滝と井戸|詩的エッセイ
【ざわめきの中にいた】
SNSや社会の喧騒の中で、自分の中の何かを失っていく。
焦って発した言葉も、どこか自分のものではないような感じ。
これを読んでいるあなたも、経験したことがあるでしょうか?
以下の詩は、私が思想や価値観の違い、ぶつかり合う欲求、錯綜する情報に触れ、たくさんの情報で押しつぶされ、自分の考えがよくわからなくなったときに書きました。
詩:滝と井戸
情報は水。
この世界は、無数の滝が轟音を立てて落ちている場所。
その水は価値観であり、思想であり、誰かの生き方であり、誰かの正しさ。
その滝の前に立たされて、
「これが大事」「これが幸せ」「これが普通」––
そんなふうに、今しか飲めない水を飲めと、後悔すると、
飲めと迫られる。
「飲まなければ後悔する」と、
「飲まなければ間違っている」と、
そう言われ続けていると、水を飲まない自分が、
どこかおかしい気がしてくる。
気づけば、滝の濁流に飲まれ動けなくなっていた。
飲み疲れて口を閉じても、しぶきが目を塞ぎ、
息をするたびに喉に流れ込む。
いつのまにか、自分の声は消えていた。
何を求めていて、何に苦しんでいるのか。
わからなくなっていた。
聞き流していたはずの音が、
いつの間にか、心の奥まで染みこんでいた。
ある日、あなたは思い出すだろう。
遠く離れた静かな場所に、ひっそりと井戸があったことを。
誰かの水ではない、自分のための水を、
時間をかけて、静かに汲み上げる場所。
生まれたときから、井戸は確かにあった。
でも、いつのまにか忘れていた。
滝の水を飲んでいるうちに、
その存在さえ流されてしまっていた。
滝から完全に離れることはできなくても、
時々は、滝の前から離れて、その井戸に戻ってもいい。
時間がかかってもいい。
少ししか汲めなくてもいい。
自分だけの井戸で、本当に必要な水を、
心を、そっとすくうために。
自分の輪郭を取り戻す。
心がざわつくたびに生まれる「ずれ」のような違和感。
価値観のすれ違い、感情がぶつかり合い、飲み込めない言葉たち。
いくつもの視点で考え続けるうちに、すべてに正解があるようで、
すべてが間違っているような、自分がどうしたいのか分からなくなってくる。
––でも、静かな井戸のような場所を、自分の中に一つ持っていてもいいと思う。
何が正しいのか、何が普通なのか。
そんな言葉に飲まれそうになったとき、思い出してほしい。
静かな井戸は、確かに今もある。
【あとがき】
あの頃の私へ、そして今のあなたへ。
この作品は、私が社会人一年目の頃に書いたものです。
そして、私自身が「滝」に流されていたときに書いたものです。
毎日、押し寄せる情報の波に翻弄され、気づけば「自分が何を思っているのか」分からなくなっていました。
私にとって井戸とは、「沈黙」「孤独」「一人で考える時間」でした。他人から見れば無駄に見えるその時間にしか、私自身の声は戻ってこなかったのです。
あなたにとっての井戸は何でしょうか。
静かに本を読む時間かもしれないし、ただ眠ることかもしれない。誰にも見せない日記を書くことかもしれません。
滝は必要です。世界とつながることも必要です。
けれど、井戸もまた、確かに必要です。
この文章で、繊細なあなたがひと時でもホッとできる時間になり、井戸の存在を思い出してもらうきっかけになればと願っています。
【滝と井戸の制作背景】
滝は他者の価値観や正解の象徴。井戸は、自分の静かな水源。
世界にあふれる「正しさ」や「評価」に飲み込まれて、自分が分からなくなったときに、どう戻るのか。
その答えを「井戸」というイメージに託しました。
人はどれだけ想おうと、主観でしか物事を捉えられない側面があります。
それでも、独りよがりにならないよう願いながら、他人を想うことはできるのです。
けれど、どれだけ想っても満たされないこともあります。
「何かしたいのに、何もしたくない」。
毎日同じことを繰り返し、声を上げれば的にされ、消耗していく。
それでも、井戸のような場所があれば、少しだけ呼吸を取り戻せるのではないか。
――葛藤の中で生まれた、そんな願いを込めています。
…現代は「滝」があまりにも強くなりすぎた時代です。
SNS、ニュース、広告、ランキング、レビュー。
無数の滝が私たちに「これが正解だ」と語りかけてきます。
その中で「井戸」を持つことは、わがままや逃避のように見えるかもしれません。
けれど、私はむしろ逆だと思っています。
井戸を持たないままでは、滝に流され続け、自分の声も、誰かを想う心も、薄れてしまう。
ネットの滝には必要な情報もあります。
けれど同時に、望まないものや心を削るものも、大きな顔をして流れ込んできます。
だからこそ、井戸に戻る時間を持つことは、むしろ「より良く生きるために必要なこと」だと考えています。
流れる情報を知らないことに不安を覚えることもあるけれど、
すべてを知る必要はない。
何も知らない時間の中で行動することでしか、くめない水もあります。
もし今日、あなたが少しでも滝に疲れているなら。
自分を見失いそうになったことがあるのなら。
どうか、ときどき思い出してください。
誰の中にも、必ず井戸があります。
その水は目立たないけれど、確かに湧き続けています。
静かな井戸の水をすくったとき、あなたの輪郭は少し戻ってくると思います。
この詩的エッセイ「滝と井戸」は、そんな時に立ち返るための物語です。
――それが、私がこの物語を残した理由です。
読んでくれてありがとう。
※以前、私の文章を買ってくれた方へ。
あなたの応援があったから、ここに残せました。
ありがとう。
