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Issue06 『地獄に墜ちるわよ』は、令和に投げ込まれた昭和のエネルギー



『地獄に墜ちるわよ』は、令和に投げ込まれた昭和のエネルギー

Netflixの『地獄に墜ちるわよ』を観た。
ゴールデンウイークとともに配信開始はずるい。一気に見てしまうではないか。
私はテレビの細木数子しか知らない状態で見始めたが、細木数子そのものへの感想を抱く人、戸田恵梨香や三浦透子の演技について語る人など、やはりインパクトは大きかったようだ。(未だにあの音楽が頭から離れない…)

ただ私は、この作品における細木数子の“描かれ方”に引っかかるものがあった。
第1話を見て、ある人物がふっと連想されたのだ。

それは『白い巨塔』の財前五郎。

テレビ局の人間が階段を駆け上がり、細木数子を出迎えるシーンがあったからかもしれない。
幼少期の苦労が生み出した底なしの欲望。
権力に対する鋭い嗅覚。
悪人のような一面がありながら、親への愛やカリスマ的な魅力も同居している。

どこか似ていないだろうか。

小説の登場人物と実在の人物を同列に語るのはどうかと思いつつ、どうしても共通点を感じてしまう。
実は、二人のエピソードが描く“時代”も重なっている。
どちらも戦後の日本を生き抜いた人物だ。

『地獄に墜ちるわよ』は、細木数子という人物を通して、昭和という時代そのものを描きたかったのだと思う。
人間のむき出しの強さ、欲望、しぶとさ。
そういうものが画面の奥にずっと流れている。

最近、昭和を題材にした作品が増えていると感じる。
『不適切にもほどがある』
『もしこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』
『ストリートキングダム』
『白い巨塔』よりは少しあとの昭和ではあるけれど、どれも“濃い時代”を扱っている。

最初は、昭和という時代がひとつの歴史として距離を持ち、ドラマや映画で扱いやすくなったのだと思っていた。
でも、違う気がする。

どの作品からも、喝のようなメッセージを感じるのだ。
「令和、しっかりしろよ」と。

昭和は、権威が強く、言葉が強く、人間がむき出しで、物語が濃かった。
そのエネルギーを、令和はどこかで失ってしまったのではないか。

だから作り手は、昭和を懐かしむためではなく、
令和の丸さに風穴を開けるために、あえて再び呼び出している。
細木数子は、その“ざらついたエネルギー”を令和の画面に突きつける存在として選ばれたのだと思う。

映画『プラダを着た悪魔2』

https://www.20thcenturystudios.jp/movies/devil-wears-prada2

スクリーンに帰ってきてくれてありがとう!20年前と同じキャストで20年後を描けるなんてそれだけで奇跡。ストーリー云々ではなく、美しい洋服が画面いっぱいに広がる2時間に幸せを感じました。エンタメやファッションは生きるために必須ではないのかもしれないけど、人生の彩りには間違いなく必要だと改めて思いました。

ゲラン『グラナダ サルヴィア』

ザクロのさっぱりとした甘さの中に、レモンやベルガモットが加わり、ジューシーという言葉がぴったり。気温が高くなっても鬱陶しくない甘酸っぱい香りです。

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