因果応報
終末期、アンモニアの数値は119。医学的にはいつ意識を失ってもおかしくないはずの夫が、退院して我が家に帰ってきた途端、普通に起きて生活している。それどころか、お昼には自分の好きなアイスやらジャンクフードを勝手に選んで、美味しそうに食べている。
「いつ逝ってくれてもいいんだけど……」
看病に疲れ果てた私の口から、そんな本音がこぼれる。手を動かす介護は何もしていない。ただ夕食を作るだけ。お昼だって「勝手に食べてて」と突き放した。なのに夫は、怒るでもなく機嫌よく過ごしている。
なぜこれほどまでに、夫は「我が家」と「自分の好きなものを食べる」という何気ない日常に執念を燃やすのだろう。その答えは、夫の生い立ちに、あまりに業の深い家族の歴史の中にあったから。
夫が6歳のとき、実の母親が自殺した。精神を病んでいたという。父親はすぐに再婚したが、夫は新しい母親となじめなかった。家の中に、夫の居場所はどこにもなかった。周囲になじもうともせず、心を閉ざして生きてきた。
高校受験のとき、夫の学力は私立の早慶が合格ラインに達していた。自分の力で人生を切り開く、唯一の希望だったはずだ。それなのに、お金がないわけでもない父親から「公立しかダメだ」と、受験すらさせてもらえなかった。
夫はそれを「人生最大のトラウマで、あのとき1回死んだ
」と振り返っていた。実の父親に人生の主権を理不尽に踏みにじられた絶望は、一生涯消えない呪縛となった。
けれど、因果応報は忘れた頃にやってくる。
腹違いの妹が高校3年生になり、一番お金がかかるそのとき、父親は食道がんであっけなく逝った。生きていれば私立の大学に行けただろうに、残された母親から「お金がないから国立しか行かせられない」と、かつて夫が味わったのと全く同じ絶望を、その妹も味わうことになったのだ。父親の身勝手な業は、自分が一番愛したかもしれない新しい家族の未来を直撃して完結した。
そんな激しい人生を生き抜いてきた夫だからこそ、今、病院という「他人に管理され、自由を奪われる場所」を激しく拒絶しているのかもしれない。
いま、自分の城である我が家で、誰の指図も受けず、妻の私にコントロールされることもなく、普段なら止められるような体に悪いものを、自分の意志で勝手に食べている。
それは、誰の支配も受けずに「俺は俺の人生を、俺の好きなように生き抜いているんだ」という、父親に対する生涯をかけた最大の復讐であり、夫の人生最後の、完璧な勝利の姿なのだと思う。
私はもう、至れり尽くせりの看病なんてしない。
彼が自分の足で立ち、自分の人生のゴールテープを自由に切るのを、この家でただ淡々と見守るだけでいい。私の存在は一筋の光だったから。
