鶴見神社【神奈川県横浜市鶴見区】
訪問日:2010/02/07
住所:〒230-0051 神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央1丁目14−1
祭神:五十猛命、素戔嗚尊
創建年代等は不詳だが、社伝では創建は推古天皇の時代(593~628)といい、古くは杉山大明神(杉山神社)と称していた
横浜市・川崎市などの鶴見川流域に信仰圏の分布を見せている杉山神社の一つで、延喜式神名帳の都筑郡に記載される式内社「杉山神社」の論社の一つともされる
式内社「杉山神社」の論社は多数あるが、当社の鎮座地はそもそも都筑郡ではなく橘樹郡に属していることから有力性は薄いという説もある
本殿には杉山大明神(五十猛命)と天王宮(素戔嗚尊、かつては牛頭天王)の二社相殿という形式を取っている
大正9年(1920)に鶴見神社へと改称
相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿(長柄の鎌の大神輿)」は、江戸時代初期(1650~1670年頃という)に、鶴見川の天王河原(現・潮見橋付近)に流れ着いたものを、当地(旧・鶴見村)の住人が茅を刈る長柄の鎌で引き上げて当社に奉納したものという
この神輿は、当社からみて鶴見川の上流にあった天王社(川崎市幸区小倉の現・小倉神社)のもので、祭礼のときに鶴見川で神輿を洗った際に誤って流してしまったものという
このことから、当社は「杉山明神 牛頭天王相殿」とも称された
また当社には、鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経が仁治2年(1241)に参詣した際に奉納したと伝えられる欅のご神木があったが、昭和37年(1962)に枯死・伐採されてしまった
その根本からは、藤原頼経が奉納植樹した際のものと考えられる、多数の祭祀遺物が発掘されている
明治5年(1872)に新橋・横浜間を結ぶ日本初の鉄道が開通すると、線路を敷くために当社の社地も大きく削られることとなった
この時に、現在の線路上にあったという富士塚(当社末社である浅間社)も、現在の場所に縮小移築された
また平成20年(2008)の発掘調査で、当社本殿前から良好な状態で貝塚(鶴見神社境内貝塚)が遺存されていることが確認された
この他にも当社境内からは、弥生時代後期から古墳時代の土器類・住居跡などの遺跡も発掘されている

境内社等


(上町稲荷・三家稲荷・東関森稲荷・
中町稲荷などを合祀)

明治の一村一社令に伴って廃絶した社のうち、
神社名のみ明確で所在が分からないものを
一括して大鳥神社へ合祀したもの
(日本武命、伊弉諾命、伊弉冊命、
菅原道真、応神天皇、天照皇大神宮、
猿田彦命、安徳天皇、大己貴命、
事代主命、大山祇命、聖徳皇太子、
天鈿女命、稲田姫命、
手那槌、足那槌、保食命、豊受姫命)



※写真は無いが、上記の他に「清明宮」と「寿老人」の境内社が祀られる
清明宮は、三島由紀夫と森田必勝の2柱を祀る
かつて鶴見にあったバーに三島由紀夫が通っていたという縁から、三島由紀夫の40回目の命日にあたる平成22年(2010)に当社境内に建立
「清明」は、三島由紀夫が在学した時代の学習院高等科の文芸誌名
祭神のうち森田必勝は、三島由紀夫と共に憲法改正のための自衛隊の決起を呼びかけた後に割腹自殺した人物

旧東海道の鶴見橋付近から、
寺尾・小杉方面への分岐点にあった
三家稲荷に建てられていたものという
明治の神社合祀令に伴って三家稲荷が
当社境内社として合祀された後、
この道標も当社境内に移されたものと
考えられている
