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人間であること──矛盾の中で、僕らは息をしている

それでも、僕らは人と向き合おうとする。
その矛盾の中で、僕らは「人間である」ということを思い出す。


詩:矛盾の中で

喜びがある。
人の気持ちを見抜けたときの、
ああ、同じなんだ、という安堵のような喜び。

恐れがある。
危険や不安を感じる瞬間、
心は震え、世界の重さを知る。

不安がある。
未来や状況がどうなるかわからないときの落ち着かない感情も、
それは生きている証拠。

安心がある。
恐れや不安が去ったときに訪れる、
静かで深い安定の感覚。

怒りがある。
自己正当化の言葉で他人を裁く姿への、
小さくも鋭い拒絶の痛み。

哀しみがある。
矛盾する感情を同時に抱く自分を見つけて、
どうしようもなく人間らしいと思う瞬間の、静かな涙。

愛情がある。
人や物事に深く思いやる心は、
矛盾と不安の中でも希望の力を育てる。

楽しみがある。
そんな矛盾の積み重ねの果てに、
未来という名の希望が、確かに息づいていること。

──それが、人間であるということだと思う。


才能と努力

「本当に才能がある人は、それに固執しない」
そんな言葉を、誰かが言っていた。

一理ある。
でも、どこか違和感があった。

ほんとうの才能とは、
努力の中で失わずにいられる好奇心の強さだと思う。
どんなに心が揺れても、諦めずに見つめ続けること。
その姿勢こそが、ほんとうの強さなんじゃないか。

やめることが悪いわけじゃない。
けれど、それを美しく飾り変えてしまうと、
本当の痛みや希望が見えなくなってしまうんだ。

生まれつきの才能を否定するつもりはない。
けれど、それは最初から下駄を履いているに過ぎない。

プロの世界では、
誰もが才能を持っていて、あるいは努力で下駄を作り、
その上で、さらに努力している。

そういう人を、たくさん見てきた。

だから、
「固執しない理由を本当に才能があるから」とすることに、
僕はどうしても納得がいかない。
ほんとうに才能がある人でもそれに固執することがあるのだ。

つまり、僕にとって才能とは、
迷いながらも手探りで続ける暗闇の中の灯りなのだと思う。


共感と世界

詩を書くとき、
僕は「伝えよう」と思わない。
ただ、感じてほしいと思う。

共感は、必ずしも理解の先にだけあるものじゃなくて、
理解しようとする姿勢そのものが共感といえると思うから。

この世界は、矛盾だらけだ。
正しさだけでは変われない、
そして変わらない。

けれど、人が人に共感し合い、諦めない限り、
それは静かに温度を変えていく。

哲学や言葉の整理なんて、
結局は全部、矛盾の中での試行錯誤だろう。
だけど僕は、そこから逃げたくない。


いつも、僕にとっての一番は
「人間であること」だ。

人間であるというのは、
正しく生きることではなく、
矛盾を抱えても、生き続けること。

日々前を向くこと。
自分を磨くこと。
周りの人を大切にすること。
それもきっと大事だろう。

だけど、
人間であること――
それは、愚かだとしても前を向くこと。
矛盾を抱えたまま笑えること。
完璧を目指すよりも、
ただここに在ることを引き受けて生きること。

──それが、僕の信じる「人間である」ということ。

僕は、そんな人間でありたい。
そして、それはきっと、
争いのない世界に少しだけ近づく気がするから。


終わりに

人間であること、やめなくていい。
矛盾しても、揺れても、弱くても。

そのままの自分を抱えながら、
それでも世界を信じようとすること。

それが、生きるということ。
それが、僕の信じる「人間である」ということ。

「才能がない」や「努力不足」という言葉で、
僕らはときどき自分を責めてしまう。
だけど、それこそ人間であるということの証なんだと思う。

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