アートの「対話型鑑賞」と「大喜利」は8割くらい同じ事してる
先日、ある研究者の方とお話をしました。その方は社会人経験を経てMBAで学び直し、大喜利をビジネス課題解決やアイデア創発にどう活かせるかを研究しているとのこと。
その方との会話の中で出てきたのが「対話型鑑賞」というアートの楽しみ方でした。
美術館で作品を黙って眺めるのではなく、同じ作品を見た人同士で「どこに注目したか」「何を感じたか」をシェアし合う、というものです。わたしも過去に2度ほど体験したことがあります。
この手法、とっても「大喜利に似てる」のですよねぇ。
対話型鑑賞とは何か?
対話型鑑賞とは、その名の通り、ひとりではなく「誰かと一緒に同じ作品を鑑賞し、その体験をもとにコトバを交わしてみる」までの一連の体験をアート鑑賞活動して楽しむことです。
対話の内容は、作品の感想だけでなく、鑑賞を通して思い考えたことについての話になります。その際には、やはり「共通の問い」を通してコトバを交わすことが多いです。
この絵の登場人物、今この瞬間、なんと言っていそう?
タイトルを付けるなら、どんな言葉が合う?
そんな問いに対する「鑑賞者なりのアンサー」を交わし合うことで、生まれる対話を楽しみます。
「私はこうだ」「わたしもわたしも!」
「えっ、こっちじゃないの?」「そっちなの?!」
といったコミュニケーションを通して、目の前のアートをひとりでただ鑑賞したときとは違った、イマココの対話の成果としてのアートの視え方・楽しみ方がある、というものです。
これって、まさに「写真で一言」や大喜利のお題にボケる時の発想と同じ事をしています。
目的は違っても──作品を題材に対話し、シェアするという点で、大喜利と対話型鑑賞は非常に近いのです。
大喜利好きの「あるある」=勝手にお題にしちゃう
大喜利好きな人がレジャーで美術館や水族館に行くと、目の前の展示物を、ついつい「お題」として見てしまうことがあります。
「この絵に新たなタイトルをつけるなら なに?」
「この砂地で動かない魚、心の中で一言 何と言ってる?」
アートをユーモラスに切り取る視点は、お題にボケるを楽しむアタマ=「大喜利脳」の自然な働きです。ついつい、お題を設定して、アンサーを考えたくなってしまう。
一方で、アートファンが対話型鑑賞をするときも、似た思考をしている瞬間がある。
相手を笑わせ、楽しませるのが目的か。
目の前の作品を、より深く味わうのが目的か。
──ゴールが違うだけで、使っている頭の回路も、思考プロセスも、ほぼ同じなのです。
共通するのは「シェアする面白さ」。大喜利メソッド®と対話型鑑賞の接点
大喜利の魅力は、芸人の一発芸ではなく「お題を共有し、参加者がそれぞれの回答を出し合うこと」にあります。
同じテーマに対して、
「あるある、分かる!」と共感される回答
「そんな視点があったのか!」と驚かれる回答
場にシェアされるからこそ、他の誰かがそこにいてくれるからこそ、新しい笑いや楽しみ、発見や驚きが生まれます。
これは対話型鑑賞がアートに対して行っていることと同じ。
大喜利メソッド®が重視するのは、センスを競い合い、勝ち負けや優劣をつけることではなく、「ことば遊びを通して、オモシロを探して、みつけて、つくること」そのもの。
自分が見つけた、感じ取ったオモシロの種を、相手にギフトすることで、一緒に笑い合う・共有することに価値があります。
対話型鑑賞も、芸術を一人で解釈するのではなく、周囲の人と感じたことをシェアすることで、お互いの時間をより良いものにする営みのはずです。
両者の根っこには「同じものを前にして、違う感性を持ち寄る」という共通の精神があります。
インプットして、感じて、それをシェアしよう。
というわけで、対話型鑑賞と大喜利は「同じ題材を前に対話・共有する」点で、とても似ているのです。
目的は異なっていても、使っている思考の回路はほぼ共通。
大喜利メソッド®の本質は「一方的に笑わせる」のではなく「笑い合う」「シェアする」こと。ある意味、アート領域に近いことを、もともと大喜利も秘めているのかもしれませんね。
