【文章学校・世阿弥断章08】駿河舞

この【文章学校・世阿弥断章】シリーズは、昨年亡くなった村松恒平さんの文章学校で、10年くらい前に創作したものです。各回ごとに課題があり、2500字くらいの短編小説を書いていました。私はいつも世阿弥をテーマに書いていましたので、創作順ではなく、世阿弥の年代順に番号を振って公開しようと思います。
この「駿河舞」の時の課題は「川」でした。今読むと、この内容では課題をクリアしていないように思います。前回のノートに続き、この作品が、そのまま【羽衣の家】の冒頭場面に繋がってゆきます。

   東遊びの駿河舞
   あづまあそびのするがまい
   この時や初めなるらむ

観世三郎(後の世阿弥)が次第を謡い始めると、それまでの座興を楽しもうとするくつろいだ雰囲気が、たちまち厳粛なものに変わり見所の人々は襟を正した。
場所は三保の松原近くの御穂神社の客殿、至徳元年(西暦一三八四年)五月十八日夕刻のことである。見所には駿河の守護今川泰範とその祖父で九十歳の五郎入道範国、嫡男範政をはじめとする今川家の人々とその家臣たちおよそ三十人が居並んでいる。
泰範が、三保の松原の情景を曲舞(くせまい)に作れと所望したのに対して、観阿弥が躊躇しているところに、三郎が進みでた。
「大和から当地へお招きいただき有難うございます。しかもこの美しい地にしばし遊ぶ機会まで頂戴致しました。御礼にこの地を讃える曲舞を謡おうと存じます。まさに東遊びの駿河舞でございます。これよりご披露申し上げます。」
三郎が謡った次第の詞章には言外に凡そそのような意味が込められていたが、その意味あいが見所の人々に落し込まれて行く。

「次第」というのは曲舞を構成する小段につけられた名前で、この後「クリ」「サシ」「クセ」と続いて行く。
クリでは天上界の起りを述べ、サシでは天上界の中の月宮殿の天女のことを説きおこす。
三郎が息を深く吸い、クリの詞章を乗せて勢いよく吐き出すと、その場は現実から切り離され、そこに天上世界が描き出される。
サシではゆっくり吸った息をゆるゆると吐きながら、一句の言葉を段々と進めて送ってゆく。泰範を始めとする見所の面々は、詞章の中に「白衣黒衣の天人の数を三五にわかって(白い衣の天人と黒い衣の天人が十五人ずついて)」と、地元で聞き親しんだ伝承の言葉が聞こえて頬を緩めた。緊張感に満ちた厳粛な雰囲気がにわかに和やかなものに変わってゆく。
ここまでは詞章の一句一句の流れ全体に、決まりの音律が乗っていく、いわゆる拍子に合わない謡である。観阿弥は、ここまでなら言葉の巧拙に差異こそあれ、三郎ならずとも何とかなると思っていた。即興での所望を受けて逡巡したのはこの先である。そしてここからが曲舞の本体であり、そもそも都鄙の見所の輩を夢中にした肝腎要の部分である。

この部分をクセといい、上の句七音下の句五音を、八拍の表裏十六粒に割付けて謡う、いわゆる拍子合ひょうしあいの謡となる。
それまで見所正面から見て右手奥に斜めに座していた三郎だったが、サシの留で扇をいったん膝に上げ、右にとって左膝を立て、足指を返して立ち上がった。

観阿弥は息を呑んだ。三郎の才気は重々承知している。即興での曲舞も、あるいは三郎ならばやってしまうかもしれないと思っていた。しかし、同時に舞まで舞ってしまうとは、いくら何でも才に走り過ぎだ。
「おのれ。失敗したらただではおかぬぞ。」
思わず若い頃の激しい気性が、腹の下から湧いてくる。しかし立ち上がって構えた三郎から、観阿弥に答えるように通ってきた気は、至って穏やかなものであった。普段から若いくせに悟りすましたような男だが、ここぞという時の落ち着きようは尋常ではない。
「まったく。何なのだこ奴は。」
我が子ながら観阿弥もとらえきれない何かが三郎にはある。単に頭が良いとか、人となりに優れているとかいうのではない。その立ち姿に、見所からはため息ともつかない感嘆の声がわずかに上がった。身体からゆらぎが立ち昇っている。それでひとりよがりで力んでいるのではなく、柔らかく広がっている。美しい顔立ちも合わせて、天女さながらの神々しさである。

クセの最初、春の三保の松原の美しさを描く詞章に合わせて、舞台を左回りにひと回りした三郎は、左右に袖を掲げて捧げる型をして舞台中央でいったん静かに舞を納めた。
続けて三保の松原が天上界につながっている言葉に合わせて、今度は三郎は右回りに舞台を回る。左へ回るのと右へ回るのとでは、気の巡りが変わってくる。
三郎は月の巡りに関係があるのではないかと思っている。左へ回ればこれは、月が東から南を経て西へ巡るのを迎えるように回って行く。こちらが順方向であり、月を追うように回る右回りは逆方向である。逆方向に回るにはより強い意思が必要だ。
三郎はその力を正面に集めて収め、また左右に袖を捧げる。そして今度は扇を広げて胸の前に立てた。
これも曲舞の決まりの型である。この後、広げた扇を頭上に上げると、堰き止めていた力が流れ出るやうに見える。その力を大きく左右に展開して、また中央に集める。
三郎は、最後に今川の旗印である「赤鳥」と「今川」の名前を織り込んで謡い収めた。赤鳥は今川の旗印であり、今この舞を見つめている範国入道が、駿河入部の折に浅間神社に参詣して神託を得て以来の瑞鳥である。
その浅間神社のお会式で『自然居士』を舞ってから、既に半月が経った。
観阿弥は思う。

なるほどこれなら舞は曲舞の定型を少しも出ていないから、即興でも舞える。しかし、それでいて詞章の意味を切り取りながら個々の型が生きていて、なかなかに味わい深い曲舞になっている。我が座の舞い手ならば皆すぐに舞えるだろう。
「藍より青し、か・・」
舞い終えて伺候する三郎に、国守泰範はもとより、齢九十の祖父範国、そして三郎と同年輩の嫡男範政も上機嫌で杯を勧めている。宴席は程なくお開きとなったが、観阿弥は泰範の宿所に呼ばれ、三郎は範政の元に呼ばれた。
武家と芸能者、境遇は異れどもそれぞれ同年輩の者同士、語り尽せぬ一夜は更けてゆく。

至徳元年五月十八日の夜、大和猿楽観世座の行く末は揚々たるもののように思われた。

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