見出し画像

月の石は、ただの石だった――実家の押し入れで見つけた、55年前の思い出

とにかく、暑かった。
長い列に並びながら、「早く“月の石”が見たいな」。

そんなことを考えていたのを覚えています。

先日、島根の実家で押し入れの整理をしていたときのこと。
古い段ボール箱の中から、
かつて夢中で集めていた切手を収めた切手帳が出てきました。

処分するつもりでページをめくっていたら、
切手シートを入れるポケットに、
チケットの半券が挟まっている!

取り出してみると、それは1970年の日本万国博覧会の入場券の半券。
思っていた以上にきれいな状態で、色もそれほど褪せていません。

切手帳の中で、50年以上眠っていたかのよう。

大人2名・子ども2名で行ったはずなのに、出てきた半券はなぜか大人3枚、小人1枚。

眺めながら、あの夏のことを思い出していました。

私が万博に行ったのは、小学4年生のとき。
教師だった父が、春に教え子たちを引率して会場を訪れ、
「子どもたちにも見せてやりたい」と、
夏休みに私と妹、母の4人で大阪へ。

覚えているのは、蒸し暑い中、1時間以上も長蛇の列に並んだこと。
そして、ようやく入場できたアメリカ館。
お目当ては“月の石”でした。アポロ12号が持ち帰った、あの“月の石”。

仰々しい展示ケースの中にあったのは、
川辺にころがっているような、ただの“石”でした。
小学生の私には、それがどれほどの価値を持つのか、
よくわかりませんでした。
そのまま行列に流されて、パビリオンをあとにしました。

もう一つ入ったのは、ソ連館。
こちらもまた並んで、やっとの思いで入館。
でも、何を見たかはほとんど覚えていません。

結局、入場したのはその2館だけ。
「なぜあんなに人気のパビリオンにこだわったのだろう」
後になって、そう思いました。
空いているパビリオンをたくさん見て回る方が、
きっと面白かったはずなのに。

向こうに見えているのは三菱未来館?

そして、忘れられない出来事がもう一つ。

万博からの帰り道、大阪から奈良へ電車で移動していたときのこと。
慣れない電車に戸惑って、父と私だけが先に電車に乗り、
母と妹が乗り遅れてしまったのです。

「もう二度と会えなったらどうしよう…」
ドアが閉まり、ホームに残された
母と妹の姿が遠ざかっていくのを見ながら、そう思いました。

もちろんそんなことはなく、次の駅で父と私は電車を降り、
10分もしないうちに来た次の電車で、無事に合流できました。

あのとき、父はどんな思いだったんだろう。

母は、もともと旅行があまり好きではないうえに、
6歳と10歳の子どもを連れて、島根から大阪・奈良までの長旅。
めちゃくちゃ大変だったろうなぁ。

切手帳から出てきた万博の半券。
それは、あの夏のことを思い出させてくれました。

まるでタイムカプセルのように、
押し入れの奥にひっそりと眠っていた、55年前の夏の記憶です。
今日は、それを書き留めておきます。

1970年の大阪万博の会場にて(撮影者:母)。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
これからの投稿を、また読みに来ていただければうれしいです。

いいなと思ったら応援しよう!

シュウスケ/フリーライター(66歳) よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!