかけられ、振り向くと同期のめりさん。ありゃこれは嬉しい。ふたりでランチをする。

めりさんは2歳と3歳の年子のお子さんがいて、しかもご自宅から職場までは1時間以上かかるなか、支援員として勤務している。これまではまったく関係ない企業づとめで、精神保健福祉士として資格を取り、ここが初めての支援職。
そんなに小さなお子さんがいて、初めての支援職で、しかも遠くて、さぞ大変だろうと思うが、いつも笑顔でさわやか、そしておそらく魑魅魍魎の支援員界隈でもっとも曇りなき善人である。

わたしともう一人の同期マキさんが「○○さん、やんなっちゃうよね」など、顔を曇らせて愚痴っていても、「あの方そういうところもありますよね、ちょっと残念だなぁ」等、さわやかに返してくる。
めりさんから誰かしらの愚痴とか、悪口はほぼ聞いたことがない。

が、この日はパンを食べながら話していたら急にめりさんが、
「支援員界隈も海千山千の世界ですね」
と言うので、パンを吹き出しそうになった。

「ど……、なんかありました?」
「なんていうか、経験がある先輩支援員の方が、教えてくださるというより揚げ足を取るっていうか、マウントをとる方向に来られるんですよね」
「あー分かる。専門職、意地とプライドのおばさまたちが多いですよね」
「わたしは確かに経験浅いですけど、ベテランの方にアセス読まれて、「あなた、浅いわ。これじゃ木を見て森を見ずよ!」って言われて。モヤモヤしてしまいました」

それはイラつくな。
そんなこと言ってないで、なにか思ったならアドバイスをしなさいよ。
本当に、心理や支援の専門職のおばさまは、経験を重ねるほどに「わたしは正しい」「わたしは圧倒的に知っている」になりやすい。

でもその慢心って本当に危険で、支援対象者のことも分かってるつもりになりやすい。「この人は○○さんみたい」って過去の誰かしらに当てはめてみたり(誰もが必ず違う背景や心を持っているのに)、決めつけの支援になる。相手をちやんと見るというより、自分の中で組み立ててそこに当てはめていってしまう感じ。

どんなに支援を経験してもひとつとして同じケースはなく、ひとりとして同じ人はいない。
だから、ひとりひとりを初めて出会う人としてきちんとまっさらに出会い、ゼロから対等に接していくことが基本なのではと思う。
それがあって始めて、いわゆるラポール(信頼)が築けるのではないかしら。

ベテランの支援員さんは、対等よりも相手と指示的な関係になりやすい。あなたこうなのよ、こうしなさい、そんなの気にしないでいいのよ、などなど。
先生と生徒みたい。それじゃ、本当の心の弱さを見せて相談はできないよね。

だからわたしは、めりさんはめりさんでいいと思う。わたしだったらめりさんみたいな人が担当になってほしいよ。だってめりさんは人として信頼ができるし対等に見てくれるって話しててわかるから。と言った。

最近も、担当の職員さんのことではいろいろと「どうしようかなー」と支援の方策を考えることが多い。どうやって背負いすぎている荷物を少し下ろしてもらうか。自分の責任の範囲を狭めてもらうか。ネガティブの反芻を止めるか。
そして、タイミングを見てアンタならイケるわよ!(細木数子)と背中をドーンと押すか。

でも、やっぱりいちばん大切なのは「ののっつさんが言うなら耳を傾けてみよう」と思ってもらえる信頼関係を重ねてゆくことと思っている。

人の言葉が心に届くには、何を言われたか、ではなく、誰に言われたか、がとても大事だから。

・・・

父の日。

娘が「なにが食べたい?」と夫に尋ね、「夏野菜カレー」と答えたらこんな凄いのをこしらえた。夏野菜の素揚げがのってる。あと、夫が好きなゴロゴロしたポテトサラダ。
とてもおいしかった。

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コロンバンのバターケーキ

こまちゃんと久しぶりの再会。
お互いに忙しくて、というかこまちゃんが嵐の解散で心が揺さぶられており(20年来のファン)、ようやく落ち着いたところで会えた。

ルミネtheよしもとでいつもの「カラカラ」(アインシュタイン河井ゆずるさんと、とろサーモン村田さんのトークライブ)を観るついでに、カフェをはしごして5時間も最近のあれこれを話した。

こまちゃんの悩み多き、悩み多き日々。
真面目で誠実なこまちゃんは、責任の範囲を広げすぎてしまっている。子どものこと、仕事のこと、自分のこと。「私がこうだから……」「子供が可哀想で……」と言うけど、親の責任はもっと狭めていい。すべてを「私のせい」って思わなくてもいい。だって親には親の人生、子には子の人生がある。
でも、「いいんだよ」と言われても、じゃあどうすれば?って思う。それも分かる。

帰りに、新宿駅の改札前でまだ話していて、「大丈夫、それはこまちゃんのせいじゃない。子どもには子どもの人生があって、これから本人が受け止めて生きていくことだよ」と話すと、涙をポロッとこぼしていた。

誠実な人ほどつらくなるね。
もっと、いい加減になれたらいいのにね。

・・・

最近のカフェ活。

植松(ChatGPT)が勧めてくれた、佐藤泰志「きみの鳥はうたえる」だが、10ページくらい読んで「うー、ダメだ」と感じた。
こういう自意識過剰な男の主人公はむりだ。村上春樹の小説の主人公みたい(好きな方ごめんなさい)。わたしには合わない、と、本を閉じてしまった。すまん、植松。

右、上條一輝「深淵のテレパス」。なんだかミステリーが読みたくなって購入。いまのとこ面白い。
左、娘の推しのカントールが出ていたので買ってあげた。

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あなたにはあなたにしかなれないように
わたしもわたしにしかならずにいる、初夏

(ののっつ)


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