ショートショート|花が咲き乱れる男
土曜日の朝。区民農園の土はしっとりと潤い、私は長靴の底から、土が吸い付くような重みを感じていた。住宅街の静寂の中に、そこだけが濃密な「生」の匂いを溜め込んでいる。
「おはようございます。今日も土の状態、最高ですね」
爽やかな声とともに、スーパーファーマー・フミヤさんが現れる。彼が指先で触れるだけで、昨日まで項垂れていたトマトの産毛は逆立ち、実は宝石のような光沢を放つ。
「僕はね、世田谷で土に触れること自体が、最大の贅沢だと思うんです。生産者と消費者が、生け垣一枚を隔てて共生している。この近さ、しびれませんか?」
フミヤさんは、自分のロジックに陶酔するように目を細める。
その瞬間、周囲の畝から、獲物を狙う猛禽類のような速さで「おばちゃんたち」が包囲網を狭めてきた。
「フミヤさん、うちのナス見て!」
「ちょっと、私の方が先よ」
彼女たちは、泥にまみれた自分の手など忘れたかのように、フミヤさんの放つ「清潔な情熱」に群がる。フミヤさんは困ったように笑い、丁寧に、農業の未来を説き続ける。
私は、彼が踏みしめる土を眺める。
彼の歩いた後には、マリーゴールドが狂ったように咲き乱れていた。住宅街の穏やかな風景に生じた、鮮やかな亀裂。
おばちゃんたちは、野菜など見ていない。
フミヤさんが説く「近接性」という名の生け贄を、ただ黙々と、効率よく、収穫し続けていた。
彼はまだ気づいていない。自分が「育てる側」ではなく、この農園で最も鮮度の高い「消費財」として略奪されていることに。
