妻たちは今日も共犯者。
第一幕 妻同盟、結成
「なぁ、一馬。」
昼休み。
会社近くの喫煙所で、優吾が缶コーヒーを差し出した。
「昨日、ちゃんと帰れたのか?」
「帰ったよ。」
「奥さん、まだ怒ってる?」
「……普通。」
「普通?」
「それが怖いんだよ。」
一馬は缶コーヒーを見つめながらため息をつく。
「怒鳴られた方が楽だった。」
「は?」
「今朝なんて笑顔なんだぞ?」
「それ、いいことじゃねぇか。」
「違う。絶対なんか企んでる。」
優吾は吹き出した。
「考えすぎだって。」
「いや、茉莉は笑ってる時ほど怖い。」
「お前、完全に尻に敷かれてんな。」
「否定できない……。」
優吾は腹を抱えて笑った。
「まぁ、女なんて機嫌が直ればそんなもんだ。」
「そうかな……。」
「そうそう。」
優吾は余裕たっぷりにたばこへ火をつけた。
「うちなんか昨日、夜中に帰ったけど『お疲れさま』だけだったぞ。」
「……マジ?」
「ああ。」
「里香さん、仏様か?」
「俺がちゃんとしてるからな。」
「……その自信、どこから来るんだ。」
二人は笑い合い、そのまま午後の仕事へ戻っていった。
その日の夕方。
駅前のショッピングモール。
「茉莉ー!」
手を振りながら近づいてきたのは里香だった。
「ごめん、待った?」
「ううん、今来たところ。」
二人は買い物を済ませると、いつものカフェへ向かった。
注文したパンケーキが運ばれてくる。
「それで?」
里香がフォークを持ちながら笑う。
「昨日はどうだった?」
「午前二時帰宅。」
「やっぱり。」
「しかも連絡なし。」
「優吾も。」
「え?」
「同じ。」
二人は一瞬見つめ合う。
そして、
「あはははは!」
店内に響かない程度に、大笑いした。
「男の人って、どうして同じことするのかしら。」
「ほんと。」
茉莉はコーヒーを一口飲み、少し真面目な顔になる。
「私ね、昨日考えたの。」
「何を?」
「怒るだけじゃ、何も変わらないなって。」
里香も静かに頷いた。
「怒られることに慣れちゃうのよね。」
「そうなの。」
「その場では反省する。」
「でも三日後には忘れてる。」
「その繰り返し。」
二人は同時にため息をついた。
「だったら。」
茉莉の口元がゆっくり緩む。
「教育しましょう。」
「教育?」
「夫を。」
里香の目が輝いた。
「それ、面白そう。」
「怒るんじゃなくて。」
「気付かせる。」
「自分から変わりたいって思わせる。」
「それよ。」
二人は身を乗り出した。
「例えば?」
「連絡しなかった日は、ご飯を作らない。」
「でも怒らない。」
「笑顔。」
「怖いくらい笑顔。」
「『連絡ないから食べてきたと思った♡』って。」
里香は吹き出した。
「それ効く!」
「でしょ?」
「怒られるより罪悪感ある!」
「それなの!」
二人はパンケーキそっちのけで盛り上がる。
「他にも。」
「靴下脱ぎっぱなし。」
「洗濯しない。」
「ありがとうを言わない。」
「ありがとうって言うまで何もしない。」
「いい!」
「ゲームばっかり。」
「Wi-Fiのパスワード変更。」
「それはやりすぎ。」
「確かに。」
また笑い声が響く。
ふと里香が言った。
「でもさ。」
「ん?」
「私たち、旦那のこと嫌いなわけじゃないのよね。」
茉莉は優しく笑う。
「もちろん。」
「むしろ好き。」
「だから腹が立つ。」
「そう。」
「もっと素敵な人なのに。」
「もったいない。」
二人の笑顔が少しだけ柔らかくなる。
茉莉はカップを持ち上げた。
「じゃあ改めて。」
里香も同じように持ち上げる。
「目的は?」
茉莉はにっこり笑った。
「離婚回避。」
「違う。」
「旦那改造。」
「それも違う。」
「じゃあ?」
二人は顔を見合わせる。
そして同時に言った。
「夫婦円満。」
カチン。
カップが小さく鳴る。
「今日から私たちは――」
「妻同盟。」
その頃。
居酒屋では、一馬と優吾がジョッキをぶつけていた。
「いやぁ、今日は平和だったな。」
「うちも。」
「最近、嫁が優しいんだよ。」
「いいじゃねぇか。」
「逆に怖い。」
「考えすぎだって。」
「そうかなぁ。」
二人は笑ってビールを飲み干す。
その様子を、店の入り口から偶然見かけた茉莉と里香。
「あ。」
「あら。」
目が合う。
一馬と優吾は手を振った。
「おーい!」
茉莉と里香も満面の笑みで手を振り返す。
「楽しんでねー!」
「飲み過ぎないでねー!」
「はーい!」
二人の夫は満面の笑み。
二人の妻も満面の笑み。
しかし店を離れた瞬間、茉莉が小さくつぶやく。
「まずは、一週間。」
里香も静かに頷いた。
「最初の矯正ミッション。」
「ターゲットは――」
「"連絡を忘れる夫"。」
二人は悪戯っ子のように笑い合い、夜の街へ消えていった。
その背中は、どこか秘密組織のエージェントのようだった。
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