法隆寺若草伽藍の礎石と私
先日、奈良国立博物館に聖林寺の十一面観音を見に行った後に、色んな方々の大人気仏像への感想や評価を読んでいる中で、このブログにたどりついた話をその時ののnoteに書いた。町田甲一という美術史家が若い頃に聖林寺の十一面観音を駄作であるとこき下ろした事について、とても優しくユーモラスに紹介されている。
この方のブログ「観仏日々帖」は勉強になることばかりで読み深めていきたいと閲覧していたところ。。。法隆寺についてこんな事が書いてあった。
埃 まみれの書棚から~古寺、古佛の本~(第百三十八回)
〈その1〉 法隆寺の大御所 北畠治房
(3) 若草伽藍址塔心礎の寺外流出と返還
若草伽藍から、塔心礎を運び出した張本人は、北畠冶房であった。
北畠は、この礎石を自宅に運び込んでいた。後に北畠邸から阪神沿線住吉の久原房之介家に移される。この久原邸が、昭和13年、野村徳七の所有になったので あった。
北畠が塔心礎を自邸に運び入れたのが明治40年頃のこと、久原邸に移されたのが大正4年のことであった。
若草伽藍とは今ある法隆寺が火事になる前に作られた法隆寺の1代目の伽藍のことで、この頃、法隆寺は火事があって立て直されたのか、それともずっと同じ法隆寺が建っているのかという法隆寺再建非再建論争が世紀の大論争と言われてるほど白熱していたらしい。再建論争の決定打の一つとなるのがこの礎石の存在でなんとその石が神戸の住吉にあったのだ!(記事では阪神沿線となっているが阪急沿線の間違いかと思われる)
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