「童顔」の呪いから解放されるまで
自慢でもなんでもないが、私は昔から実年齢より若く見られるタイプだった。いわゆる「童顔」というやつである。
これは、小学校5年生の時、友達(3年生)の父親から、
「何年生? 2年生?」と言われたことから始まっている。
咄嗟に否定したが、「そんなに年下に見えるのか」と驚いたことを覚えている。その父親の娘(3年生)より年下に見えたことを意味していた。
それから年を重ねても、中学生では小学生、高校生では中学生に間違われてきた。
一番ショックだったのは、大学生の時だ。小学1年生の女の子から「5年生?」と聞かれたことがある。
もし「6年生」なら、まだ納得できたかもしれない。1年生にとっての最高学年は6年生であり、自分よりずっと大人に見える存在の代名詞だからだ。
しかし、彼女が私に下した評価は、最高学年に一歩及ばない「5年生」。その絶妙な中途半端さに、私は笑顔を見せながら、ひっそり落ち込んだ。
年下に見られることは、多分褒め言葉なのだろう。
周りの大人は「若く見えるって、いいことなんだよ」と言っていたし、そういう側面もあると思う。
しかし、「私は違うんだよな」と幼いながらに思っていた。
私は顔が薄い。のっぺり顔。覚えにくい。
「童顔=かわいい」ではなく、
「童顔=垢抜けない」。
決して褒め言葉ではないことを、冷静に理解していた。
見た目は幼かった私だが、考えることが好きなせいか、精神年齢は老成していた。
中学の先生からは「考え方が大人ですね」と言われ、高校の先生からは「周りと話が合わないんじゃないか? 心から笑えているか」と心配されたくらい。
精神年齢が高かったからこそ、「若く見える」という言葉の裏にある、幼さや垢抜けなさを敏感に察知していたのかもしれない。
「童顔」は、私にとって、呪いも同然だった。
そんな精神年齢が高めだった私も、今年やっと30歳になった。
年を取るって、嫌なことばかりだと言われてきたけど、私は実年齢が精神年齢に近づいていて、なんだか嬉しい。
数年前に気づいたのだが、私のようなのっぺり童顔には、逆転現象が起きるらしい。
就職してから、全くと言っていいほど、年下に間違われなくなったのだ。
垢抜けない童顔は、ある程度行くと、老け顔に進化する。
それまで「年下」として扱ってきた人が、一人の大人として接してくれる。
それが、私はちょっと嬉しい。
「童顔」という言葉には、「かわいい」というニュアンスがある。
でも、「老け顔」には「落ち着いている」というニュアンスがある。
世間一般ではどうであれ、私にはぴったりの褒め言葉だと思う。
「若く見えるって、いいことなんだよ」
この呪いから、解放された気分だ。
童顔で、精神年齢が高い。
とても、とても生きにくかった学生時代。
今は、ようやく中身に追いついてきた「老け顔」の自分に期待している。
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