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『ノエシスは愛を知らない』 第11章 東京が暗くなった夜 #58 久我宗一は呟く

【前回までのあらすじ】
蓮見怜が何かを朝倉ユキに伝えようとした瞬間、食事をしていた居酒屋の電源が落ち、店内は暗くなった。何らかの理由で停電し、光を失っていく六本木の街。交通機関は止まり、スマホも繋がりにくくなる中、怜は麻布十番にある自分の部屋に避難するよう、ユキに提案した。



ORd東京連絡局が入居している六本木コアタワーの照明が一斉に落ちた。

だが、上層階に位置する東京連絡局の暗闇は、ほんの数秒だった。

床面に沿って非常灯が灯り、天井の一部に白い光が戻る。

壁一面のモニターは半数以上が消えたままだったが、中央の大型ディスプレイと数台の端末だけは生きていた。

「UPS、正常作動。基幹サーバーは落ちてません」

誰かが声を上げる。

続いて、床の奥で低い振動音が始まった。
非常用電源が立ち上がった音だった。

「発電機へ切り替わります。3、2、1……切り替え完了」

消えていた照明の一部が戻る。
それでも、普段のORd東京連絡局とは違った。

空調は最低限。エレベーターは停止。

廊下の照明も間引かれ、外部回線のいくつかは既に失われている。


統括官である久我宗一は、中央のモニターを見たまま言った。

「外部との接続状況は」

「公共網の一部が応答しません。携帯網も輻輳が始まっています」

「東京連絡局内部は」

「内部ネットワークは正常です。外部系統とは物理的に分離されています」

「そのまま維持しろ。外へ繋ぐな」

久我の声は低かった。

室内に怒鳴り声はない。
だが、誰一人として手を止めていなかった。

「港区系統、復旧要求を受け付けません」

「渋谷側も同じです」

「交通制御系から異常停止の通知。原因コードがありません」

久我が振り返る。

「侵入ログは」

「ありません」

「マルウェアの痕跡」

「今のところ検出されていません」

数秒の沈黙。

停電なら、停電として処理できる。
攻撃なら、攻撃として追跡できる。

だが、いま東京で起きていることは、そのどちらにも見えなかった。


「二之宮」

久我が呼んだ。

少し離れた端末の前で、黒髪を後ろに束ねた女性が顔を上げる。

「はい」

分析官である二之宮沙紀だった。

彼女の前には複数のログが時系列で並んでいる。

「停止時刻を洗え。電力、交通、通信。系統ごとの誤差も出せ」

「やっています」

指はすでにキーボードを走っていた。

「あと5分ください」

「3分でやれ」

沙紀は一瞬だけ久我を見た。

「……了解」

再び画面へ向き直る。




久我は別の職員へ視線を移した。

「再起動はするな」

「ですが、復旧要求を……」

「するな」

その一言で相手は黙った。

「原因が分からない状態で再起動をかければ、残っている系統まで失う可能性がある。ログを保存しろ。復旧はその後だ」

「了解」

「原因を探すな。まず、何が止められたのかを確定しろ」

モニター上の東京地図に、赤い領域が少しずつ増えていく。

電力。鉄道。信号。通信。決済。
行政系システム。

しかし、すべてが止まっているわけではない。
動いているものもある。

ORd東京連絡局も、その一つだった。


数分後。

「統括」

沙紀の声がした。

「出ました」

久我が彼女の端末へ歩み寄る。

「電力、交通、通信の三系統。停止処理が始まった時刻が一致しています。誤差は0・2秒以内」

「外部信号は」

「見つかりません」

「内部トリガー」

「それもありません」

沙紀が画面を拡大した。

「各システムが、それぞれ正規の手順で停止してるんです」

久我の眉がわずかに動いた。

「正規の手順?」

「はい。安全制御が働いています。異常を検知して緊急停止したように見える。でも……」

沙紀はそこで言葉を切った。

「異常そのものが、ない」

久我が続けた。

沙紀は小さく頷いた。

「そうです」


背後から別の職員が声を上げる。

「東京連絡局基幹系統、引き続き正常。非常電源残量問題なし」

沙紀がふと顔を上げた。

「……なんで、ここだけ生きてるんでしょう」

誰も答えなかった。

ORd東京連絡局の非常電源が優秀だから。
内部ネットワークが独立しているから。

もちろん、それは理由の一つだった。

だが、それだけでは説明できない。
止めようと思えば、止められたはずなのだ。

久我はしばらく東京の地図を見ていた。

「無事なんじゃない」

沙紀が振り向く。

「え?」

「我々は、残されたのかもしれない」

そのとき、久我の端末が震えた。

短いメッセージ。
送信者は蓮見怜。

《朝倉ユキを安全な場所へ移送後、帰投します》

久我は画面を数秒見つめた。

そして、《了解した》

それだけを返した。


「蓮見さんは?」

中央のモニター前に立ったままの久我に、沙紀は尋ねた。

「夕方は姿を見かけましたが……」

「蓮見も出先から戻る予定だ」

久我は表情を変えずに言った。

「一時間以内には戻るだろう」

「そうですか」

沙紀は余計な言葉を慎み、画面に向かった。

久我は腕を組み、しばし黙考する。

暗い東京。
その中心で、ORd東京連絡局だけがまだ世界を見ることを許されている。

壊されたようには見えなかった。

むしろ……。
何かが起きるのを待っている。

久我は中央モニターに映る無数のログを見つめた。

そして、誰に聞かせるでもなく呟いた。

「……何を見ている、ノエシス」






主な登場人物


ORd東京連絡局
国際AI監視組織ORdの東京拠点。六本木コアタワー内にあり、都市インフラや通信網、AI関連事象などの監視・分析を担う。独立した内部ネットワークと非常用電源を備え、大規模障害発生時にも限定的な継続運用が可能。

久我 宗一 / くが そういち
ORd東京連絡局を統括する責任者。非常時にも冷静さを失わず、限られた情報から状況を俯瞰し、的確な判断を下す。蓮見怜の上司でもあり、巨大な超知能であるノエシスをめぐる事象について何かを知っている様子を見せる。

二之宮 沙紀 / にのみや さき
入局10年目になるORd東京連絡局の分析官。各種システムのログ解析を担当する冷静で優秀なスタッフ。久我からも直接指示を受ける立場にあり、大規模停電の発生と同時に、複数の都市機能に共通する異常の解析にあたる。


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