辛い時優しくされるのはどういう人か:「すごく辛い状態の人」とは限らない
辛い時に同情して優しくしてもらえる人と、そうでない人がいます。一般的に辛さの程度が大きいほど優しくしてもらいやすいと思われがちですが、実際はそうではないと私は思います。もちろん日頃の行いが良い人の方がいざという時優しくしてもらえるということはあるでしょうが、ここではそれとはまた別の話をしたいと思います。
私は、辛い時優しくしてもらえる人は「多くの人が経験したことがある類の辛さを抱えている人」だと思うのです。
多くの人がその人と同じまたは似た辛さを経験したことがあったら、みんなはその人の辛さを理解できます。そして、「自分もそうだったから分かるよ」とその人に優しくします。
正直言って、その人の抱えている辛さが大きいか小さいかはあまり関係ありません。共感できる辛さであればみんなは優しくします。
逆に、どんなに大きな辛さを抱えている人がいても、同じ辛さを経験した人が周りにいなかったら、誰もその人に優しくしません。その人の辛さが理解出来ないからです。
私の実体験から具体例を挙げてみます。
低血圧の人がいて、その人が具合が悪くなるたびにみんなが心配してその人に優しくしていました。ほとんどの人が同じまたは似た経験をしたことがあって、その人の辛さが分かるからです(低血圧で悩んでいる人は多いし、低血圧以外でもいろんな理由で人は具合が悪くなりますから)。でも、脱ステで意識が常に混濁して度々意識を失ったり呼吸困難になったりしていた私のことは誰も心配せず、優しくもせず、それどころかみんなでよってたかって虐めてきました。意識混濁で何も考えられないことについては「頭が悪い」と言われ、意識を一時的に失ったり呼吸困難になったりすると「ちょっと!💢」と怒りをぶつけられました。私と同じ経験をした人があの中にいなかったから、誰も私の辛さを理解できなかったというわけです。
また、普通の家庭で育ったけど親に時々厳しくされるという人にはみんな優しくするのに、異常な家庭で酷い虐待を受けて育った私にはみんな冷たい、ということもありました。普通の家庭で起こり得る範囲のことならみんな想像ができますが、普通の範囲を超えた家庭のことは想像できないからです。
もちろん、脱ステにも虐待にも言えることですが、極限状態になっている人間はいわゆる「助けたくなる姿をしていない」人なので助けてもらえない、というのもあると思います。でも、もし多くの人が同じような状態になったことがあるなら、その姿を見ただけで「あっ、相当辛いんだな」と理解できそうな気もするので、結局これも多くの人が経験しているかどうかの問題な気もします。
それから、私はステの薬害で長い間重い体調不良(吐き気やめまいなど)
や筋力の著しい低下による手の障害などを抱えて生きていますが、体調不良に比べて手の障害はより理解されづらく、配慮もめったにしてもらえませんでした(薬害自体が理解されづらいので、体調不良も理解されないことも多かったですが。薬害の場合時々症状が出るのではなく常に症状があって普通に会話や行動が出来ない状態のため、単に元々バカでドジな人と誤解されてしまうのです)。
「手が普通に使えなくて辛い」と私が周りに訴えても、大抵「それの何が辛いの?」と変な顔をされるだけでした。面白い話として笑って聞く人たちも少なからずいました。手の障害は経験がない人がほとんどだから、みんな理解できないのでしょう。
「人は自分が経験したことしか分からない」というのは真実だと私は思います。普通の人が経験しない苦しみはなかなか理解されず、苦しみなんて無いことにされてしまうのです。
